2016年4月28日木曜日

植村隆『真実』の書評


評者野田正彰(精神病理学者)

日本全体主義がもたらした事件 この真摯な回答を謙虚に汲め


朝日新聞攻撃、慰安婦報道攻撃の煽りに巻き込まれ、虚偽の宣伝によって攻撃対象とされた植村隆・慰安婦問題事件の報告書である。
植村記者は1991年8月11日、朝日新聞大阪本社版に、元朝鮮人従軍「慰安婦」の1人(匿名)が挺体協に初めて体験を証言したという記事を出した。すぐ後で、この女性は名乗り出て記者会見、その後の日本政府に対する謝罪と賠償を求める慰安婦問題の出発点となった。
ところが日本軍の性暴力をどうしても否認したい人びとが反撃に出て、最初の報道となった植村記事を「捏造記事」と呼び(西岡力・東京基督教大学教授)、2014年1月末には「週刊文春」が「“慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」と個人攻撃を煽った。そのため雇用が決まっていた神戸松蔭女子学院大学に就任できなくなり、さらに非常勤講師をしていた北星学園大学に解雇を求める脅迫状が送られてくるようになり、植村氏の娘の殺害脅迫にまで到った。
何度となく繰り返されてきた右翼扇動マスコミが火を付け、匿名の脅迫者集合が呼応する日本的全体主義の事件のひとつである。攻撃を煽った人は、この様な脅迫に到ったことを言論人として謝るべきである。また二つの大学は、この種の攻撃を分析、討論していくことこそが教育研究の課題であったのに、ただ無難に乗り切ろうとした。
ソウルに語学留学し、大阪では猪飼野(いかいの)に下宿し、隣国・韓国への友好に生きてきた誠実な記者を、私たちは十分に支援してきたか、問われている。(岩波書店1800円)
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<日本ジャーナリスト会議2016年4月25日発行「ジャーナリスト」第697号より>

映画「スポットライト」

いま全国で上映中の映画「スポットライト 世紀のスクープ」が静かに話題を呼んでいます。きびしい攻撃と弾圧に屈せずに「真実」に迫る記者たちの姿を、植村さんのたたかいに重ね合わせて見ることができる映画です。
 【私の映画評】その1
わずか数名の地方紙の新聞記者たちが、カトリック教会による組織ぐるみの犯罪隠ぺいを暴露した実話の映画化で、登場人物も実名です。
アメリカの地方紙「ボストン・グローブ」は神父による子どもの性的虐待と、カトリック教会がその事実を看過していたということを、関係者から情報を引き出し、被害者たちの悲痛な叫びを丁寧に聞き取ります。
疑惑を裏付けるために埃にまみれた膨大な資料を洗い直します。
求められるのは、何度もくじけそうになりながら積み重ねる地道な努力です。
試されるのは仕事への矜持であり、正義を追及する信念であり、被害者の気持ちを代弁できる人間力でもあります。
スポットライトを浴びることのない記者たちの地道で粘り強い取材過程が丹念に描かれていて感動しました。
植村さんも慰安婦問題を書いたのは、虐げられた女性たちへの共感があったからだと思います。
国際NGO「国境なき記者団」が発表した報道の自由度ランキングで日本の順位は72位でした。メディアはこの映画の記者たちのように、圧力に屈せず、間違っていることは間違っていると報じてほしい。正しいことは正しいと言える社会であってほしいと思います。
自由に物が言えない状況は異常です。
言論の自由が脅かされている日本ですが、この映画はジャーナリズムのあり方を問うています。
(樋口みな子)
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 【私の映画評】その2
この映画の背景となる新聞報道を知った時、「まさか?!」という思いだった。
この報道がカトリック教会にどのような影響を与えるのかは、全く想像ができなかった。
まして、日本への影響は考えられなかった。きっと曖昧なまま、忘れられ、なかったことになるのだろう。そんな思いだった。
しかし、すぐに日本でもプロジェクトチームが発足し、翌年には司教のためのガイドラインが承認された。そして、今も現在進行形でこの問題に取り組んでいる。
映画の中で、苦悩する記者たちを観ながら、植村さんを思い出した。
声なき声を伝えることの大切さと難しさを知り、ジャーナリズムの力に驚き、その力を今、改めて信じたいと思う。
(C.N、カトリック信徒)
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2016410日付けカトリック新聞より
教会の“罪”に挑む記者たち 映画「スポットライト~世紀のスクープ」
2002年1月、米国の新聞『ボストン・グローブ』が、ボストン教区の70人以上の司祭による児童の性的虐待を報じた。関連記事は、約600本。同年12月、ボストン教区のロー枢機卿は、事件を組織的に隠蔽したことで教区大司教の職を辞し、同教区では、その後も裁判や被害者への多額の賠償金の支払いに追われるなど混乱が続いた。本作は、事件を明らかにした同紙の特集欄「スポットライト」の記者チームが、“教会というタブー”にどう切り込み、真実を明らかにしたか、実話を基に浮き彫りにした。
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トム・マッカーシー監督作品。今年のアカデミー賞で、作品賞と脚本賞を受賞。
札幌ではシアターキノで上映中 こちら


2016年4月25日月曜日

傍聴記詳報を収録

第1回口頭弁論の「傍聴記詳報」と「報告集会詳報」を、記録サイト「植村裁判資料室」に収録しました。
https://sites.google.com/site/uemuraarchives/
ほかに、植村さんの意見陳述全文、伊藤誠一弁護士(原告弁護団共同代表)の陳述、櫻井氏の意見陳述全文も収録。植村さんの記者会見の動画、報告集会の動画(佐高信さんの講演も)のリンク先も同サイトに掲載しました。

2016年4月22日金曜日

満員の報告集会




  左から、上田文雄さん、植村隆さん、佐高信さん

報告集会は午後6時半から「かでる2・7」大会議室で開かれた。会場は220人の参加者で満員。東京からは共同代表の香山リカさんと崔善愛さんもかけつけた。植村さんのあいさつの後、札幌と東京の弁護団からの報告、佐高信さんの講演「櫻井よしこは何者か」、上田文雄さん(前札幌市長)が加わったクロストークがあった。植村さんのあいさつ(要旨)は次の通り。


現在と未来の記者を守るたたかい

思い起こせば去年2月10日の提訴は雪の舞う中だった。だいたい4月には第1回口頭弁論があるかと思って意見陳述の原稿を書いていたが、桜井さんたちが東京でやれということで移送をめぐって訴訟が行われた。結果的にわれわれが緒戦を勝利して札幌地裁でできることになった。

きょう弁護団と改めて地裁へ向かう道を歩き、改めてみなさんとたたかえる喜びをかみしめています。
私は土佐の出身で坂本龍馬研究家ですが、人生の最後は北海道で暮らそうとし、大学の教員をめざしたが、札幌は第二の故郷。ともに闘える喜びをかみしめています。

陳述書のコピーがこの会場にもありますが、許せないのは、去年来た脅迫状で、娘を殺すと書かれてせつなかった。千枚通しで胸がさされるような思い。なんで娘を殺すと言われなくてはならないのか。

桜井さんの問題点。桜井さんは産経新聞で名指ししている中で、金学順さんの訴状に「40円で売られた」とか「継父に売られた」と、訴状にないことを、訴状に書かれているといって攻撃している。桜井さんは事実にないことをあえてくっつけていっている。問題にしたい。

挺身隊が当時、慰安婦の意味で使われていました。1982年3月のテレビ欄。「女子挺身隊という名の従軍慰安婦」という番組が11PMで放送されている。その前の時間の番組が桜井さんの「きょうの出来事」という番組。
桜井さんは調べればわかることを調べていない。

しかも桜井さんは私に一切取材しないで北星学園大を非難している。北星学園大がバッシングされているとき「23年間捏造報道の訂正もせず学生に教えることが学生教育のあるべき姿なのか」。週刊文春には「暴力的姿勢を惹起しているのは朝日と植村ではないか」と批判して、バッシングをおさめるどころか、あおりたてている。
それにあおられて「桜井さんの言う通りだ」というブログも出ている。「たまたま脅迫の手紙が入っていたからといって大騒ぎするのがおかしい」とたきつけている人がいる。ほんとうにおそろしい。
桜井さんのような影響力のある人が、根拠にもとづかず、自分のインチキな記事をもとに攻撃しているのは異常なこと。

法廷で満席になって聞いていただきました。これから長い闘い。みなさんとともにたたかっていきたい。こんなことで記者が萎縮させられたら、歴史の問題に着手してアジアとの和解のため記事を書く記者が減ってしまう。いまの記者、未来の記者を守るためのたたかいだと思います。

満員となった報告集会(2016年4月22日、札幌市の「かでる2・7」で)















きょう第1回口頭弁論

入廷する植村さん(中央)と弁護団=4月22日午後3時、札幌地裁で


第1回口頭弁論は午後3時半に開廷した。
訴状、答弁書などのやりとりの後、原告植村、被告櫻井の両氏が意見陳述。冒頭から両当事者の主張がぶつかり、この裁判の論点を浮かび上がらせた。
植村氏は、櫻井氏が産経新聞に書いた1面コラムを挙げ、事実でないことで組み立てた、と指摘。櫻井氏が繰り返す「ねつ造」攻撃が、娘への殺人予告、大学への脅迫を導いたと強調した。
櫻井氏は、これまでさまざまなメディアで述べてきた論点を繰り返すとともに、「言論人であれば、いかなる批判にも自ら反論すべきであり、裁判に訴えることではない」と主張した。
原告弁護団は107人。うち29人が出廷した。57の傍聴席を求め198人が抽選のために長い列を作った。

<詳報は23日に掲載します>

植村さんの意見陳述

植村さんは、第1回口頭弁論で20分にわたって意見陳述を行った。植村さんの真向かいには被告の櫻井よしこ氏が座っている。植村さんは時に声を張り上げ、右手を大きく掲げ、提訴に至った経緯とその意味を語った。 

意見陳述の全文 (原文ママ、小見出しも)


「殺人予告」の恐怖

裁判長、裁判官のみなさま、法廷にいらっしゃる、すべての皆様。知っていただきたいことがあります。17歳の娘を持つ親の元に、「娘を殺す、絶対に殺す」という脅迫状が届いたら、毎日、毎日、どんな思いで暮らさなければならないかということです。そのことを考えるたびに、千枚通しで胸を刺されるような痛みを感じ、くやし涙がこぼれてきます。

私は、2015年2月2日、北星学園大学の事務局から、「学長宛に脅迫状が送られてきた」という連絡を受けました。脅迫状はこういう書き出しでした。

「貴殿らは、我々の度重なる警告にも関わらず、国賊である植村隆の雇用継続を決定した。この決定は、国賊である植村隆による悪辣な捏造行為を肯定するだけでなく、南朝鮮をはじめとする反日勢力の走狗と成り果てたことを意味するものである」
5枚に及ぶ脅迫状は、次の言葉で終わっています。
「『国賊』植村隆の娘である○○○を必ず殺す。期限は設けない。何年かかっても殺す。何処へ逃げても殺す。地の果てまで追い詰めて殺す。絶対にコロス」
私は、足が震えました。

大学に脅迫状が送られてきたのは2014年5月末以来、これで5回目でした。最初の脅迫状は、私を「捏造記者」と断定し、「なぶり殺しにしてやる」と脅していました。さらに「すぐに辞めさせろ。やらないのであれば、天誅として学生を痛めつけてやる」と書いていました。

娘を殺害する、というのは、5回目の脅迫状が初めてでした。もう娘には隠せませんでした。「お前を殺す、という脅迫状が来ている。警察が警戒を強めている」と伝えました。娘は黙って聞いていました。

娘への攻撃は脅迫だけではありません。2014年8月には、インターネットに顔写真と名前が晒されました。そして、「こいつの父親のせいでどれだけの日本人が苦労したことか。自殺するまで追い込むしかない」と書かれました。こうした書き込みを削除するため、札幌の弁護士たちが、娘の話を聞いてくれました。私には愚痴をこぼさず、明るく振舞っていた娘が、弁護士の前でぽろぽろ涙をこぼすのを見て、私は胸が張り裂ける思いでした。

なぜ、娘がこんな目にあわなければならないのでしょうか。1991年8月11日に私が書いた慰安婦問題の記事への攻撃は、当時生まれてもいなかった高校生の娘まで、標的にしているのです。悔しくてなりません。脅迫事件の犯人は捕まっていません。いつになったら、私たちは、この恐怖から逃れられるのでしょうか。

私への憎悪をあおる櫻井さん 

櫻井よしこさんは、2014年3月3日の産経新聞朝刊第一面の自身のコラムに、「真実ゆがめる朝日報道」との見出しの記事を書いています。このコラムで、櫻井さんは私が91年8月に書いた元従軍慰安婦の記事について、こう記述しています。

「この女性、金学順氏は後に東京地裁に 訴えを起こし、訴状で、14歳で継父に40円で売られ、3年後、17歳のとき再び継父に売られたなどと書いている」。その上で、櫻井さんは「植村氏は彼女が人身売買の犠牲者であるという重要な点を報じ」ていない、と批判しています。しかし、訴状には「40円」の話もありませんし、「再び継父に売られた」とも書かれていません。

櫻井さんは、訴状にないことを付け加え、慰安婦になった経緯を継父が売った人身売買であると決めつけて、読者への印象をあえて操作したのです。これはジャーナリストとして、許されない行為だと思います。

さらに、櫻井さんは、私の記事について、「慰安婦とは無関係の「女子挺身隊」と慰安婦が同じであるかのように報じた。それを朝日は訂正もせず、大々的に紙面化、社説でも取り上げた。捏造を朝日は全社挙げて広げたのである」と断定しています。

櫻井さんは「慰安婦と『女子挺身隊』が無関係」と言い、それを「捏造」の根拠にしていますが、間違っています。当時、韓国では慰安婦のことを「女子挺身隊」と呼んでいたのです。他の日本メディアも同様の表現をしていました。

例えば、櫻井さんがニュースキャスターだった日本テレビでも、「女子挺身隊」という言葉を使っていました。1982年3月1日の新聞各紙のテレビ欄に、日本テレビが「女子てい身隊という名の韓国人従軍慰安婦」というドキュメンタリーを放映すると出ています。

私は、神戸松蔭女子学院大学に教授として一度は採用されました。その大学気付で、私宛に手紙が来ました。「産経ニュース」電子版に掲載された櫻井さんの、そのコラムがプリントされたうえ、手書きで、こう書き込んでいました。

「良心に従って説明して下さい。日本人を貶めた大罪をゆるせません」

手紙は匿名でしたので、誰が送ってきたかわかりません。しかし、内容から見て、櫻井さんのコラムにあおられたものだと思われます。

この神戸の大学には、私の就任取り消しなどを要求するメールが1週間ほどの間に250本も送られてきました。結局、私の教授就任は実現しませんでした。

櫻井さんは、雑誌「WiLL」2014年4月号の「朝日は日本の進路を誤らせる」という論文でも、40円の話が訴状にあるとするなど、産経のコラムと似たような間違いを犯しています。
 
このように、櫻井さんは、調べれば、すぐに分かることをきちんと調べずに、私の記事を標的にして、「捏造」と決めつけ、私や朝日新聞に対する憎悪をあおっているのです。

その「WiLL」の論文では、私の教員適格性まで問題にしています。「改めて疑問に思う。こんな人物に、果たして学生を教える資格があるのか、と。植村氏は人に教えるより前に、まず自らの捏造について説明する責任があるだろう」

「捏造」とは、事実でないことを事実のようにこしらえること、デッチあげることです。記事が「捏造」と言われることは、新聞記者にとって「死刑判決」に等しいものです。

朝日新聞は、2014年8月の検証記事で、私の記事について「事実のねじ曲げない」と発表しました。しかし、私に対するバッシングや脅迫はなくなるどころか、一層激しさを増しました。北星学園大学に対しても、抗議メールや電話、脅迫状が押し寄せ、対応に追われた教職員は疲弊し、警備費は膨らみました。

北星学園大学がバッシングにあえぎ、苦しんでいた最中、櫻井さんは、私と朝日新聞だけでなく、北星学園大学への批判まで展開しました。

2014年10月23日号の「週刊新潮」の連載コラムで、「朝日は脅迫も自己防衛に使うのか」という見出しを立て、北星学園大学をこう批判しました。「23年間、捏造報道の訂正も説明もせず頬被りを続ける元記者を教壇に立たせ学生に教えさせることが、一体、大学教育のあるべき姿なのか」

同じ2014年10月23日号の「週刊文春」には、「朝日新聞よ、被害者ぶるのはお止めなさい “OB記者脅迫”を錦の御旗にする姑息」との見出しで、櫻井よしこさんと西岡力さんの対談記事が掲載されました。私はこの対談の中の、櫻井さんの言葉に、大きなショックを受けました。

「社会の怒りを掻き立て、暴力的言辞を惹起しているものがあるとすれば、それは朝日や植村氏の姿勢ではないでしょうか」

櫻井さんの発言には極めて大きい影響力があります。この対談記事に反応したインターネットのブログがありました。

「週刊文春の新聞広告に、ようやく納得。もし、私がこの大学の学生の親や祖父母だとしたなら、捏造で大問題になった元記者の事で北星大に電話で問い合わせるとかしそう。実際、心配の電話や、辞めさせてといった電話が多数寄せられている筈で、たまたまその中に脅迫の手紙が入っていたからといって、こんな大騒ぎを起こす方がおかしい。櫻井よしこ氏の言うように、「錦の御旗」にして「捏造問題」を誤魔化すのは止めた方が良い」

私はこのブログを読んで、一層恐怖を感じました。ブログはいまでもネットに残っています。

櫻井さんは、朝日新聞の慰安婦報道を批判し、「朝日新聞を廃刊にすべきだ」とまで訴えています。言論の自由を尊ぶべきジャーナリストにもかかわらず、言葉による暴力をふるっているようです。「社会の怒りを掻き立て、暴力的言辞を惹起している」のは、むしろ、櫻井さん自身の姿勢ではないか、と思っています。

「判決で、救済を」

 「言論には言論で闘え」という批判があります。私は「朝日新聞」の検証記事が出た後、複数のメディアの取材を受け、きちんと説明してきました。また、複数の月刊誌に手記を掲載し、自分の記事が「捏造」ではないことを、根拠を上げて論証しています。にもかかわらず、私の記事が「捏造」であると断定し続ける人がいます。大学や家族への脅迫もやむことがありませんでした。こうした事態を変えるには、「司法の力」が必要です。

脅迫や嫌がらせを受けている現場はすべて札幌です。櫻井さんの「捏造」発言が事実ではない、と札幌で判断されなければ、こうした脅迫や嫌がらせも、根絶できないと思います。

私の記事を「捏造」と決めつけ、繰り返し世間に触れ回っている櫻井さんと、その言説を広く伝えた「週刊新潮」、「週刊ダイヤモンド」、「WiLL」の発行元の責任を、司法の場で問いたいと思います。私の記事が「捏造」でないことを証明したいと思います。

裁判長、裁判官のみなさま。どうか、正しい司法判断によって、「捏造」記者の汚名を晴らしてください。家族や大学を脅迫から守ってください。そのことは、憲法で保障された個人の表現の自由、学問の自由を守ることにもつながると確信しています。

                          

記者会見での主張

植村さんは、閉廷後に開かれた記者会見で、櫻井よしこ氏がこれまでに書いた記事や取材態度について「3つの問題点」をあげて批判し、法廷での意見陳述を補強しました。以下に、記者会見で配布された資料を収録します(記号、数字表記は読みやすく書き直してあります)。




















【櫻井よしこ氏の3つの問題点】


①訴状に書かれていないことを付け加え「人身売買」と主張

◆産経新聞2014年3月3日朝刊1面コラム【櫻井よしこ 美しき勁き国へ】
元従軍慰安婦の金学順さんが、「東京地裁に訴えを起こし、訴状で、14歳で継父に40円で売られ、3年後、17歳のとき再び継父に売られたなどと書いている。」と書く。
◆「WiLL」2014年4月号「朝日は日本の進路を誤らせる」
「訴状には、14歳のとき、継父によって40円で売られたこと、3年後、17歳のとき、再び継父によって北支の鉄壁鎮という所に連れて行かれて慰安婦にさせられた経緯などが書かれている。」という記述。

  →訴状には、「14歳のとき、継父によって40円で売られた」とは書かれていない。「金泰元という人の養女となり、14歳からキーセン学校に3年間通ったが、1939年、17歳(数え)の春、「そこへ行けば金儲けができる」と説得され、金学順の同僚で一歳年上の女性(エミ子といった)と共に養父に連れられて中国へ渡った。(略)「鉄壁鎮」へは夜着いた。小さな部落だった。養父とはそこで別れた」と書かれている。

②「女子挺身隊」が慰安婦を指す言葉として、日本のメディアでも広く使われていたことは当時の記事を調べれば分かるのに、植村氏が「担造」した、と主張

◆前述の産経新聞2014年3月3日朝刊1面コラム
「植村氏は彼女が人身売買の犠牲者であるという重要な点を報じず、慰安婦とは無関係の「女子挺身隊」と慰安婦が同じであるかのように報じた。」
◆前述の「WILL」 2014年4月号
「植村氏は、彼女が継父によって人身売買されたという重要な点を報じなかっただけでなく、慰安婦とは何の関係もない「女子挺身隊」と結びっけて報じた。jと書く。

  →「慰安婦」を「女子挺身隊」と呼ぶ表現は、柵井氏がニュースキャスターを務めていた日本テレビの別番組でも使われていた。1982年3月1日の各紙のテレビ欄に記述。
  →植村の手記『真実』(pp.222~223「慰安婦問題を報じた主な記事のうち「挺身隊」という言葉が出てくる部分」)参照

③植村氏に一度も直接取材せず、「握造」と決めつけ、教員としての適格性を否定し、雇い主の大学を批判

◆「週刊新潮」2014年10月23日号
 「23年間、握造報道の訂正も説明もせず頬被りを続ける元記者を教壇に立たせ学生に教えさせることが、一体、大学教育のあるべき姿なのか。」
◆「週刊文春」2014年10月23日号 「模井よしこ×西岡力」対談記事
 「社会の怒りを掻き立て、暴力的言辞を惹起しているものがあるとすれば、それは朝日や植村氏の姿勢ではないでしょうか。」

櫻井氏の意見陳述

第1回口頭弁論<2016年4月22日>


裁判の冒頭に当たって、意見を述べる機会を与えて下さりありがとうございます。
日本はいま、旧日本軍が戦時中に朝鮮半島から女性たちを強制連行し、慰安婦という性奴隷にし、その揚げ句、約75%の女性たちを殺害したといういわれなき非難を浴びています。朝鮮半島から20万人、中国から20万人、合わせて40万人もの女性をその上うな悲惨な運命に突き落としたという濡れ衣が、主にアメリカを舞台として韓国系及び中国系団体によって流布されています。
 その原因を作ったのは朝日新聞です。植村隆氏もその中で重要な役割を担いました。
 世に言う「従軍慰安婦問題」と、悲惨で非人道的な強制連行の話は、朝日新聞が社を挙げて作り出したものであります。
 朝日新聞は1982年9月2日の記事で、吉田清治氏を取り上げました。吉田氏は軍命で済州島に出向き200人の女性たちを強制連行したという許し難い嘘をつき続けた人物です。その嘘を朝日新聞は複数回にわたり報道し続けました。
 たしかに朝日新聞は吉田氏の証言は虚偽であったと認めて、関連記事を取り消しました。しかし、それは最初の吉田清治氏の紹介記事から、実に32年も後のことでした。
 この間、吉田氏の証言は、韓国済州島の現地新聞によって、或いは現代日本史の権威である秦郁彦氏によって、事実無根であると証明され、その内容も報道されました。それらの指摘と報道は、朝日にとって、吉田証言を虚偽であると認め、取り消し、訂正する機会であったにも拘わらず、朝日はそうはしませんでした。自らの間違いに目を潰り続けることは言論機関として許されないだけでなく、日本と日本国民の名誉を傷つけた点て重い責任を負うものです。
 吉田氏は虚構の強制連行を具体的に語ってみせ、日本政府及び日本軍を加害者と位置づけました。加害者としての日本軍のイメージが広がる中で、今度は植村隆氏が91年8月11日、金学順さんという女性についての記事を書きました。この記事には彼女の名前は出てきませんが、植村氏は、金学順さんが「女子挺身隊の名で戦場に連行され」だと書きました。一方、母親によってキーセンに売られたという事実には触れませんでした。
 朝日新聞が加害者としての目本軍による強制連行説を確立し、次に、植村氏が被害者として、「戦場に連行された」女性の存在を報じたのです。ここに加害者としての日本軍、被害者としての朝鮮の女性という形が実例を以って整えられたことになります。
 ちなみに初めて名乗り出た慰安婦を報じた植村氏の記事は世紀のスクープでした。
 しかし、それからわずか3日後、彼女はソウルで記者会見に臨み、実名を公表し、貧しさ故に親によってキーセンの検番に売られた事実、検番の義父によって中国に連れて行かれた事実を語っています。同年8月15日付で韓国の「ハンギョレ新聞」も金さんの発言を伝えています。しかし植村氏が報道した「女子挺身隊の名で戦場に連行され」たという事実は報じていません。
 植村氏が聞いたというテープの中で、彼女は果たしてキーセンの検番に売られたと言っていなかったのか。女子挺身隊の名で戦場に連行されたと本当に語っていたのか。
 金学順さんはその後も複数の発言を重ねています。8月14日の記者会見をはじめ、その同じ年に起こした日本政府への訴えでも、彼女は植村氏が報道した「女子挺身隊の名で戦場に連行され」という発言はしていません。
 裁判では訴状に一番有利な事柄を書くのが当然です。日本軍による強制連行が事実であれば、彼女が日本政府を糾弾するのにこれ以上強力な攻めの材料はないはずです。しかし、訴状にはそんなことは書かれていません。書かなかった理由は強制連行ではなかったからです。
 植村氏は9112月に再び金学順さんの記事を、今度は、実名を出して書いています。その中でもこの間違いを訂正していません。むしろ、キーセンの検番のあった平壌から中国に連れて行かれたときのことを、植村氏は「『そこへ行けば金もうけができる』。こんな話を、地区の仕事をしている人に言われました」と金さんが語ったと報じました。「地区の仕事をしている人」とは一体誰か。それは彼女が語っています。検番の主人のことです。しかし植村氏は「地区の仕事をしている人」という曖昧な表現を用い、彼女がキーセンに売られたことを報じませんでした。
 植村氏はキーセン学校に通っていたことは必ず慰安婦になることではないと考えたから書かなかったと、朝日の第三者委員会に説明しています。しかし、真の理由はキーセンに売られた経歴を書けば、植村氏が8月に書いた「女子挺身隊の名で戦場に連行」されたという記述と矛盾し、記事が間違いであることが判明するから書かなかったのではないでしょうか。
 植村氏は自分は握造記者ではないと弁明しています。なお、私はこの記事について論評したのであって担造記者と評したわけではありません。仮に百歩譲って、91年8月11日の記事が担造と評されるものではなく、単なる誤報であったと仮定します。
 では12月の記事はどうでしょうか。すでに述べたようにこの時点ではすでに金学順さんのソウルでの記者会見も目本政府を訴えた訴状も明らかにされ、植村氏の報道内容が間違いであることが判明しています。にも拘わらず、訂正はされていません。取材対象が語らなかったことを書き、語ったことを省いた。それが誤りであることが判明したにも拘らず、訂正しなかった。そこには当然、意図があると思うのは当然です。事実とは異なることを書き、意図をもって訂正しなかったとすれば、それを担造記事と評したことのどこが間違いでしょうか。
 植村氏は担造と書かれて名誉が毀損されたと訴えています。しかし植村氏は、自身の記事がどれだけ多くの先人たち、私たちの父や祖父、いま歴史の濡れ衣を着せられている無数の日本人、アメリカをはじめ海外で暮す日本人、学校で苛めにあっている在外日本人の子供たち、そうした人々がどれ程の不名誉に苫しんでいるか、未来の日本人たちがどれ程の不名誉に苫しみ続けなければならないか、こうしたことを考えたことがあるのでしょうか。植村氏の記事は、32年間も慰安婦報道の誤りを正さなかった朝日新聞の罪と共に、多くの日本人の心の中で許し難い報道として記憶されることでしょう。
 植村氏は私の記事によって、ご家族が被害を被った。お嬢さんがひどい言葉を投げつけられたと、私を論難しています。
 言論に携わる者として、新聞、雑誌、テレビ、ネット、全てのメディアを含めて、本人以外の家族に対する暴言を弄することは絶対に許されません。その点て私は植村氏のご家族に対する同情の念を禁じ得ません。
 同時に、それらが私の記事ゆえであるとする植村氏の主張は受け入れられません。むしろ、私はこれまで植村氏の家族に対する暴言は許されないと言い続けてきました。
 今日、この法廷に立って、感慨深いものがあります。私はかつて「慰安婦は強制連行ではない」と発言して糾弾されました。 20年程前の私の発言は、いまになってみれば真実であると多くの人々が納得しています。しかし、当時は凄まじい攻撃の嵐に晒されました。仕事場には無数のFAXが、紙がなくなるまで送りつけられました。抗議のはがきも、仕事ができなくなる程の抗議の電話も、ありました。当時ネットはありませんでしたが、ネットがあれば、炎上していたかもしれません。
 その無数の抗議の中でひと際目立っていたのが北海道発のものでした。主として北海道教職員組合の方々から、ほぼ同じ文言の抗議が、多数届いたのです。
 そのようなことがあったこの北海道の札幌の地で、植村氏を相手に同じ慰安婦問題で法廷で闘うのには、何か特別の意味があると、二の頃、思うようになりました。私は断固として、植村氏の記事に対する評価を変えません。それを言われるのが嫌であるならば、植村氏には正しい事実を報道せよと助言するのみです。
 最後に強調したいことがあります。私は植村氏の訴え自体を極めて遺憾だととらえています。
 氏が、言論人であるならば自らの書いた記事を批判されたとき、なぜ言論で応じないのか。言論人が署名人りの記事を書くとき、もしくは実名で論評するとき、その覚悟は、如何なる批判にも自分の責任で対応するということでしょう。言論においてはそれが当たり前のことです。
 しかし、植村氏はそうはせずに、裁判に訴えました。内外で少なからず私の名誉を傷つける講演を重ね、まるで運動家であるかのように司法闘争に持ち込んだ植村氏の手法は、むしろ、言論・報道の自由を害するものであり、言論人の名に惇る行為ではないでしょうか。民主主義の根本は、自由なる言論の闘いによって、より強化されます。発言の場を有する記者がこのような訴訟を起こすことを、私は心から残念に思うものであります。
当裁判所におかれましては、公正なる判断を下していただけるものと期待し、私の意見陳述を終わります。

2016年4月13日水曜日

支える会スタート

元朝日記者・植村隆さんの名誉回復を求める裁判を支援する「植村裁判を支える市民の会」(略称「支える会」)が4月12日にスタートしました。

設立発表記者会見における共同代表4人の発言
発足にあたって、植村隆さんのメッセージ
設立趣意書 
参加申し込み書
各記事は4月12日のページにあります

4月22日(金)札幌訴訟第1回口頭弁論
【重要】傍聴希望者は午後2時15分までに地裁1階に集合!!
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午後3時半から、札幌地裁805号法廷
   5時から、公開記者会見(高教組会館)
   6時半から、報告集会(かでる2・7)
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詳細は4月11日のページにあります

2016年4月12日火曜日

共同代表4人の発言

めげずに頑張らなければならない気持ち(上田文雄)

バッシングとヘイトスピーチは続いている(小野有五)

始めたからには負けるわけにはいかない(神沼公三郎)

脅迫を誘発した張本人の考えを聞きたい(結城洋一郎

ソファ中央・上田さん、向かって左隣・神沼さん、
後の列左から小野さん、結城さん。
画面左端は伊藤誠一弁護士
(4月12日、札幌司法記者クラブで)
設立発表の記者会見は4月12日午後4時から、札幌司法記者クラブで行われた。記者会見には、7人の共同代表のうち、道内在住の上田文雄さん、小野有五さん、神沼公三郎さん、結城洋一郎さんと弁護団(2弁護士)、事務局メンバー(6人)が出席した。4人の共同代表はそれぞれに、裁判の意味と支える会の役割を語り、幅広い市民の支持・支援を訴えた。出席の記者らには的確な報道を行うように求めた。以下に4氏発言要旨。

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上田文雄さん(前札幌市長、弁護士)
1991年、25年前、従軍慰安婦に関する調査記事が捏造記事だと指弾され、植村さんはいわれなき指弾、捏造記者というレッテルを貼られた。ここにおられるメディアのみなさんが、捏造といわれたら、どのような立場でお書きになっていても職業的に死刑宣告を受けたということになる。それほどひどい表現で、何度も使われ、今日でも、事実が捏造ではないということが分かった段階でも、捏造記者というレッテルを貼られたまま、彼は大変厳しい立場に立たされている。
転職がきまっていた女子大学の就職が取り消しになり、北星学園大学の講師の地位も追われかねないという状況に追い込まれた。植村さんへのバッシングとともに、お嬢さんへの脅迫にとどまらず、大学にやめさせろという攻撃がなされた。
日本の民主主義、学問の自由、表現の自由、ひいては、われわれの知る自由を含め、基本的なところに対する厳しい挑戦が行われた。その危機感から、当初から関心をもち、事件の流れを関心を持ち続けていた。また、めげすに頑張らなければならないということで、大学にも、植村さん自身にも励まさせていただきながら今日までやってきた。
訴訟は東京、札幌と分かれているが、裁判が独り歩きしないよう、市民が関心を持ち続ける、非常に大きな事件なので、情報を共有しながら、裁判の意味、言論に対する卑劣な弾圧に、しっかりした感覚を持ち続けることが必要な事件だ。それだけの価値がある事件だ。
「支える会」という名称だが、裁判をわがことのように市民がとらえて、関心を持ち続け、支援をする会をつくりたい。時間が相当かかる裁判の展開になろうかと思う。日本の民主主義をまもるために、基本的人権の自由、学問の自由、言論、表現、報道の自由が守られる札幌であり続けるために、みなさんに関心持ち続けていただくために、報道と市民への情報提供をよろしくお願いしたい。

小野有五さん(北大名誉教授、北星学園大特任教授)
肩書きは北大名誉教授だが、現在、北星学園大で教えている。設立趣意書にもあるように、上田さんからも話があったように、植村さんは北星学園大学で非常勤講師をして、大変いい教育をされていたのだが、それに対して、非常勤講師の職を延長するなという大変ひどい脅迫があり、それは植村さんひとりではなく北星学園大学全体に対する脅迫でもあった。
教育の現場に対して、暴力で脅迫することはあってはならない。この問題は解決したといっても、いまだに根は続いている。それが今回の裁判のもとになっている、植村さんを依然として捏造記者ときめつけて、バッシングする動きがやはりずっと続いている。札幌市内でもヘイトスピーチがいろいろな場で行われている。
北星学園大学に対する脅迫が具体的な形をとったのが札幌という町だ。札幌市民として、この問題を、これで終わらせてはいけない。ずっとこれを考えて、なんとか植村さんを守るとともに、こういう問題を少しでも解決したい。ひとりでも多くの市民が支援する。いろいろな支援があると思う。こういう問題に関心をもってくださって、応援する動きをつくっていけたらと思う。

神沼公三郎さん(北大名誉教授)
私はマケルナ会の呼びかけ人の一人だ。いきさつは、これまでのおふたりの発言につきている。北星大がんばれという運動とともに、植村さんが捏造記者というジャーナリストとして決定的な汚名をきせられているため、司法の場で争うという手続きをなさった。裁判でぜひ勝利してほしいということで、共同代表の一人として名前をつらねた。
裁判を闘って勝つことの意義は、ひとことでいうと、日本の民主主義、表現の自由が大きく関わっている。裁判を始めるからには負けるわけにはいかない。微力ながら力を注ぎたい。記者のみなさんの客観的な報道を切にお願いする。

結城洋一郎さん(小樽商大名誉教授、憲法学者)
私も神沼先生と同じように、最初は北星学園大学への脅迫に対する運動から関わることになった。植村さん本人、ご家族、大学、職場に対する脅迫が許されないのは言うまでもないことだが、今回は、そのような脅迫を誘発している人の責任というものが問題になるだろうと思っている。
捏造というレッテル貼りは、果たして正当な言論活動の範囲内にあるのかどうか。名誉毀損を構成しないのかどうかということについて、発言者としてどう思っているのかは、裁判のなかできっと語られるだろう。社会全体が正当な表現活動のあり方を、この裁判を通じて考えるきっかけにしてほしい。
植村さんに対しで行われた脅迫についてのご本人(被告)たちの考えを聞いておく必要があるだろう。
そういうことを通じて、言論界で生きる者の責任が語られ、判断され、一般国民のなかにそうした理解が広まるということが、今後の民主主義、表現の自由に対して、非常に大きな意義がある。報道機関のみなさんも、この事件をよく報道され、国民に情報を提供していただければと思う。

発足にあたって(植村隆)

植村隆さんが韓国から寄せたメッセージを全文収録します。
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本日、「植村裁判を支える市民の会」(略称・支える会)が設立されたことで、私は大きな勇気をいただきました。ありがとうございます。

1昨年の2014年1月末、私を「慰安婦捏造記者」とレッテル貼りする記事が週刊文春に掲載されてから、私や私が関係する大学、そして家族などに、脅迫や誹謗中傷などの攻撃が起きました。同誌で、私の記事を「捏造記事と言っても過言ではありません」とコメントするなど、「捏造」言説を繰り返す東京基督教大学の西岡力教授らを名誉毀損で東京地裁に訴えました。いまも裁判が続いています。

また、私の記事を繰り返し、「捏造」と言い続け、「学生を教える資格があるのか」などと私の教員としての資質まで誹謗中傷してきたジャーナリストの櫻井よしこさんらに対する札幌での名誉毀損訴訟も近く始まります。

こうした重要な時期に、前札幌市長である弁護士の上田文雄さんら7人を共同代表とする「支える会」が発足しました。この2年間、私は激しい試練にさらされました。しかし、同時に数多くの市民の方々に支えられてきました。この「支える会」の発足は、そうした支援の環がさらに力強く、広がっていることを示すものだと思います。

私は「捏造」などはしておりません。しかし、2つの裁判は長く、厳しい闘いになると思います。「支える会」の方々と共に、勝利を目指して、がんばって行こうと思っています。

みなさま、どうぞよろしくお願いします。

2016年4月12日
韓国カトリック大学校客員教授・植村隆


設立趣意書

植村さんとともに、さらに前へ

  元朝日新聞記者の植村隆さんは、1991年に書いた元日本軍「慰安婦」に関する記事がもとで「捏造記者」というレッテルを貼られ、いまなお誹謗中傷を受け続けています。


 発端は、週刊文春2014年2月6日号の記事「”慰安婦捏造”朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」でした。転職先に決まっていた神戸松蔭女子学院大学に抗議が殺到、植村さんは教授就任を断念せざるを得なくなりました。14年5月からは、非常勤講師を務める北星学園大学にも「国賊をやめさせろ」「学生をいためつける」など脅迫・嫌がらせのメールや電話が押し寄せ、ネット上に植村さんの長女(当時17歳)の写真と実名がさらされ「自殺するまで追い込むしかない」などと書き込まれる事態になりました。

 「大学、植村さん家族を脅迫から守ろう。私たちも北星だ」と立ち上がったのは市民です。北星学園大学に応援メッセージを送るなど大学を励ます「負けるな北星!の会」(略称・マケルナ会)には国内外の1000人が加わりました。全国の400人近い弁護士が脅迫者を威力業務妨害罪で札幌地検に刑事告発するなど、支援の輪は大学人、宗教者、市民グループ、研究者、弁護士、ジャーナリストなど各界に広がっていきました。この応援を力に、北星学園大学は14年12月、植村さんの次年度雇用継続を決めました。

 植村さんは「私は捏造記者ではない」と手記や講演で反論を続けています。朝日新聞の第三者委員会、歴史家、当時取材していた記者らによって完全否定されても、「捏造」のレッテル貼りは執拗に続いています。脅迫、嫌がらせを根絶するには捏造記者という汚名をそそぐしかないと植村さんは2015年1月、記事を「捏造」と断定する西岡力東京基督教大学教授と、週刊文春を発行する文芸春秋を名誉棄損で訴える民事訴訟を東京地裁に起こしました。翌2月には同じく捏造記事と断じるジャーナリスト櫻井よしこさん、週刊新潮、週刊ダイヤモンド、月刊WiLLの発行元3社を相手取り、札幌地裁に同様の裁判を起こしました。

 櫻井さん側の申し立てで札幌地裁は、裁判の東京地裁移送を決定しましたが、札幌高裁は15年8月、植村さん側の主張を認めて地裁決定を破棄。最高裁もこれを支持し、この4月からようやく札幌で審理が始まります。100人を超す強力な札幌訴訟弁護団、北星学園OBらが2週間で集めた移送反対署名2500筆が、大きな力となりました。

 この間の異常ともいえる植村さん攻撃は、基本的人権、学問の自由、報道・表現の自由、日本の民主主義に向けられています。女性が生と性を蹂躙された日本軍「慰安婦」を、なかったことにし、歴史を書き換え、ものを言わせぬ社会に再び導こうとする黒い意志を、見逃すわけにはいきません。この裁判が植村さんの名誉回復のみならず、私たちの社会の将来に大きな影響を及ぼすと考える所以です。

 植村さんは2016年3月から1年契約で韓国のカトリック大学校客員教授に就任し、教育・研究活動を韓国で行い、裁判を東京と札幌で闘う生活が始まりました。すでに東京訴訟の審理は4回開かれましたが、どちらも一審で決着がつく裁判ではありません。

 長く険しい道を乗り越えていくため、札幌訴訟の審理開始にあたり、これまでの多種多様な取り組み、そのエネルギーを結集し、植村裁判支援組織を整えることになりました。趣旨に賛同していただけるすべての人々に参加を呼びかけます。
  2016年4月12日                 

植村裁判を支える市民の会 

共同代表
上田文雄(前札幌市長、弁護士)
小野有五(北海道大学名誉教授)
神沼公三郎(北海道大学名誉教授)
香山リカ(精神科医)
北岡和義(ジャーナリスト)
崔善愛(ピアニスト)
結城洋一郎(小樽商科大学名誉教授)


参加申し込み書

WEB版
民主主義を守る輪に入ってください
植村裁判を支える市民の会
2016年4月12日

元朝日新聞記者の植村隆さんが、ジャーナリストの櫻井よしこ氏と週刊新潮、週刊ダイヤモンド、月刊WiLLを訴えた名誉毀損訴訟などを支えるために、市民、学者、弁護士たちで「植村裁判を支える市民の会」(略称:支える会)をつくりました。

櫻井氏は植村さんが25年前の1991年に報じた慰安婦問題の記事を「捏造」と批判しています。植村さんは内定していた神戸の大学教授職を断念せざるを得なくなり、非常勤講師を務めていた北星学園大学にも「国賊をやめさせなければ爆破する」という脅迫や嫌がらせが殺到しました。高校生だった娘さんは「地の果てまで追い詰めて殺す」と殺害予告を受けました。植村さんの記事が捏造でないことは、朝日新聞の第三者委員会などで明らかにされているのに、櫻井氏は「暴力的言辞を惹起(じゃっき)するものがあるとすれば、朝日や植村氏の姿勢ではないでしょうか」(2014年10月、週刊文春)などと、まるで植村さんらへの脅迫攻撃を煽るかのような発言をしています。

この裁判は単に植村さんの名誉回復を求めるのではありません。報道・表現の自由、学問の自由…日本の民主主義を守るための闘いであります。
植村裁判の傍聴、報告集会の参加・宣伝にご協力下さいますよう、呼びかけます。

共同代表(五十音順)
上田文雄、小野有五、神沼公三郎、香山リカ、北岡和義、崔善愛、結城洋一郎

「支える会」には①会員、②入会しないけれども、どんな運動か知りたい、参考情報がほしいという方と、2種類のコースを設けます。②はメールニュースを受け取るだけの「メル友」です。どちらも無料で、何かしなければならない義務はありません。
 
情報発信・連絡先はこちらです。
「支える会」公式ブログ https://sasaerukai.blogspot.jp
連絡先電話 090-9755-6292(山本)

カンパ用振替口座(ゆうちょ銀行)02700-3-70778
メールでの申し込みはuemurasasaeru@gmail.com  。書ける範囲で結構です。
1.会員 2.メル友 を希望します(どちらかを選んでください)
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上記個人情報については、当「支える会」の活動に関してのみ使用し、他の団体に流用することはありません。



2016年4月11日月曜日

札幌の審理迫る

【4月22日(金)のスケジュール】
■第1回口頭弁論
時間:15時30分開廷
場所:札幌地裁805号法廷(札幌市中央区大通西11丁目)
傍聴券の発行と抽選が予想されます。開始30分前までのご来場をお願いします。
傍聴できなかった方の控え室として札幌市資料館の2階会議室を用意しています。
記者会見
時間:17時開始
場所:北海道高等学校教職員センター(高教組会館)4階大会議室(大通西12丁目)
市民のみなさまにも公開します。植村さんと弁護団の報告があります。
報告集会
時間:18時30分~20時30分(開場18時)
場所:かでる2・7 4階大会議室(北2条西7丁目)、入場無料
【講演者】
佐高信さん(評論家)、上田文雄さん(前札幌市長、弁護士)

連絡先 uemurasasaeru@gmail.com 090-9755-6292

2016年4月10日日曜日

櫻井よしこの歴史観

2月にあった「改憲集会」で櫻井よしこ氏が行った講演について、ウェブニュースサイトIWJ(IndependentWebJournal)は、神話と事実の区別がつかなくなった「自称ジャーナリスト」の荒唐無稽な発言だ、と批判しています。同記事の一部を転載します。
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「日本国は天照大神の子供の神々様から始まった」、「神話が国になったのが日本」と言ってのけた櫻井よしこ氏。日本国憲法前文を「アホちゃいますか」と侮辱し、「いざというときは雄々しく戦える日本人であること」を、憲法に書き込めと断言!
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/288094

「日本国はまさに天照大神の子供の神々様から始まって、神話の世界から生まれて、そして神武天皇が即位なさって、神話が国になったのが日本です」―
220日、横浜市の関内ホールで開催された「今こそ憲法改正を!神奈川県民大集会」。およそ1000人の参加者で埋め尽くされた大ホールにおいて、櫻井よしこは、戦前の皇国史観そのままの歴史館、国家観を披瀝した。

同会を主催した「憲法改正を実現する神奈川県民の会」は、日本最大の右派組織である、「日本会議」系の団体である。日本会議神奈川や神奈川県神社庁長、神道政治連盟、新しい歴史教科書をつくる会など、右派系の政治・宗教団体によって構成されている。
同会の主張は、改憲によって、憲法の中に「天皇を国家元首に位置づけること」「92項を改正し、自衛隊を軍隊として明記すること」「緊急事態条項を新設すること」「家族保護の規定を書き込むこと」だ。まさに「戦前回帰」の「極右」の主張そのものである。
驚くべきことは、これほどイデオロギー的に右へ偏った団体の集会に、なんと安倍総理と菅官房長官の二人が、堂々と
「祝電メッセージ」を送ってきたことである。

<中略>

ジャーナリストは、まず第一に「事実」に忠実であるべきだ。その点は歴史学でも同じであり、科学も法学も同じであって、何よりもまず事実に基づかなくてはならない。これが近代実証主義の理念である。19世紀に諸分野で確立され、神話や迷妄と、客観的事実にもとづく認識や記述とを峻別したこの近代的な実証主義の原理を、「ジャーナリスト」を僭称する櫻井よしこ氏が、あっけらかんとひっくり返してみせた。

「日本国はまさに天照大神の子供の神々様から始まって、神話の世界から生まれて、そして神武天皇が即位なさって、神話が国になったのが日本です」

実証もできない、事実と確認することもできない、それどころか明らかに歴史的事実としてはありえないことまでも、あたかも「事実」「史実」であるかのように扱い、現代の国家に直結していると論じたのである。

「我が国は、神話の時代から、ずっと権力とは無縁の、私達の心の支えである皇室を中心に、皇室の権威と、世俗の権力とが相補い合いながら、国や国民を守ってきた。 穏やかな文明、でもいざというときには雄々しく戦ってきました。この国を守るために、私たちは、いざというときは雄々しく戦える日本人であります。その私達を、なんで憲法はひとことも書いてないの?」

驚くほかはない。櫻井氏は現代の日本が「神話」から連続していると言い切っているのだ。「神話」を持ちだしてきて、現代においてそれを憲法改正する際の規範として考えるなど、もはや正気とは思えない。
先述の三原じゅん子議員もそうだが、神武の建国の詔をありがたくおしいだく、ということは、神武天皇の存在についても建国の詔についても、事実だと信じこんでいることになる。仮に「日本書紀」の記述をそのまま信じて、神武天皇が実在したとみなすなら、神武から数えてそのわずか4代前の祖父であるニニギノミコトも生身の人間として実在した人物ということになる。
ニニギノミコトの祖母は、天照大神(アマテラスオオミカミ)である。これはもちろん、人間ではない。「神様」である。その「神様」であるアマテラスの孫としてニニギノミコトが生まれたのはこの日本列島上のどこかではなく、地上ですらない。高天原(たかまがはら)という「天上」世界が、ニニギの生まれた故地でなり、アマテラスが住む場所でもある。
ニニギノミコトは、天照大神からある日、「この豊葦原瑞穂(とよあしはらのみずほ)の国(=日本列島)を治めなさい」と命じられ、天から降臨したことになっている。これが「日本書紀」における「天孫降臨」の記述である。

櫻井よしこ氏の言い分に従えば、この荒唐無稽な「天孫降臨」の記述をも、「歴史的事実」として認め、信じる、という話になる。こうなるともはや、「聖書」に書いてあることはすべて事実だと信じて進化論を否定するようなキリスト教原理主義者を笑えない。
(取材・安道幹 記事構成・岩上安身)

2016年4月9日土曜日

参加呼びかけ

植村裁判を支える市民の会(準備会)が、「参加呼びかけ」をメールで発信しました。
(4月9日)
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不屈の民主主義をつくるために
~「植村裁判を支える市民の会」に参加を~

職場に名指しで「殺す」「辞めろ」という脅迫、嫌がらせメールが殺到し、高校生の娘がネットで名前と写真をさらされ、「自殺するまで追い込め」と書き込まれる。こんな目に遭ったら、あなたはどうしますか。

札幌在住の元朝日新聞記者、植村隆さんは実際、こういう経験をしました。2014年以降、転職予定だった神戸松蔭女子学院大学の教授職を諦め、非常勤講師を務めていた札幌の北星学園大学は爆破予告を受けて何千万円もの警備を強いられ、高校生の長女は「地の果てまで追い詰めて殺す」と殺害予告を受け、登下校時にパトカーが警護する事態に追い込まれました。

原因は、25年前に書いた慰安婦問題の記事への「捏造」批判です。「捏造」とは、単なる誤報ではなく、意図的なでっち上げを意味する言葉です。新聞記者が捏造すれば、懲戒解雇もの、「捏造」のレッテルはジャーナリストにとって死刑宣告と同じです。

著名なジャーナリストの櫻井よしこさんは、植村さんに対し、週刊誌の記事や、それを転載した自身のホームページで、「捏造」と断じました。「植村氏の捏造報道と、学問の自由、表現の自由は異質の問題である」「明確な捏造記事である」(週刊新潮2014年10月23日号)などと「捏造」という断定を繰り返しました。

その際に引用しているのが、西岡力・東京基督教大学教授の言説です。西岡さんは著書や雑誌記事で、元慰安婦の裁判支援をした韓国の遺族会幹部である義母のために、記事を意図的にでっち上げた、と断定しています。この言説は、朝日新聞の検証報道、同社の第三者委員会、当時、慰安婦問題を報じた社内外の記者の証言によって完全に否定されました。にもかかわらず、慰安婦の強制性を否定する櫻井さん、西岡さんらは、執拗に「捏造」のレッテルを貼り続けています。

植村さんや長女、北星学園大学に対する激しい脅迫と、大学を励ます「負けるな北星!の会」発足を伝える朝日新聞の記事に対し、櫻井さんは、「脅迫状やネット上の攻撃を奇貨として自己防衛を図るかのような、朝日の姑息な精神」(週刊新潮14年10月23日号)と書きました。「社会の怒りを掻き立て、暴力的言辞を惹起しているものがあるとすれば、それは朝日や植村氏の姿勢ではないでしょうか」(週刊文春14年10月23日号)とまで、言い放ちました。

「植村バッシング」に萎縮し、新聞、テレビは、慰安婦問題を史実として掘り下げなくなりました。「捏造」言説は勢いを増し、歴史学の常識までも否定されかねない危機を招いています。植村さんは、異様な言論状況下でやむを得ず、司法の場に救済を求めました。

私たち、「植村裁判を支える市民の会」(略称・支える会)は、櫻井さん、西岡さんらを相手取り植村さんが起こした裁判を支持し、支援します。ひとり植村さんの名誉のためではありません。言論・表現・報道の自由、元慰安婦の尊厳、そして歴史の真実を追究する良心を守るためです。
この趣旨に賛同する、あらゆる力を結集しましょう。不屈の民主主義をつくるために。


「植村裁判を支える市民の会」準備会