2016年11月27日日曜日

12月の裁判近づく

東京、札幌両訴訟の次回口頭弁論が近づいてきました。ことし最後の弁論となります。
東京訴訟では、前回(8月3日)に植村さん側が証拠提出した大量の「脅迫メール」について、被告側がどう陳述するかが注目されます。また札幌訴訟では、名誉棄損表現が「事実の摘示」にあたるかどうかについての被告側の前回主張(11月4日)に対して植村さん側が陳述し、さらに被告らの言説によって引き起こされたバッシングによって植村さんが受けた「損害」についての主張も開始します。
どちらも重要な展開が予想されます。引き続き、ご注目ください。傍聴と集会への参加もよろしくお願いします。

【東京訴訟】 被告=西岡力・東京基督教大学教授、文藝春秋
2016年12月14日(水)
▼第7回口頭弁論、午後3時~3時30分、東京地裁103号法廷 (集合2時45分までに)
▼報告集会、午後4時15分~5時30分、参議院議員会館講堂
 弁護団の報告「これまでの到達点、今後の焦点」、植村さんの報告「広がる支援と理解。反響を呼んだ『真実』韓国版」
 主催:植村東京訴訟支援チーム、共催:新聞労連、メディア総合研究所、日本ジャーナリスト会議

【札幌訴訟】 被告=櫻井よしこ氏、新潮社、ダイヤモンド社、ワック
2016年12月16日(金)
▼第5回口頭弁論、午後3時30分~、札幌地裁803号法廷 (集合2時45分までに)
▼報告集会、午後4時30分~6時30分、札幌市教育文化会館4階講堂
 弁護団と植村さんの報告の後、講演「『慰安婦問題』の現在」(女たちの戦争と平和資料館事務局長渡辺美奈さん)があります
 主催:植村裁判を支える市民の会、日本軍「慰安婦」問題の解決をめざす北海道の会

2016年11月20日日曜日

俵義文さんの講演録

札幌訴訟第4回口頭弁論後の報告集会で行われた講演(要旨)です。

講演「日本会議とは何か」 

教科書と学習指導要領の次に憲法の改悪めざす極右組織

子どもと教科書全国ネット21事務局長■俵義文さん


■植村さんの勝利を確信 今日の法廷に、見たことがある弁護士がいました。南京事件をめぐる2件の裁判で、虐殺事件を否定する側の弁護団長でした。当時、その隣にいたのが今の防衛大臣、稲田朋美弁護士です。敗訴してから彼女が書いた南京事件の本が自民党の安倍晋三幹事長代理の目に留まり、それが政界入りのきっかけだったそうです。
沖縄戦集団自決の軍関与が争われた裁判を含め連戦連敗してきた弁護士の顔を見て、植村さんは絶対勝てると確信しました。

日本軍「慰安婦」問題を展示する「女たちの戦争と平和資料館」に先月、爆破予告の脅迫状が届きました。実は慰安婦に関連する同様の脅迫は1996年にありました。中学校の97年版教科書に日本軍「慰安婦」の記述が登場すると報道された年です。報道直後から右翼や右派の学者・メディアによる教科書「偏向」攻撃が始まりました。
当時私は出版労連の教科書対策部長で、各労組を通じたりして教科書会社への様々な圧力を調べていました。嫌がらせの中には社長の自宅の写真を同封し、朝日新聞襲撃の犯行声明「赤報隊」を引き合いに「草の根を分けてでも探し出す」と、社長や執筆者へのテロをにおわせる卑劣極まりないものがありました。

■架空の話を語る「戦うジャーナリスト」 植村裁判の被告、櫻井よしこ氏が「戦うジャーナリスト」と右派にもてはやされるようになったのはこの時期です。横浜市教委が96年10月、櫻井氏を招いて教職員研修を開きました。テーマは「国際理解を深めるために」。櫻井氏は途中から、頼まれてもいない慰安婦問題に話題を移していきました。
「慰安婦は強制連行ではないというのが私の信念である。私が愛し尊敬する両親と同じ世代の良き日本人たちが、南京事件を起こしたり強制連行をするはずがない。私の血の中から疑問を感じる。2つの事件は日本の学校では誤って教えられている」。朝鮮の植民地化を正当化し、福島みずほ弁護士(現参議院議員)との架空の作り話も語りました。
人権団体などの抗議、申し入れで、神奈川、兵庫、埼玉県などで予定されていた櫻井講演は全てキャンセルされました。櫻井氏はこれを朝日新聞で「言論弾圧」と主張。右派ジャーナリズムが取り上げ、読売新聞は社説でも書きました。今は日本会議の広告塔で中教審委員、天皇の生前退位について有識者会議が意見を聞く「専門家」の1人です。

改憲実現をめざす極右政権の安倍内閣は、閣僚20人のうち16人が日本会議議連に所属しています。日本会議は97年5月、天皇中心国家をめざす「日本を守る国民会議」と宗教右翼組織の統合で発足しました。ともに元号法制化(79年)の運動から生まれ、「憲法改正」をめざしてきた右翼団体です。
草の根改憲運動を展開する「美しい日本の憲法を作る国民の会」の設立総会(2014年10月)で衛藤晟一首相補佐官は「最後のスイッチが押される時が来た。最終目的の憲法改正のために第2次安倍内閣は成立した。参院選がある平成28年のそのときまでに、われわれが憲法改正を実現する状況をつくるかどうか、その1点に尽きる」と発言しています。
この「国民の会」共同代表は、日本会議の会長(田久保忠衛)、名誉会長(三好達)と櫻井氏の3人。1000万署名運動などに取り組んでいます。憲法改正の国民投票で過半数を得る基礎のための1000万で、今年5月3日発表の700万人から7月末754万人、目標達成府県24。日本会議の都道府県本部や地域支部などが機能していることをうかがわせます。
安倍政権の改憲運動は、93年7月総選挙で自民党が敗北、野党となったことが出発点でした。日本軍「慰安婦」に軍の関与を認めた河野官房長官談話(93年)、細川護熙首相の「日本の戦争は侵略戦争だった」発言、戦後50年国会決議をめぐる対立は激しくなり、教科書問題も対立の舞台でした。
安倍晋三、岸田文雄(外務大臣)といった「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(教科書議連)設立メンバーは、自民が敗北した総選挙の初当選組です。

日本会議は60~70年代の右翼・民族派学生運動の活動家がコアメンバーで、宗教団体「生長の家」出身者たち。支部249、会員3万8千人。元号法制化、国旗国歌法制定、教育基本法改正、道徳の教科化を実現させ、選択的夫婦別姓法案や外国人地方参政権法案反対などを掲げています。日本会議地方議員連盟(会員1630人)と連係して議会決議を挙げて、地方議会から目標実現をめざす活動も進めています。

■議員連盟を通じて次々に要求を実現 日本会議の議員連盟が作られていることは、彼らにとっても私たちにとっても非常に重大な意味があります。これまでの右翼運動は、ことがあると議員と連係する時限立法的な関係が常でした。それが恒常的に合同の役員会や勉強会を開いたり、議連の勉強会に日本会議の学者や文化人を講師にする日常活動になってきました。日本会議の幹部には安倍のブレーンが並んでいます。
そして日本会議の要望、方針が、議連の国会議員によって様々に具体化され実現している状況が生まれています。たとえば文科省が02年に小学校に配った道徳の本「心のノート」です。道徳を教科にし教科書を作れという日本会議の主張を議連所属の議員が国会で質問したら、議連会長代行の中曽根弘文文部大臣は「検討する」と答弁。1週間後に本を作ることが決まりました。日本会議は「われわれの要求が国会質問で実現した」と成果を誇っていました。

同様の事例は06年の教育基本法改悪でした。「人格の完成」をめざす子どもが、国家や大企業のための人材に変わり、教育基本法を全面実施する学習指導要領は家族や地域も縛る内容になります。そこにも日本会議が大きな役割を果たしています。

日本会議が今、何よりも力を入れているのは憲法改悪です。しかし簡単にはいかないことも事実です。そこで狙っているのは緊急事態条項から手をつけることです。大規模な災害などに対応するためなら受け入れられ易いという考えです。緊急事態宣言で、ナチスが憲法に拘束されず無制限の立法権を握った全権委任法と同じ役割を果たします。戒厳令と同じで、極めて危険な手法と言わなければなりません。

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2016年11月4日夜、札幌市教育文化会館で
まとめ構成: H.H 

2016年11月13日日曜日

植村隆のソウル通信第5回

ローソク大集会で考えたこと

大統領府に近いデモの最前線。警察当局はバリケードをつくって
デモ隊の進入を防いでいた(11月12日夜、ソウルで)
光化門広場の李舜臣(イ・スンシン)銅前では
13日に日付が変わっても集会が開かれていた








































ソウル市内での講演会に向かうため、11月12日午後、カトリック大学の地元・駅谷(ヨッゴク)駅から地下鉄1号線に乗った。私の大学は、ソウルにすぐ隣接している富川(プチョン)市にある。仁川(インチョン)とソウルの間にある都市だ。この地下鉄1号線は、その仁川とソウル中心部を結んでいる。地下鉄は超満員だった。

この日は、ソウル市中心部の光化門(カンファムン)周辺で、朴槿恵(パク・クネ)大統領の退陣を求める大規模なローソク集会が計画されていた。この1号線は、集会の集結場所であるソウル広場のある市庁(シチョン)駅に直通で行けるのだ。

私は途中で、地下鉄2号線に乗り換えなければならなかったが、超満員で身動きが簡単にとれず、下車するのに苦労した。車内で誰かが、「大統領一人のためにこんなに混んだ」という趣旨の言葉を発した。この車内の多数の人びとも、集会に向かっているようだった。

私も集会に行きかったが、私が講師の講演会なので、キャンセルするわけにはいかない。集結場所とは反対の江南(カンナム)地区にある講演会場へ向かった。
講演は午後6時すぎから、8時ごろまであった。日本人や日本語を解する韓国人が30人以上集まってくれた。質問も相次ぎ、盛り上がった。講演会の後、近くのビヤホールで懇親会が開かれた。

■主催者発表100万人 ビヤホールでは壁面の大きなスクリーンで、デモを生中継するテレビの映像を映していた。まるで、パブリックビューイングである。
「主催者発表100万人、警察の推計26万人」などという情報も字幕で流れていた。
私はその映像を食い入るように見た。しかし、画面で見る限り、大きな混乱はなく、警察側も、デモ参加者に対して、力で対応している感じはなかった。デモ隊も暴力的ではなかった。
懇親会参加者の韓国人の男性が「韓国のデモもレベルが上がった」と話していた。
テレビの画面では、「地下鉄1号線も終電を延長する」と伝えていた。

「やはり現場に行こう」。懇親会が終わった後、集会の現場に行くことにした。友人の日本人と二人で江南駅から地下鉄に乗った。
午後11時20分ごろ、デモの最前線にあたる地下鉄景福宮(キョンボックン)駅に着いた。4番出口は、警官隊が階段に集結し、封鎖していた。「これは大変だ」と思って、反対側の出口から、地上に出た。周辺には、まだ多数の人々が集まり、「朴大統領は下野しろ」などと叫んでいた。

大統領の住む青瓦台(大統領府)に一番近い、交差点付近が最前線だった。そこで集会参加者と警官隊が対峙していた。人々が密集していたが、比較的簡単に最前線まで行けた。
大統領府に向かう道には、警官隊が巨大なフェンスを設置し、それより前に進めないようにしていた。その場所で、集会参加者はフェンスを開けろとか、大統領下野のスローガンを繰り返していた。しかし、デモ隊も警察官隊も暴力を使うことはなかった。

■解放区の祝祭のよう 民主化運動が高揚していた1987年当時、私はソウルに留学していた。その時は、デモには催涙弾がつきものだったが、今回の集会ではそういうものもなく、人は多いが平和的なムードが漂っていた。恋人同士や、家族連れの姿も見えた。光化門周辺は、交通が遮断され、広い道を人々が行きかっていた。複数の場所で、コンサートをしていた。
まるで解放区で祝祭をしているような雰囲気が漂っていた。その一方で、集会で出たゴミを集めている人々もいた。デモ参加者のようだった。

光化門広場の李舜臣銅像周辺にはたくさんのテントが張られていた。ここで泊まるのだろうか。銅像前では13日に日付が変わっても集会が開かれていた。 
「終電に遅れるかもしれない」。急に不安になって、地下鉄市庁駅に急いだ。途中、たくさんの屋台が出ていた。焼き鳥、焼きイカ…、カップヌードル、ビールなども売っていた。いいにおいがしている。うまそうだ。腹ペコだったが、乗り遅れると困るので、じっと我慢。

午前0時15分ごろ、駅のホームに下りたが、もう富川駅まで行くのはなかった。手前の九老(クロ)駅までの終電に乗った。そこから苦労して、タクシーに乗って、大学のゲストハウスに戻った。

翌13日、日曜の朝、韓国の新聞がどんな報道をしているか、読もうと思ったが、毎週日曜日は休刊日だったことに気づいた。購読している韓国経済新聞も、日曜日は休みだ。仕方ないので、ネットで見ることにした。
韓国経済新聞電子版の見出しは、「『大韓民国は偉大だった』 100万人ローソク集会平和的に終わる」とあった。ゴミも残さず、混乱もなく、集会が終了したことを讃えていたのだった。
同紙は、集会参加者の女子高生の声も伝えていた。朴大統領の母校である聖心女子高校の生徒たちが、集会で壇上にあがり、こう発言し、下野を求めたのだという。
「『真実、正義、愛』という校訓は、先輩(朴大統領)のどの行動からも見出せません。私たちはあなたを大韓民国の代表と思って生きていく、自信がありません」

■燃えたぎる反朴感情 朴大統領が親友の崔順実(チェ・スンシル)容疑者に機密文書を渡していた疑惑や文化やスポーツに関する二つの財団の設立をめぐる不正疑惑などで、韓国の人びとの朴大統領に対する怒りが激化している。
12日の集会は、21世紀に入って最大の規模だったという。
10月29日、11月5日に続き3週連続の退陣要求集会だ。その度に参加者が増えている。その一方で、朴大統領の支持率は、落ちている。韓国ギャラップの世論調査によると、最新の調査(8日~10日)では、支持率は歴代大統領最低の5%で、否定的な評価は90%。20代の支持率は0%だという。まるで、「風前の灯」のような支持率ではないか。
デモは平和的でも、韓国の人びとの反朴感情は燃えたぎっている。


青瓦台(大統領府)と書かれた棺のようなものが、路上に
置かれていた。市民たちは、その前にローソクをささげていた

地下鉄市庁駅に貼られたポスター。朴大統領が
崔順実氏にマリオネットのように操られている


休刊日明けの14日付の韓国経済新聞が伝えたローソク大集会の記事。
ローソクの灯の流れを多重撮影して、合成した写真を大きく載せた。
写真上の建物が青瓦台(大統領府)
14日付の韓国経済新聞の別ページ。
「1987年『6月抗争』以後、最大の人波 青瓦台に向かった『平和な憤怒』」

という見出しを付けている

2016年11月8日火曜日

11.4報告集会詳報

札幌訴訟第4回口頭弁論後に開かれた報告集会の、弁護団報告と植村さんの韓国報告を収録します(いずれも要旨)。

 弁護団事務局長・小野寺信勝弁護士の報告
名誉毀損とは、人が社会から受けている評価を低下させることをいう。裁判では2つの段階がある。まず、その表現が名誉毀損に当たるかどうか。次の段階は、名誉を毀損するけれど免責される事情があるかどうかが判断される。免責する事情がなければ不法行為が成立し、損害賠償などが発生する。

まず第1段階。名誉棄損と判断されるためには社会的評価を低下させた(侮辱では足りない)ことが必要となる。名誉を棄損する表現が真実であっても、社会的評価を低下させれば名誉棄損にあたる。
(「植村隆氏は慰安婦と女子挺身隊を結びつけた」とする櫻井よしこ氏のコラムを例に)被告らは問題の記事を捏造記事だとし、植村さんが真実を報道する新聞記者の職業倫理に反する人物であるとの印象を読者に与え、社会から受けている評価を低下させている。この第1段階は、こちらの主張が通っていると思って良い。

現在の中心的な争点は、櫻井氏側の名誉毀損の表現が免責されるかどうかだ。
被告らはこれまで、櫻井コラムなどでの表現は「『事実を摘示』したものではなく、すべて『意見』ないし『論評』である」と主張してきた。私たちは、櫻井氏の表現はすべて「事実の摘示」だと主張している。
例えば「記事を捏造した」という表現が「事実の摘示」なら、捏造が真実であること(または真実と信じてもやむを得ないこと)を被告側は証明しなければならない。「論評」であれば、少なくとも重要な点だけは真実だと証明できればよく、免責のハードルは低い。「事実の摘示」か「論評」かは第2段階の論点だ。

今回出された書面で被告らは、月刊誌WILLのコラム3カ所、週刊新潮のコラム2カ所を「事実の摘示」と認めた。表現を細切れに分断しているのは不当であり、被告らの基本的な主張は「論評」だが、被告らは少なくとも「事実の摘示」と認めた表現について真実性を立証しなければならなくなった。

次回(12月16日)までに私たちは被告らの主張に反論する。それ以降に、植村さんと家族・北星学園大学への被害を主張。「事実摘示」か「論評」かの争点のやりとりを終え、次のステップ(真実又は真実相当性、被害の主張・立証)に進むことになる。
text by K.T



植村隆さんの韓国報告
今日は、私が韓国でいまどんなことをやっているかということと、8月に判決が出た娘の訴訟について話したい。

手記『真実 私は「捏造記者」ではない』(岩波書店)の韓国語版が9月末に韓国の出版社プルンヨクサから出版された。それを記念して行われた記者会見にはほとんどの新聞がきて大きく報じられ、ケーブルテレビなどでも紹介された。実は中央日報がこなかったが、なぜか確認すると「日にちを間違えた」ということで、私に悪意があるわけではなかった。うれしかったのは、ジャーナリストを目指す学生たちをはじめ、若い世代が興味をもってくれ、交流が増えたことだ。大学から講演に呼ばれ、地方の大学の学生が私の研究室にインタビューにきて、英文の記事にしてくれた。

ここで、私が韓国とかかわるようになった原点を振り返りたい。まず、1981年のことだ。学生時代、ずっと金大中氏に共鳴し、東京で釈放運動をしていた。金氏は厳しい状況の中でも「行動する良心」を実践しており、私が延世大学に留学しているときに政治的に自由になった。1997年12月、金氏が大統領になったときにソウル特派員だった私は、一面トップで紹介することができた。

もうひとつの原点として、詩人の尹東柱(ユン・ドンジュ、1917〜45)がいる。戦時下に日本の大学で学んでいて治安維持法違反で有罪判決を受け、1945年に福岡刑務所で獄死した。彼の遺稿詩集「空と風と星と詩」が1984年11月に出版され、私の愛読書になった。その中の代表作「序詩」の一節が刻まれた詩碑が延世大学にある。韓国カトリック大学の授業では彼の詩を読み、学生と詩碑を訪ねもした。来年は生誕100年なので、再びクローズアップされるだろう。

いま、韓国では被害者の声を聞かずにすすめられた慰安婦問題の日韓合意について、再交渉すべきだと答える人や少女像の移転に反対の人が増え、時間がたつほど世論の批判が強まっている。日韓合意はお金を出して終わりではなく、始まりにすべきではないか。

日本では先日、「wam 女たちの戦争と平和資料館」に爆破予告のハガキが届いたことが報じられた。同館は戦時性暴力の根絶を目指し、慰安婦問題に焦点をあてた展示をしている。だが、朝日新聞の見出しは「戦争資料館に爆破予告」で、萎縮しているのではないかと思う。北海道新聞は「慰安婦」という言葉を出しているが、どちらもベタ扱い。韓国はどうか。ハンギョレ新聞は現場資料館に行き、「屈しない」という同館の姿勢も入れて大きく報じている。

最後に、娘のことも報告したい。17歳の高校生だった娘が2014年、写真と名前をツイッター上にさらされ、「反日韓国人の母親、反日捏造工作員の父親に育てられた超反日サラブレッド」などと中傷の書き込みをされた問題で、このツイッターを書き込んだ投稿者本人を相手取った訴訟で8月3日、被告に170万円の損害賠償金の支払いを命ずる「全面勝訴」の判決が言い渡された。被告側は期日までに控訴せず、判決が確定した。
娘は元気です。彼女の闘いから教えられることが多かった。途中、裁判所は、『被告に謝らせるので」と和解を勧めてきたが、娘に相談したところ、高校を卒業した出た直後だった娘は、「和解じゃなくていい。判決を求めてほしい。私に起きたことは他の人にも起きる。こうした攻撃にさらされる人がない社会になってほしい。判例にして、私以外の人が攻撃されないようにしてほしい」と言った。
成長したのは私ではなく娘。私はそんな娘の姿勢に支えられ、教えられた。
 
私は、河野談話を継承、発展させようとずっと思っている。慰安婦問題は「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」として、元慰安婦への「心からのおわびと反省」を表明した。そして、歴史研究、歴史教育を重ねて、同じ過ちを繰り返さないようにという方向性も掲げた。僕もジャーナリストとして、大学で教える者として、歴史教育に力を尽くし、これからも闘っていきたい。

text by Y.A 

2016年11月4日金曜日

札幌訴訟第4回速報

被告側、一部表現を「事実の摘示」と認める
植村裁判札幌訴訟(被告櫻井よしこ氏、新潮社、ダイヤモンド社、ワック)の第4回口頭弁論が11月4日、札幌地裁で開かれました。7月末以来約3カ月ぶりの裁判ですが、裁判所周辺の街路樹の紅葉は終わりに近づき、冬の訪れが近いことを実感しました。今回も傍聴券交付の行列ができ、抽選となりました(定員71席に対し87人行列)。

札幌訴訟では前回まで、櫻井氏が植村さんに浴びせた名誉棄損表現は「事実の摘示」なのか、「意見、論評」なのか、が主たる争点となっていましたが、この日の陳述で被告側はこれまでの主張を変更し、初回以来すべて「意見、論評」としていたものの一部が「事実の摘示」であることを認めました。この点について、植村弁護団事務局長の小野寺信勝弁護士は裁判後の報告集会で、「これで事実摘示か論評かについて、お互いの見解が明らかになった。(基本的な)第一の争点のやり取りを終えた。裁判は次のステップに進むことになる」と語りました。
名誉棄損をした表現者は、その表現が「事実の摘示」であれば、その事実が真実であるか、真実だと信じてもやむを得ないことの証明が必要です。次回以降は、櫻井氏の表現が「真実である」のか、もしくは「真実と信じるについて相当の理由がある」のか、について双方の主張、立証が行われ、さらに植村さんが受けた「被害・損害」も大きな争点になる、とのことです。

次回以降の期日は、第5回(12月16日)に続き、第6回(2017年2月10日)、第7回(4月14日)までが決定しました。

講演で俵義文さんが「日本会議」を分析
会場は満席になった
東京からの参加者も
口頭弁論終了後の報告集会は近くの札幌市教育文化会館で開かれました(午後4時30分~6時40分)。「支える会」共同代表の小野有五さん(北大名誉教授)のあいさつ、小野寺弁護士の裁判報告、植村隆さんの韓国報告のあと、「子どもと教科書全国ネット21」事務局長の俵義文さんが「日本会議とは何か」と題して講演し、日本会議という組織についての長年の豊富な研究と分析に基いて、その沿革や活動の実態を語りました。櫻井よしこ氏や稲田防衛相、安倍首相をめぐる知られざるエピソードもいくつか明かされました。
集会の最後に、「wamへの攻撃を許さない」声明を「支える会」七尾事務局長が読み上げ、集会参加者に共闘と連携を呼びかけました。


小野寺弁護士の法廷での意見陳述全文は「植村裁判資料室」に収録しました こちら
※声明「女たちの戦争と平和資料館wamへの攻撃を許さない!」は下記に掲載

wamへの攻撃を許さない

植村裁判を支える市民の会は、「女たちの戦争と平和資料館wam」に対して向けられた爆破予告攻撃について、11月4日、声明を発表しました。
爆破予告攻撃の詳細は、「女たちの戦争と平和資料館wam」が10月29日に新聞各社、通信社に送付した呼びかけ文「言論を暴力に結びつけない社会を」をご参照ください。 こちら


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声明 「女たちの戦争と平和資料館wam」への攻撃を許さない!

2016年11月4日
植村裁判を支える市民の会

だれが、戦場で、不特定多数の軍による性の強制を望むだろう。
どこに、蹂躙された名誉の回復を望まない人がいるだろう。
なぜ、不当な扱いに謝罪を求める道理が否定されるのだろう。

「女たちの戦争と平和資料館wam」は、日本軍「慰安婦」など戦禍に巻き込まれた女性の声を集めた資料館だ。
そのwamに匿名の爆破予告が来た。「爆破する 戦争展示物を撤去せよ」という。
これは、日本軍「慰安婦」の被害女性たちの声を消せ、という脅しだ。
戦争に泣いた人々の心を、戦後70年を経て、もう一度爆破する、という犯罪だ。
決して取り戻せない過去であっても、償いによって未来を築こうとする現在の努力を砕く企みだ。
私達は、この脅しに断固反対し、wamを支持する。

戦争当時、多くの女性は、政治への参加権を持たず、人権の保障もなく、教育も満足に受けられなかった。
男の政治家と軍人が始めた戦争に巻き込まれ、命を落とし、深い傷を心身に負った。海を越えて軍隊を送った日本でも、女性の参政権は敗戦までなかった。
考えてみよう。「慰安婦」が、自身のつらい体験を公に伝えるため、どれだけの勇気を要し、犠牲を払ったか。
戦場で女性を陵辱し、殺傷した、あまたいるはずの兵士が名乗りでないのは、女性たちが負った傷の深さの裏返しだ。
それを乗り越えた女性たちの声を破壊するあらゆる試みは許されない。

私達は、もう一つの危機をwamと共有する。

wamへの攻撃は、これまでも電話、街宣、ネットなどで繰り返されてきた。
爆破予告は初めてだ。
慰安婦問題のユネスコ記憶遺産への登録を巡り、産経新聞でwamへの批判記事が急増していることと、無関係だろうか。個人名まで出し、櫻井よし子氏らがwamを非難している。ネットでは、櫻井氏の言説を引用する匿名のwam攻撃が続いている。個人の写真、氏名を晒している。

植村裁判を支える市民の会は、同じ体験を持つ。
植村裁判は、朝日新聞記者時代の1991年、日本軍「慰安婦」の記事を書き、やはり爆破予告などで脅された元北星学園大学非常勤講師、植村隆氏の名誉毀損訴訟だ。植村氏の記事を「捏造」と決めつける櫻井よし子氏、西岡力氏と出版社を訴えた。両氏は、産経新聞で繰り返し慰安婦問題を否定している。
ネットでは匿名の勢力が、当時17歳だった植村氏の長女の写真と氏名を晒し「自殺に追い込む」と攻撃している。

wamは10月29日、産経新聞及び報道各社に「言論を暴力に結びつけない社会を」と呼び掛けた。
「産経新聞は歴史認識の違いを『歴史戦』と名付け、歴史をめぐる言論を『戦争』という暴力に結びつけて語っています。同調者たちへの影響力は計り知れないものがあり(略)。言論を暴力や人権侵害に結びつけない努力こそが,今私達に求められています」
私達も「歴史戦」を非難する。
歴史戦は、歴史の事実に目をつむるばかりか、闇に葬ろうとする。
言論の名を借り、民主主義を破壊する。
私達は戦争被害者の声を守る。
歴史の実相に目をこらし続ける。

wamを孤立させてはならない。

私達もwamだ。

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