2016年8月2日火曜日

野田正彰さん講演録

日本軍の性暴力=慰安婦問題を考えるということは、私たちの社会のゆがみを見つめ、私たちの人間性を振り返っていくということで

札幌訴訟第3回口頭弁論後の報告集会での講演を要約して収録します(7月29日) 

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慰安婦問題との関わりを振り返りますと、1990年ごろだったと思いますが、鑑定を依頼されたことがあります。私は天邪鬼なところがあって、韓国の慰安婦については多くのマスコミが報道していて、同じことはしたくないので、私は中国の慰安婦の鑑定を引き受け、台湾、フィリピンのおばあさんたちを診ました。
そこで一つの視点を、みなさんに提起したい。マスコミや社会的な評判になっていることに関して、フォーカス効果といわれることがある。光がある一つのところに当たると、その周りが見えなくなることを言うのですが、慰安婦問題もそうではなかったか。
日本軍はひどいことをいろいろなところで行ったのですが、韓国の慰安婦問題が90年代にああいう形で提起されると、多くの日本人は慰安婦問題は韓国の女性問題と焦点化し、理知的にはそうではないとしても、感覚としてはそのように捉えたのではないか。今回の日韓の合意に関して、政府は今回の交渉は台湾、中国などに広げるものではないと、とすぐに言いました。多くの女性が性奴隷にされたことが忘れられています。これが私たちの政府の姿であり、私たちの意識の反映であることを忘れてはならない。


■日本軍の特異性――性的暴力に加え、虐待、暴行の限りを尽くす

私は海南島、中国とベトナムの間の大きな島ですが、東京高裁の鑑定で2度訪ね、10数人を診ました。また中国の太原も訪ね、台湾では当時確認されていた40数人のうち10数人を診察し、その後も相談に乗ってきました。東京高裁に提出した事例のいくつかはみすず書房から出した「虜囚の記憶」にサンプルとして紹介している。
中国・山西省のあるケースでは、日本軍はある村の役場を占拠してから、近くの若い女性をさらいに行く。当時の敵の八路軍に男を出しているのではないかといった口実を一応付けるが、実は若い女性がいる情報を事前に集めておいてから行くわけです。そして八路軍に家族を出しているとか口実をつけて、若い女性を縛って、担いで駐屯地へ設けた慰安所へ連れていく。3畳ほどの、窓もない部屋が並ぶ長屋のようなところに4、5人の女性を放り込んで、男たちが順々に強姦していく。人により違うが、昼間は3、4人、夜は将校のクラスが来る。

日本軍の特異性というのは、こうした性的暴行の対象としたうえで、さらに慰安婦たちを日中連れ出して、村で何が行われているか言えと責めて、暴行を加えているということです。軍靴で蹴とばし、銃座で殴る。それで骨が砕ける。3、4カ月もすると衰弱し、使い物にならなくなる。すると、駐屯地の近くにむしろで包んで捨てる。それを村の人が助け出す。しかし、多くの人は死んでいく。そんななか奇跡的に命を救われた一人は、両大腿骨と腰椎が砕けて、身長が数センチも縮んでいた。こうした状況はほとんどのところで聞かれました。
 
さて皆さんの想像力ですが、私の今の話を聞いて、どう思われたでしょうか。私たちはいま、韓国の女性のことを聞きながら、日本軍が中国はじめ東南アジアの各地の戦線で、何をしてきたのか考えたでしょうか。これまで想像できたでしょうか。もう一つ質問したい。(日本軍から捨てられた)16、17歳の女性がその後、どう生きていくことができたか。どんなに大変だったか。メタメタにされた体で、多くの人は乞食をしながら生きていく。その場所は黄土高原の穀物もほとんど獲れないところです。もう一つ想像してください。では簡単に乞食ができただろうか。多くの人からは〝日本の女〟として差別され、排除され続けました。

■彼女たちの思いが届かない日本社会の鈍感さ、醜さ

彼女たちがその後、生きていくことが、いかに大変だったか、日本のマスコミは問題にしたでしょうか。報道したでしょうか。彼女たちがなぜここまで名誉の回復を求めるのか。その言葉の裏には、戦後の60-70年を生きていくことがいかに困難だったかがあるわけですが、それを想像できるでしょうか。一人一人が受けた困難を日本政府が認めることによって、自分が生きてきたことに意味があったことを確認し、そして自分の地域社会に認めてもらいたいという思いがあったからです。裁判を起こしたのはそういう思いがあったからです。しかし、それは日本の社会、市民に届いていない。まして、いつまでも何を言ってんだという声が出てくる。これは人間の鈍感さ、醜さの表れです。

裁判は精神的外傷の認定を求めるものですが、それは当たり前のこと。私はPTSD(Post Traumatic Stress Disorder:心的外傷後ストレス障害)は米軍が戦争遂行のため、保険を通すために作った誤った概念と思っている。加害も被害も一緒くたにして、殺したこと、死ぬということを一定期間のインターバルで思い出す、フラッシュバックするなんてありえない。私はベトナムに派遣された韓国兵にインタビューし、生き残ったドイツ兵を診断したが、すべての人に苦しみはずーっと続いていました。忘れた期間があるなんてありえない。
慰安婦の人たちも一瞬たりとも忘れられない。60数年たっていても、村の道を歩いていて竹林がざわざわ揺れると、日本兵が飛び出してくるのではないかと足がすくんでしまう。夜中に扉が風で揺れると、中にいたおばちゃんがキャーっといって家を飛び出して震えている。孫が「戦争は終わったのよ」と抱きしめ続けても、おばあちゃんは日本軍が雨戸を破って入ってきて連れ出していく感覚の中に連れ戻されている。

PTSDの症状はこうして全員に続いているわけだが、私は「破局的体験後の人格障害」という概念を東京高裁に提出した。それは持続的に人格が変わってしまうということです。どんなに変わるかというと、望まれるままに素晴らしく成長した女性も、(ああいう経験をすると)、人格が硬直してしまう。基本的に世間に対して疑い深く、周りに警戒的、家族も信じられない。引きこもり―積極性がなくなる。何事にも無力感があり、生きていることに空虚感を持つ。常に危機に瀕している慢性的な感情、人に対するよそよそしい態度…人間としての尊厳が徹底的に、かつ持続的に壊されると、人の性格はこうも変わってしまう。

■破局的な体験の後に人格障害で苦しむ被害者たち

海南島のおばあさんの1人は人格的に変わっているし、村も(変わってしまった彼女を)受け入れる力がない。そこでおばあさんは小さな掘っ立て小屋を建ててもらって、牛だけと鼻をくっつけるようにして生きてきた。子宮筋腫だと思うが、年老いて大量の出血と貧血に苦しむようになった。それを若いときの性の乱れ―決して本人の責任ではないが―と苦しみながら、日本に謝罪を求めて、村落の名誉回復のために裁判を起こした。
東京高裁では私の鑑定書が全面的に採用されました。判決文は「破局的な体験後の人格障害」にいずれの女性も苦しんでいるとし、軍の威圧のもとで自己の性的満足を得ようとする本件の凌辱行為は陸軍刑法や海軍刑法でも強姦罪という重大な犯罪行為というべきで、最も卑劣な行為と厳しい批判を受けなければならない。本件女性たちの被害は重大で、癒されたとか、償われたとも言えない、とした。しかし、1972年の日中の平和条約締結で請求権は消滅したとして、最終決定はおばあさんたちの訴えを棄却した。このように判決は鑑定内容を全面的に認めているが、私たちはこうしたことをほとんど理解していない。
 
ところで、韓国では日本は女性たちをさらっていった。外地に行けば看護助手の仕事があるとか、食事の世話をするとかいってだまし、明らかに軍が関与する船でシンガポールやミャンマーなどに送りだした。
しかし、これらと中国や南方の人の扱いは明らかに違いがある印象だ。中国の女性たちは性的暴行の対象にされたうえ、暴行で殺されている。これは日本人の、日本の男の精神性がどうだったのかを示している。つまらん比較をするなとも言われるが、私は考え込まざるを得ない。日本軍の兵士は暴行した女性を殺しただけでなく、妊娠していた女性の腹まで割いている。こうした事例は枚挙にいとまない。なんで、ここまでするのか。軍の教育に希望がない。男たちは生きて帰る希望のない戦争を強いられた。何をしてもおしまいだという戦争を強いられていた。

■日本軍国主義の”文化”は敗戦で消えたわけではない

ロシア(ソ連)の兵士たちが中国東北部(満州)に入り、ベルリンにも進撃し、性的暴行の限りを尽くしているが、日本の軍国主義とは異なる様相をみせる例がある。被害者女性と兵隊とのそれなりの戦場における人間的交流が報告されている。日本軍の性的暴行を受けた女性の話を聞くと、かなり違う。女性が親切をしたのに骨盤を砕かれて、両大腿骨を折られた。なぜ、ここまでする軍隊をつくったのか。それは現代まで続く日本社会の歪みではないでしょうか。あの硬直した―何かあると「生か死か」とアホなことをいって、怒鳴り声をあげる。こうした戦前の、常に緊張する文化が、敗戦と同時に消えたわけではない。

軍隊は解散されたけれど、すぐ防衛とか何とかいって復活させただけでなく、社会のあり方は〝硬直〟のままです。一つの手段を設定すると、それで最大の効率を上げればよいとなる。兵士たちは戦場でどうせ死ぬのだから何をやってもよいとなり、敵の女性を自分の性的対象にする。こうした文化が天皇制の下で強制され、今も続いているのではないでしょうか。

韓国の慰安婦問題はきちんとぜひ考え続けてほしい。しかし、政府、マスコミによってつくられる焦点(フォーカス)効果で、おそらく何十倍もの中国、東南アジアの被害者について私たちは考えないし、責任もとっていない。
挙句の果て、どこの国の軍隊も同じという論評がどこにでもあります。
韓国の慰安婦の女性に対して政府は公的な謝罪をする必要はあるが、しかし、反省というものは相手の社会に対するものではない。私たちの社会がまともになるため、硬直した、人間を性的奴隷にしてしまうまでに落ちぶれた社会を、私たちに取り戻すために反省するのです。

■中国、東南アジアに及ぶ被害を日本政府はどうするのか

中国には歴史学会の講演などで何度も行きました。印象的だったのは、中国の新聞社のトップの1人が小泉首相(当時)の靖国参拝について、日本の政治家は何か勘違いしているのではないか、といっていたことです。私たちは政治家に靖国に行ってくれるなといっているわけではない、この靖国参拝は日本のためにならないことだという。かつて私たちの国は立ち遅れ、国はバラバラだったが、いまは一国として軍備を整え、2度とあのような戦争を起こさせない自信がある。だから戦争で何をしたかを考えるのはあなた方の問題ではないでしょうか、というわけです。

あれから20年、中国の構えも変わってきたようです。しかし、戦争を振り返り、慰安婦のことを振り返るのは、私たちの社会をまともにする、よくするのであって、謝ってよい印象を持ってもらおう、相手の国との貿易をよくするとかというわけではない。
そして慰安婦にされた被害者には、よくぞ生きていてくださったと感謝を伝える必要があります。そして病気に苦しんでいる人に(私たちは)何ができるかを考えることではないだろうか。

私は韓国、台湾で、社会で孤立しているおばあさんたちと開く食事会に参加してきた。何度か頼まれて、往診もした。しかし、私たちの政府は何もしないままでいます。そして今回の日韓交渉での合意内容は中国や東南アジアに及ぶものではないと説明する。こうした政府をつくっているのは私たちです。よく〝普通の国〟にならなければといわれる。しかし、私は普通の社会でないのに、どうして〝普通〟ができるのかと思いますね。

■右傾化の中枢にいる櫻井よしこの威圧的、権威主義的パーソナリティ

そして櫻井よしこ氏です。何度となく食事したことがあるのですが、その櫻井氏が植村裁判の冒頭で、植村報道のためどれだけ多くの日本人が恥ずかしい思いをしたか、不名誉に苦しんでいるかと、とうとうと述べています。
私はこういう発想で、アジテーション的な発言すること自体が、ファッショ(全体主義)的な姿勢だと思います。どうして彼女は、日本人の感情を勝手に代表することができるのでしょうか。自分の都合のいいように、国家とか民族とかの論理にすり替え、人を威圧する。まさに近代日本が行ってきた権威主義的パーソナリティといえる。自ら行ってきたこと、感情を見つめることなく他人を攻撃する、少数者に対して威圧的に構えるのが権威主義的な人のパーソナリティです。

そんな彼女が、「日本会議」など右傾化を代表する組織の代表のような立場にいる。私には不思議です。勘ぐりですが、何か裏があると思う。彼女が右傾化する日本の政治の中枢になぜいるのか。自己の生き方、感情を隠して、集団を代表するような発言を繰り返す。それは近代日本が、ずーっとしてきたことです。「世界に冠たる日本」とか言って、人々を戦場に行って死ねと追い詰め、生きて帰らないのだから、証拠隠滅すれば何をしてもよいという日本を作り出した。

慰安婦問題を考えるということは、私たちの社会のゆがみを見つめ、私たちの人間性を振り返っていくということです。

(まとめと文責・山本)