2016年12月30日金曜日

2016年の足取り

植村さん東奔西走の1年 裁判9回、集会・講演43回!!


この1年、植村隆さんは名誉棄損訴訟の原告として東京と札幌で計9回の口頭弁論に出廷しました。3月からは韓国にも拠点を構え、カトリック大学の客員教授として日韓両国の理解と交流の推進に力を尽くしました。国内では、全国各地から招かれる集会やシンポジウムに積極的に出かけ、バッシング攻撃の理不尽さと歴史修正主義勢力の誤りを、ていねいに語り続けました。講演会は大小合わせて40回を超え、日韓の大学での講義も11回! 強靭な精神と頑健な肉体の持ち主だからこそ、こなすことのできたハードワークに拍手です。植村さんを支え励まし続けた全国各地の支援のみなさまと、弁護団の先生方に、そして集会、講演会の準備と設営に奔走した方々に、深く感謝を申し上げます。
以下は2016年の植村さんの主な活動の記録です。
は植村裁判口頭弁論と報告集会。写真説明は、記事の末尾にあります

1.21 東京都で朝日新聞関係者への報告会(中央区立築地社会教育会館で)
2.11 旭川市で講演(2・11平和集会、旭川六条教会で)
2.16 東京都で講演(日本ジャーナリスト会議主催、日比谷図書文化館で)
2.17▼植村裁判東京訴訟の第4回口頭弁論。報告集会で青木理氏と対談(参議院議員会館で)
2.18 国際基督教大学で特別講義
2.19 幌加内町で講演(強制労働犠牲者追悼ワークショップ、朱鞠内の旧光顕寺で)
2.26 手記「真実 私は『捏造記者』ではない」が岩波書店から刊行される。札幌で「植村隆さんを激励する札幌集会」開催、参加220人、主催9団体(かでる2・7で)
2.28 東京都で「出版記念会・激励会」を開催
3.1  大阪市で講演(昼に日韓研主催の講演会、夜は生野・KCC会館で)
3.2  京都市で講演(コープイン京都で)
3.3  韓国カトリック大学に客員教授として着任。毎週火曜日に講義「東アジアの平和と文化」
3.23 植村裁判を支える市民の会(準備会)のブログがスタート。「植村隆のソウル通信」第1回(カトリック大学のキャンパスから、ごあいさつ)を掲載
3.24 「植村隆のソウル通信」第2回(アジュモニ・カムサハムニダ)掲載
4.12 植村裁判を支える市民の会が正式発足。共同代表に上田文雄、小野有五、神沼公三郎、香山リカ、北岡和義、崔善愛、結城洋一郎の7氏。札幌在住の上田氏らが北海道庁記者クラブで記者会見。設立趣意書「植村さんとともに、さらに前へ」をブログで発表
4.17 国連「表現の自由」特別報告官デイビッド・ケイ氏の聞き取りを受ける
4.22▼植村裁判札幌訴訟の第1回口頭弁論。植村さんと被告の櫻井よしこ氏がそれぞれ意見陳述。報告集会で佐高信氏が講演(かでる2・7で)
5.9 韓国京畿道九里市で講演
5.18▼植村裁判東京訴訟の第5回口頭弁論。報告集会で佐高信氏が講演(衆議院第2議員会館)
5.27 「週刊金曜日」の抜き刷り版「私は『捏造記者』ではない-検証・植村バッシング」が発行される
5.29 札幌市で講演(自由法曹団の勉強会、南区定山渓で)
6.2  韓国漢陽大学で特別講義
6.6  「植村隆のソウル通信」第3回(エネルギー源は、カトリック大学の特製トンカツ)掲載
6.10▼植村裁判札幌訴訟の第2回口頭弁論。報告集会で玄武岩・北大准教授が講演(札幌市教育文化会館で)
6.12  「負けるな北星!の会」(マケルナ会)が総括シンポジウムを開催。中野晃一・上智大学教授が講演(北海道大学学術交流会館で)
7.28 札幌市で朝日新聞関係者への報告会(朝日新聞北海道支社で)
7.29▼植村裁判札幌訴訟の第3回口頭弁論。報告集会で野田正彰氏が講演(札幌市教育文化会館で)
7.30 札幌市で朝日新聞読者と語る会(札幌市生涯学習センターちえりあで)
8.2 東京都で植村隆さんの話を聞く会(むさしの憲法市民フォーラム主催、武蔵野公会堂で)
8.3▼植村裁判東京訴訟の第6回口頭弁論。報告集会で香山リカ氏らによるシンポジウム(弁護士会館で)。同日、ツイッター上で植村さんの娘さんを誹謗中傷した男に対して求めていた損害賠償請求裁判で、東京地裁は娘さんの請求を全面的に認め、男に170万円の賠償金支払いを命じる判決。被告は控訴せず、判決が確定
8.9  夏のスピーキングツアー始まる。旭川市で講演(旭川建設労働者福祉センターで)
8.10 岩見沢市で講演(岩見沢自治体ネットワークセンターで)
8.15 札幌市で講演(北海道自治労会館で)
8.16 新ひだか町で講演(コミュニティセンターで)
8.18 室蘭市で講演(東町中小企業センターで)
8.20 名古屋市で講演(名古屋市博物館で)
8.21 津市で講演(津市市民活動センターで)
8.22 シンポジウム「東アジアの記憶と共同の未来」であいさつ(東本願寺札幌別院ホールで)
8.23 倶知安町で講演(後志労働福祉センターで)
9.7  福岡市で講演(西南学院大学博物館講堂で)
9.8  熊本市で講演(くまもと県民交流館で)
9.9  水俣市で講演(水俣市公民館で)
9.11 北九州市で講演(若松バプテスト教会で)
9.18 「植村隆のソウル通信」第4回(「ほぼ満月」とウイスキー)掲載
9.19 韓国で手記「私は捏造記者ではない」(韓国語版)、図書出版プルンヨクサ(青い歴史)より刊行
9.26 ソウルで韓国語版手記出版に際して記者懇談会(プルンヨクサアカデミーで)。その後、韓国のメディアが一斉に報道
10.1 シンポジウム「『慰安婦』と記憶の政治」にパネリストとして出席(北海道大学文系総合教育研究棟)
10.5 韓国高麗大学で特別講義
10.17 韓国世明大学で特別講義、学生のインタビューも受ける
10.25 韓国聖公会大学で特別講義
11.2  小樽商科大学で特別講義
11.4▼植村裁判札幌訴訟の第4回口頭弁論。報告集会で俵義文氏が講演。同日、「支える会」が声明「wamへの攻撃を許さない!」を発表
11.12 ソウル・江南区で講演
11.13 「植村隆のソウル通信」第5回(ローソク大集会で考えたこと)掲載
11.16 専修大学で特別講義。シンポジウム「今、言論・表現の自由のために」にパネリストとして出席(東京・武蔵野スイングホールで)
11.17 法政大学で特別講義。東京都で講演(本郷文化フォーラムで)
11.18 東京都で講演(文京区男女平等センター)
11.20 JCJジャーナリスト講座で吉倫亨氏と対談(明治学院大学で)
11.21 鶴見大学で特別講義
12.1  韓国建国大学で特別講義
12.4  「植村隆のソウル通信」第6回(ローソクデモは大統領府まで100㍍に迫った!)掲載
12.8 韓国ソウル女子大学で特別講義
12.10 「植村隆のソウル通信」第7回(「運命の日」12月9日、韓国国会前で)掲載
12.14▼植村裁判東京訴訟の第7回口頭弁論。報告集会で植村さんが韓国報告、カトリック大学の契約延長も発表(参議院議員会館で)
12.16▼植村裁判札幌訴訟の第5回口頭弁論。報告集会で渡辺美奈氏が講演(札幌市教育文化会館で)
12.24 植村さん、ナヌムの家(京畿道広州市)を訪ね、元慰安婦のハルモニたちを慰労
12.29 「植村隆のソウル通信」第8回(キタリスの住むキャンパスで)掲載



写真説明
上の2段=入廷する植村さんと弁護団。上段左から=札幌第1回、東京第5回、札幌第2回、下段左から=札幌第3、4、5回各口頭弁論前
中の2段=全国各地で開かれた集会と講演会。上段左から=札幌(2..27)、同(6.12)、東京(8.3)、下段左から=新ひだか(8.17)、水俣(9.9)、札幌(12.16)
下の2段=左上、韓国カトリック大学で。左下、ローソクデモ参加のソウル市民。中央、娘さんのネット中傷訴訟完全勝訴を報告する(8.3)。右上、手記「真実」、右下、「週刊金曜日」抜き刷り版

2016年12月29日木曜日

植村隆のソウル通信第8回

キタリスの住むキャンパスで

12月27日、カトリック大学のキャンパスを歩いていたら、樹木を駆け上る小動物の姿が見えた。よくみると、リスだ。北海道のエゾリスによく似ている。耳の毛が長く、尻尾もふんわりと長い。
私は、ポケットからスマホを取り出して、カメラを作動させ、リスの動きを追った。
すばしっこくて、中々、レンズに入らない。それでも何枚か、可愛い姿を捕らえたので、皆様にお見せしたいと思う。とてもラッキーだった。
この春にも、キャンパス内でこのリスの姿 を見かけた。そのときは残念ながら、カメラを持っておらず、写真を写すことはできなかった。

昨年4月末から5月上旬にかけて、米国の各地の大学で講演をした。その旅行中、プリンストン大学前の住宅街でリスを見かけた。そのときも、心が和んだ。大学のキャンパスに、リスはとてもよく似合うと思う。

■ユーラシアの東端で 札幌の円山動物園のHPを見ると、このリスは北海道のエゾリスと同じ種類のリスで、キタリスというようだ。HPには、エゾリスについて、こう書いてある。
「ヨーロッパからロシア、朝鮮半島、中国北東部にかけての広い範囲に生息するキタリスの一種です」

このリスたちは、つまり、ユーラシアのあちこに住んでいるというわけだ。この朝鮮半島がユーラシアの東端にあることを改めて、想起した。
 
大学の裏に、遠美(ウォルミ)山という標高120メートルほどの山がある。この山の散策路の近くの木にこの種類のリスがいるのを何度か見た。この山のふもとの斜面に、私の勤めるカトリック大学の聖心キャンパスが広がっているのだ。リスたちは、山とキャンパスを行き来しているのだろう。

人文・芸能、社会、国際、自然、生活、工学、薬科の7系列の学部があり、1万人近い学生が、学んでいる。ソウルにある医学部や神学部のキャンパスに比べると、この聖心のキャンパスは学生数も断然多く、大学の本部も、ここに置かれている。
しかし、山のふもとにあるだけに、このように自然に恵まれているのが特徴だ。山好き、自然好きの私としては、このキャンパスがとても気に入っている。登山好きの市民たちも、このキャンパスを通って、遠美山に登っているのをよく見かける。

先月、このキャンパスの音楽科の学生たちのコンサートが行われた。ビバルディの「四季」を演奏した。私は目を閉じて、彼らの 演奏を聴きながら、このキャンパスでみた1年間の風景を振り返った。

ここを最初に訪問したのは、昨年11月だった。この大学が私を客員教授として招いてくれるという話があり、仲介人を務めてくれた友人と一緒に来たのだった。地下鉄駅から大学まで行く途中、街の街路樹のイチョウが黄色く色づき、美しかったことを覚えている。

3月が新学期だった。4月には、遠美山の散策路の桜が満開になった。校外学習と称して、講義の時間に皆で、桜で満開の散策路を歩いた。
2学期は8月末に始まり、小さな教室は学生で満員になり、とても暑かった。残暑に我慢できない学生から不満の声があがった。クーラーのスイッチを入れてもらおうと、事務所に走ったこともあった。外は緑があふれていた。
そして、また秋となり、樹木が様々な色合いに紅葉したときには、ため息がでそうだった。

そんなことを思い出しながら、「四季」のメロディーに聞きほれていた。なんだか、心が洗われるような気持ちになった。

そして、きょう12月29日、朝起きて、キャンパス内のゲストハウスを出たらキャンパスは白い化粧をまとっていた。札幌の豪雪と比べたら、なんでもない。しかし、このキャンパスは坂道が多く、すべらないように朝早くから、大学の警備の人々が雪かきをしていた。

■契約を1年延長、日本語学科でも教える 2日前、キタリスを見た場所のすぐ反対側に大学の教会の入り口があり、白いキリスト像がある。そのキリスト像の前はクリスマスシーズンのいま、24時間小さな電球の明かりがついている。その像の前にも、白い雪が積もり、幻想的な風景だった。誰かが、雪の上に英語で落書きをしていた。

2学期も終わり、受講生たちの成績もつけ終わった。大学教員としての1年間の仕事も、ほぼ終わり、いま、少し、ほっとしている。

キタリスを目撃した27日、大学の幹部と、次年度の契約をした。客員教授は1年契約だったので、それがもう1年延びたことになる。講義の時間も、これまでの週1回から、週2回に増える。火曜日の3時間に加え、月曜日の3時間。
これまでの一般教養「東アジアの平和と文化」に加え、新学期からは、日本語学科の専門科目を教えることになった。どんなふうに授業を進めるか、いま構想を暖めているところだ。これについては後日、報告したい。

■わが身のもてる力を振り絞り… というわけで、このキタリスのいるユーラシア大陸東端の大学で来年も教員を続けることになった。この自然に恵まれたキャンパスで、再び四季を楽しめる機会を得たことを感謝している。
「主よ、来年もわが身のもてる力を振り絞って励みます」
そう白いキリスト像に誓っている。


「日韓合意」から1年

慰安婦問題の日韓合意から1年を迎えた12月28日、韓国の「聯合ニュース」は、植村隆さんのインタビュー記事を掲載しました。こちら
植村さんは、合意は「終わりではなく始まり」、「(1993年の)『河野談話』の精神を生かして記憶の継承、歴史教育に力を入れるべき」などと語っています。以下、インタビューの全訳を紹介します。(翻訳・「植村訴訟」東京支援チーム)

「金で日本の責任が消えるわけではない」「韓国政府、合意に対する国民の不信感解消すべき」「ローソクデモ、韓国民主主義の新たな歴史開いたと思う」
【ソウル=聯合ニュース】チョ・ジュンヒョン記者
日本社会に慰安婦問題を知らせるのに貢献した植村隆(58)元朝日新聞記者は「(日本政府が韓日合意に沿って)お金を払ったから、これで終わりだということではない」として、「日本の過去の責任が消えるわけではない」と述べた。
韓国カトリック大客員教授の植村元記者は、韓日慰安婦合意1周年(28日)を前に27日、聯合ニュースとのインタビューでこう述べ、「ハルモ二たちの被害体験は継承されていくべきだ」と強調した。

植村教授は「慰安婦合意は終わりではなく始まり」だとして、河野談話(1993年、河野洋平官房長官(当時)が発表した慰安婦関連の談話)の精神を生かして記憶の継承、歴史教育に力を入れるべきだ」と語った。
彼は「1年前の合意は突然になされ、被害者への意見聴取も行われなかった」としながら、「安倍首相の謝罪も日本の外相が共同発表で語った、いわば『伝言』だ」と指摘したが、自身は「合意を問題打開の契機ととらえるべきだと思ったし、その考えは今も変わらない」と明らかにした。

ただし、植村教授は「韓国政府が(このような合意に達した経緯について)きちんと説明責任を果たすべきだ」と指摘した。また、在韓国日本大使館の前に設置されている慰安婦少女像の周辺で韓国人学生らが座り込みをしていることについて、「(少女像問題解決のために韓国政府が努力するとの内容が含まれた)合意によって少女像が撤去されるのではないかという政府への不信感があると思う」として、「そのような韓国民の不信感を払拭することが、(韓国政府にとって)先決課題」だと指摘した。

また、元慰安婦の被害者への謝罪の手紙を送ることを「毛頭考えていない」という安倍首相の10月の国会での発言について、「(訳者引用:日韓合意の記者発表では「心からおわびと反省の気持ちを表明」しているのに)安倍首相が本心から謝罪する気はないのではないかと思われてしまうのではないか。とても残念だ」と述べた。
にもかかわらず、植村教授は慰安婦合意後、韓日政府間関係が「確かに改善されたと思う」と明かした後、両国関係が一歩進むためには、「信頼関係の構築、そして互いにリスペクトし合うことが重要」だと語った。そして、1998年の韓日パートナーシップ共同宣言(「日韓共同宣言」)を発表した金大中(19242009)元大統領と小渕恵三(19372000)元首相の相互信頼関係の深さについて紹介した。

植村教授は韓日関係の状況について、「いつまでも政治や外交のせいにしてはいけないだろう」として、「もう一度『日韓共同宣言』の精神に立ち返るべきだし、両国の市民は政治や外交に翻弄されることなく、隣国同士、互いの友情を深めていくべきだと思う」と語った。
彼は、韓日両国で講義する際、西ドイツのヴァイツゼッカー元大統領が1985年5月のドイツ敗戦40周年に際して行った演説を紹介するとしながら、「若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手を取り合って生きていくことを学んで欲しい」という演説の一部分を引用した。

民主化運動が高揚していた1987年、ソウルに留学していた植村教授は、最近のローソクデモについて、「その時(1987年)は、デモには催涙弾がつきものだったが、今回はそういうものもなく、人は多いが平和的なムード」だとして、「まるで解放区で祝祭をしているようだ」と表現した。
さらに続けて、「市民たちがローソクという『静かな光』で、心を一つにしたことが韓国の民主主義の新しい歴史を開いたと思う」と評した。
また、「現状を打破しようとする様々な考えの人々が、この平和的なローソク集会に参加しているが、このエネルギーが結集して斬新な次の政権づくりにつながるかどうかが今後の課題」だとして「今後、それをジャーナリストの目で見つめたい」と述べた。

植村教授は、「日本や韓国、そして、中国は引越しのできない隣同士の国だから、互いに和解と理解を深めることが必要だと思う」として、「来年もカトリック大で講義を続けるが、これからも、私の体験や考えを韓国の人々に伝え、日本と韓国の架け橋的な役割を果たしたい」と抱負を語った。

植村教授は朝日新聞記者時代の1991年8月11日、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が記録した慰安婦被害者、故金学順さん(当時67歳)の証言を最初に報道したことで、慰安婦問題が世に広まることに大きく貢献した。
しかし、安倍政権下ではばをきかせる日本国内の右派・歴史修正主義者らは植村の記事が韓日関係と日本のイメージを悪化させた「捏造記事」だとこじつけてバッシングした。
一部の極右は植村氏が教授に内定した日本の大学に圧力をかけて内定を取り消させ、娘を脅迫するまでに及んだが、植村教授は『真実 私は「捏造記者」ではない』と題する手記を出版し、法廷闘争を繰り広げるなど、真実のための闘いを続けている。


2016年12月26日月曜日

札幌12.16集会

札幌訴訟の第5回口頭弁論の後に開かれた報告集会の詳報です。弁護団報告のあと、植村隆さんの韓国報告と、渡辺美奈さんの講演「『慰安婦』問題の現在」がありました。(2016年12月16日、札幌市教育文化会館、参加120人)

植村さんは報告の中で、韓国カトリック大学客員教授としての雇用が来年度も継続されることを公表し、参加者の大きな拍手を受けていました。また、教員生活の充実感や、パク・クネ政権のスキャンダルに揺れる韓国現代史の現場にジャーナリストとして立ち会える喜びを語り、「植村バッシングをした人に感謝しなければならないかも」とジョークを交えて参加者を笑わせていました。

渡辺さんは、10月にあったwamへの攻撃、1970年代にあった「慰安婦」報道の経過などを語った後、アジア各国に広がる被害の実態を細かく紹介し、wamの活動への支援を呼びかけました。

植村隆さんの報告 ―― 「今日まで、そして明日から」

■7という数字と韓国との縁
韓国で9月、手記『真実』の韓国語版が出たおかげで(新たな)人の輪ができた。韓国の有名な元新聞記者で私立大の副総長をしている方が植村の話を聞く会を開いてくれた。(9月末の記者会見の写真を示し)韓国メディアからも好意をもって受け止められた。

大学の授業のテーマは「東アジアの平和と文化」。後期は30数人が受講し、1213日が最後の授業だった。火曜日の3時間授業で、1時間はみんなで新聞を読む。「韓国経済新聞」を教材として無料で提供してもらっている。授業では討論し、記事のスクラップが宿題。最後の授業では学生たちから感謝された。

11月の帰国時にショックを受けた。wam(アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」)に爆破予告はがきが来たという。私が受けたのと同じパターンの脅迫。「日本の戦争責任資料センター」の季刊誌にwamへの攻撃について書いた。どんどん書いて連帯をアピールしていきたい。

1981年に初めて韓国に行った。韓国の問題を一生考えていこうと思った大きな機会。それがまた来た。7という数字に縁がある。87年に韓国に語学留学した。87年は民主化運動が盛り上がった。6月の民主化宣言を機に大統領直選制の導入言論の自由の承認金大中氏の政治的自由(復権)――ということが起きた。
97年にソウル特派員になり、金大中氏を追いかけた。金大中氏が9712月の大統領選挙で当選したニュースを1面に署名入りで書いた。韓国現代史を最前線で記録したいという大きな願いが実現した。
授業で韓国現代史を取り上げている。金大中大統領時代、日韓共同宣言が出された。日本は小渕首相。植民地支配を初めて謝罪し、「未来志向の関係を」と約束した。日本の大衆文化が韓国で開放され、韓国からは冬ソナが日本に入ってきた。南北首脳会談もあった。学生に課した後期のレポートのテーマは「金大中について」とした。

■韓国現代史、3つの現場に
韓国ではパク・クネ大統領の親友による国政介入などさまざまな問題が噴出し、市民がローソクを持ってデモをしている。それを見に行っている。驚くのはデモ・集会の最前線でも警察とぶつかっていないこと。87年の留学時、まちのいたるところで毎日のように催涙弾が発射されていた。
市民は「下野しろ」「逮捕しろ」と叫んでいるが、警察は武力で鎮圧していない。韓国の現代史では珍しい。あまりにもたくさんの人が立ち上がっているから力で弾圧できない。平和的に政治を変えようという大きな動きは市民革命ではないかとまで言われている。
たまたま、父親が娘らしい少女とローソクを持って写真を撮っていた。この娘は大人になってどのようにこの場面を記憶するのだろうか。歴史を動かす主人公は人々、ファミリーなんだと感動した。

カトリック大学校内の雑誌にパク・クネの特集とともに私の記事もある。「ファイティング・フォー・ジャスティス 決然とした日本のジャーナリスト」という過大な評価。本質を見抜いているなあ(笑い)という歴史的な雑誌だ(笑い)。
パク・クネが政治家になった時、日本の記者で最初にインタビューした。孤独な人という印象がある。大統領選挙が早まり、2017年春には大きな動きがある。私は実は来年もカトリック大学校で教えることになった(会場拍手)。1987年は留学生、1997年は特派員として、2017年は大学教員兼フリージャーナリストとして韓国現代史の中で現場を見られる。植村バッシングをした人に感謝しなければならないかもしれない(笑い)。こんな時期に韓国にいられるのはラッキーなこと。ますます日韓を行ったり来たりすることになるだろう。
生まれ変わった気持ちで来年も頑張ろうと思う。皆さん、今年1年間、お世話になりました。日韓を結ぶ橋の役割をしながら、裁判闘争を来年も頑張るつもりでいる。

渡辺美奈さんの講演 ―― 「慰安婦」問題の現在 


<わたなべ・みな アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)事務局長。日本軍「慰安婦」問題解決全国行動の共同代表>


■正論、櫻井らが名指しでwam攻撃 
先日wamに爆破予告のハガキが届きました。文面は「爆破する 戦争展示物撤去せよ 朝日赤報隊」。警察への被害届と別に「言論を暴力に結びつけない社会」の実現を各メディアに呼びかけたところ、植村裁判を支える市民の会から心強い応援声明を受け取りました。
amは、女性国際戦犯法廷(2000年)を提案・主導した松井やよりさんの遺言で05年に開設しました。この法廷で有罪とされた日本軍性奴隷制の責任者、天皇裕仁ら9人の写真パネルなどを常設展示しています。当初から様々な攻撃を受けてきましたが、ユネスコの世界記憶遺産に「日本軍『慰安婦』の声」の登録申請が5月末公表されてから、様相が変わって来ました。
登録を推薦した日本側委員会の住所と代表はwamとダブります。産経新聞や月刊誌『正論』、週刊新潮などに櫻井よしこらが名指しでwam攻撃を書き続けています。ネットに「日本の中の敵はこいつらだ」という書き込みもあります。爆破予告は初めてでしたが、支える会の声明で、みんなが関心を持って見てくれていると感じました。ありがとうございます。

この運動に20数年かかわっていますが、植村隆さんの名前を聞いたのはバッシングが始まっていた数年前です。その後朝日新聞の慰安婦問題検証特集が出ましたが、中途半端で奥歯に物が挟まったような説明でした。けんかの仕方を知らず、ヤクザ相手に「話せば分かる」と出掛けてボコボコにされた、ナイーブなエリート集団という感じです。

昨年1月、植村さんが東京地裁に提訴した日の報告集会で「これは報道の自由の問題だ」「民主主義の問題なんだ」と強調する発言が大変気になりました。勝つためには色々な闘い方があります。しかし「慰安婦」問題は、女性に対する重大な人権侵害であること、日韓の首脳が両国の安全保障についても話し合えない事態を生んでいるという問題意識を、感じられませんでした。

■70年代には「慰安婦」報道はあったが議論はなかった
韓国に住んでいる元朝鮮人従軍慰安婦の証言を初めて書いた植村さんの朝日新聞記事(1991年8月11日付)は、韓国紙に転載されることもなく、運動に影響を与えることはなかった。3日後に金学順さん本人が名乗り出た記者会見は韓国で大きく報道されましたが、読売新聞も毎日新聞もほとんど書いていません。
1970年代から新聞、テレビの報道、ルポ、書籍などで「慰安婦」として被害を受けた女性たち(渡辺さんはそれぞれのケースを説明)の具体的な存在が、顔や住所と一緒に紹介されてきました。ベストセラーになった本もあります。しかしちゃんとした議論がされず問題性を理解されずに来たため、この記者会見が日本できちんと報道されなかったのだと思います。

韓国で自ら名乗り出た日本軍「慰安婦」は初めてだったし、自分たちが受けた被害の責任を追及して日本政府を東京地裁に訴えた(91年12月)のも金学順さんたちでした。被害者が名乗り出たことは様々な国で報道されました。新聞を読めない人には、ラジオが有効な名乗り出呼び掛けの手段でした。
しかし「何で今ごろ」「安心できる人がちゃんと聞いてくれるだろうか」「周囲に知られ、さげすまれないか」「話した後ほったらかしにされるのでは」等々、呼び掛けに反応できなかった人は少なくなかった。被害女性を支える運動がないところでは、名乗り出られないのです。でもフィリピン、台湾、インドネシア人などの女性150余人が名乗り出ました。

amで第14回特別展「地獄の戦場 ビルマの日本軍慰安所」を開催中です。朝鮮半島から連行され慰安所で17歳になった女性の証言、大英帝国戦争博物館所蔵の日本軍駐屯地勤務規定、慰安所利用規定、軍指定の慰安所配置図、そこに入れられた女性の国籍や定休日表が展示されています。名乗り出がなく、ビルマ人女性の被害実態は分かっていません。
日本軍侵攻地域の慰安所はインドから東南アジア、南洋諸島まであり、船などで連れてこられました。目的地に到着させるには「いい仕事がある」「看護婦になれる」など夢を持たせる必要がありました。現地調達したインドネシアやフィリピンでは移動させる必要はありません。でも「意に反する連行」であることは同じでした。
「慰安婦」の総数は想像がつきません。日本兵300万人の侵攻地域で兵100人に1人の割合だったのか、200人に1人か、それとも30人に1人かで計算するしかなく「数は分かりません」と答えています。

■来年4月に「慰安婦」博物館会議を開催
インドネシア展を昨年度開きました。女性たちの被害証言と、元兵士が戦後書いた手記から「慰安婦」をどう記憶しているか比べるため、同じサイズで並べました。ある元軍医は、慰安所の部屋に入った兵士が出て来るまでの時間をストップウォッチで計ったら平均5分だったと書いていました。
鶴見俊輔は「18歳ぐらいの真面目な少年が戦地から日本に帰れないことが分かり、現地で40歳の慰安婦にわずか1時間でもなぐさめてもらう。そのことにすごく感謝している。そういうことが実際にあったんです。この1時間のもっている意味は大きい。私はそれを愛だと思う」と97年に回想しています。

ある女性は突然家にやってきた5人の日本兵に「駐屯地で働け」とトラックに乗せられたこと、1年ぐらいで部隊は移動したが性病になっていたため残され、3カ月かかって帰宅したと証言しています。楽しそうに思い出している兵士の手記と被害女性の証言の、どっちを戦争の記憶として伝えたいか考えてもらうため、何の説明もつけませんでした。
「慰安婦」問題は90年代になって、戦時性暴力問題という国際的うねりに結びついていきました。旧ユーゴスラヴィアやルワンダの内戦は民族浄化という虐殺、おびただしい集団強姦を伴いました。しかし戦争によって女性に集中する性暴力の責任を女性が問うには、戦争が終わり、告発しても殺されない程度の平和が必要です。だからこれまで責任者は裁かれてきませんでした。

戦時性暴力が追及を受けずにいるのは、未来の戦争で起きても処罰されないということです。しかしアジアの女性たちは顔を見せ、堂々と50年前の被害を告発しました。内戦が続く旧ユーゴの被害者と日本軍「慰安婦」の出会いなどが国際的うねりとなり、人道に対する罪、戦争犯罪を犯した個人を訴追する国際刑事裁判所の誕生(98年)となりました。
「慰安婦」などなかったことにしようとする風潮が広がっており、被害の実態とその歴史を伝える日本軍「慰安婦」博物館の役割は、極めて重要になってきました。韓国、日本、中国、フィリピン、今月開館した台湾と計8館があります。博物館同士で情報を共有し連帯した活動を起こしていく場として来年4月1日、第1回日本軍「慰安婦」博物館会議を東京で開きます。みなさんのご支援をどうぞよろしくお願いします。

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報告と講演のまとめ text by T.Y & H.H

2016年12月25日日曜日

「ナヌムの家」を訪問

植村隆さんがクリスマスイブの12月24日、韓国人元従軍慰安婦のハルモニたちが共同生活をしている「ナヌムの家」(京畿道広州市)を訪ね、ハルモニたちを慰労しました。
植村さんは差し入れのお菓子などと一緒に、9月に韓国で出版された手記『私は捏造記者ではない』(図書出版プルンヨクサ=青い歴史)をハルモニたちに手渡しました。

韓国の「聯合ニュース」は、その様子をいち早く伝えています。以下、全文の日本語訳を紹介します。
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「慰安婦証言初報道」元日本の記者 ナヌムの家を訪ね被害者を慰労

【広州=聯合ニュース】イ・ウソン記者=1991年、日本軍慰安婦被害者の証言を初めて報道した元朝日新聞記者の植村隆(57)氏が24日午前、京畿道広州のナヌムの家を訪れた。

植村氏は、1991811日付の朝日新聞に韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が記録した故金学順さん(当時67歳)の証言を伝えた。3日後、金さんが記者会見を開き被害事実を公に述べたことで、慰安婦問題は世論化した。 しかし、日本国内の歴史修正主義者たちは、この記事が韓日関係と日本のイメージを悪化させた「捏造記事」だと攻撃した。

植村氏は午前10時、ハルモニに会って安否を尋ね、9月に韓国で出版した著書『私は捏造記者ではない』をパク・オクソン、イ・オクソン、カン・イルチュルの各ハルモニに贈った。
植村氏はこの日、昨年12月に発表された日韓政府の慰安婦合意を再び批判した。
 「韓日政府の合意に、1993年の河野談話にも含まれている日本軍慰安婦の歴史研究と歴史教育への言及がなく、被害者にお金を与えるだけで終わらせようとしている」と指摘した。
また、韓日政府がこの問題を永遠に記憶に刻み、同じ過ちを繰り返さないという決意を改めて明らかにすべきだが、このような内容も含まれていないなどの点から、誤った合意であると述べた。
植村氏は今年初めから(韓国の)カトリック大客員教授として、1週間に3時間ずつ学生を教えている。
東京と札幌で進行中の名誉毀損訴訟のため、両国を忙しく行き来している。
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聯合ニュースに記事がアップされたのは24日午後1246分でしたが、その直後から続々とコメントが書き込まれ、25日午前730分現在で101件もの書き込みがありました。なかには「上村さん(ママ) ありがとうございます」と日本語で書かれたものもありましたし、ほとんどが好意的なものでした。以下、書き込みをいくつか紹介します。
 ∇植村さん、国籍を超えて真の人間像のようです。簡単なことではないのに、感謝します。日本国内に真の人間性と批判意識を持ったこうした方々が増えることを願うとともに、あなたのような方たちの声が日本や全世界に広がることを願います
∇当の記者が現れた
本たくさん売ってあげましょう。裁判費用がかかるでしょうから
感動的だ
日本にもあのような良心的な知識人は多い。ただ極右勢力が過激で前に出られないのが残念だ
(韓国の)現政権より百倍も千倍も立派だ。政治家は恥を知れ
真の知識人、勇気ある人だ。韓日間の良い橋渡しの役割をする人物だ
隆記者、あなたの真心に感謝します
勇気ある人だ。尊敬する
植村隆さんに応援と協賛が必要だ
本当に真実を述べる言論人、植村隆さんありがとう
これこそ謝罪だ。難しいことではない
あなたのような人々が、慰安婦ハルモニたちの心に、過去の悲しい歴史に少しでも慰安になります
植村さん…. すばらしい!!!! 今後韓日関係の進展に一角をなす人物として、歴史の評価を受けることを願います
こういう方々の声が高まるべきだが
植村隆さん、あなたの一歩が真実を歪曲し縮小しようとする者たちに恥となることを切に願います。そして感謝します

※韓国語翻訳は「植村訴訟」東京支援チーム

2016年12月16日金曜日

札幌訴訟第5回速報

入廷する植村さんと弁護団(12月16日、札幌地裁前)

櫻井氏の代理人発言で法廷に波乱

植村裁判札幌訴訟(被告櫻井よしこ氏、新潮社、ダイヤモンド社、ワック)の第5回口頭弁論が12月16日、札幌地裁803号法廷で開かれました。
この日、午後3時の気温は氷点下3.9度。裁判所近くの大通公園は凛とした冬化粧に包まれていました。そんな師走の週末の午後にもかかわらず、この日も傍聴券を求める行列ができ、抽選となりました(傍聴席72、行列は75人)。
午後3時30分開廷。まず、原告側が第4、第5準備書面の要旨朗読を約10分行いました。二つの書面は、前回、新潮社とダイヤモンド社が櫻井よしこ氏の表現は名誉棄損にはあたらない、と主張したことに対する反論です。齋藤耕弁護士は、新潮社が「事実の摘示であっても原告の社会的評価を低下させない」とする理由に対して、「表現を文節ごとに分解などして、一般読者が受ける印象とかけ離れた解釈をしている」と批判しました。また、竹信航介弁護士は、ダイヤモンド社が「表現が具体性に欠けるから原告の社会的評価は低下しない」とする理由について、最高裁の重要な判例を引用して「社会的評価を低下させるものであるかどうかの判断は一般の読者の普通の注意と読み方とを基準として判断すべき」と反論しました。
これでこの日の陳述は終わり、次回以降の進め方について岡山忠広裁判長の考えが示されました。原告と被告の主張を裁判長があらためて整理し直し、土俵をきちんと作って審理の速度を早めようという趣旨の提案でした。裁判長は双方に同意を求め、いくつかのことを確認して閉廷する段取りでした。
ところが、ここで波乱が起きました。櫻井氏の代理人弁護士が、「ワックの陳述を原告は読み違えている」「きょう予定されていた弁論を原告はしなかったため2カ月も空転が生じた」などと発言したのです。傍聴席には失笑があちこちでもれました。呆れた人もいたはずです。原告弁護団は黙ってはいませんでした。伊藤誠一弁護団長、小野寺信勝事務局長、大賀浩一弁護士が次々と大きな声で反論しました。
結局、岡田裁判長のソフトな裁きで混乱には至りませんでしたが、閉廷したのは午後4時10分。波乱気味のやり取りを含め40分も費やした口頭弁論は、植村裁判ではこれまでの最長記録です。このやりとりについて、弁論の後に開かれた報告集会で、大賀浩一弁護士は、こう解説しました。
――そもそもワックの準備書面(9月30日付)は、よくわからない、はっきりしない、煮え切らない内容のもので、私は10回読み直したが理解できなかった。裁判長が、それでは困るので裁判所が内容を整理しますよ、ということなのです。それについて、原告が内容を読み違えたとか変えたというのは、ワックに代わって口を出した弁解、いちゃもんです。2カ月の空転とかいうが、原告側が待っていた櫻井氏の準備書面を代理人は9月30日までに提出せず(出版3社は提出)、その1カ月後に、書面はどうしたのかと問いただすと、各社の主張を援用すると言ったのですよ。各社の中にはワックも入っている。ワックにしても、提出した重要書面を陳述しながら、その内容を変えるというのは、民事訴訟法では「自白の変更」といって、よほどの事情がない限り許されないことなんです。

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報告集会は午後4時20分から6時40分まで、札幌市教育文化会館で開かれました。大賀弁護士と植村隆さんの報告の後、女たちの戦争と平和資料館wam事務局長・渡辺美奈さんが「『慰安婦』問題の現在」と題して講演しました。
<報告と講演の詳報は後日掲載します>

渡辺さんの講演に聴き入る参加者(12月16日、札幌教育文化会館)

2016年12月15日木曜日

吉見控訴審、棄却

慰安婦問題をめぐる名誉棄損で吉見義明・中央大学教授が元衆院議員・桜内文城氏を訴えていた訴訟の控訴審判決言い渡しが12月15日午後3時から東京高裁101号法廷であり、吉見氏の控訴は棄却されました。
不当判決に抗議する支援者ら(12月15日、東京高裁前で)
吉見義明氏名誉毀損事件の東京高裁判決に対する弁護団声明

1  本日、東京高等裁判所第19民事部は、桜内文城前国会議員(旧日本維新の会)の吉見義明中央大学教授に対する名誉毀損事件について、吉見氏の控訴を棄却するという不当な判決を下した。

2  この事件は、橋下徹大阪市長(当時)が、2013年5月27日、「慰安婦」問題に関して日本外国特派員協会で講演した際に、同席していた桜内氏が、「ヒストリーブックスということで吉見さんという方の本を引用されておりましたけれども、これは既にねつ造であるということが、いろんな証拠によって明らかとされております。」と述べたこと(以下「本件発言」という。)が、吉見氏の名誉を毀損したという事件である。

3  本判決は、本件発言中後段の「これは」の意味について、控訴人が主張するように「吉見さんという方の本」と理解することも考えられるが,被控訴人が主張するように日本軍が女性を強制的に性奴隷としたとの事実又は慰安婦について強制性があったとの事実を意味するものと理解することも十分に考えられるとした上、そもそも曖昧な言い回しであることから、何を意味するかが分からない者も少なくないと述べ上で、控訴を棄却した。

4  しかし、一般人の通常の理解を前提とした場合、本件発言は「吉見さんという方の本」であるということは明瞭である。しかも,本判決は様々な理解が可能であるとする根拠 についてひとことも述べていない。控訴人は、「これは」について「吉見さんという方の本」を指すことを示す証拠をいくつも提出しているのに対し、被控訴人が主張する事実を認定する証拠は全く出されていない。
  また、仮に本判決が述べるとおり、「これは」についていくつかの理解が可能であるとしても、少なくとも控訴人が主張している理解も考えられるとしている以上,その点において名誉毀損が認められてしかるべきである。
    さらに、地裁判決は社会的評価の低下を認めているのに対し、本判決はそれすら認めておらずさらに後退しているのであり、断じて容認することはできない。
  歴史研究者にとり研究成果がねつ造とされることは、研究者生命を抹殺させるに等しい最大限の侮辱であり、社会的評価の毀損であることは容易に理解できるものであり、この点からも本件判決の不当性は明らかである。

5  私たちは、不当な本件判決に強く抗議するとともに、速やかに上告し、吉見氏の名誉回復のために最後まで戦う決意を表明するものである。

                        2016年12月15日
                        吉見義明氏名誉毀損訴訟弁護団

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■「初歩的な言葉の理解ができない高裁判決!」 吉見義明氏と弁護団が記者会見

吉見義明氏の弁護団は同日午後5時から司法クラブで記者会見を開いた。出席者は、吉見義明・中央大教授のほか、吉田裕・一橋大教授、大森典子弁護士、穂積剛弁護士、川上詩朗弁護士。以下は主な発言。

【川上】控訴棄却という不当判決が出た。断固抗議したい。弁護団声明は、短い時間で検討したので暫定版ということで。「これは」が何をさすかが争点になっていた。「さまざまな理解が可能だ」ということで、控訴人が主張しているような内容と認定することは難しいという入り口論で切り捨てられた。その後につづく捏造、名誉毀損、事実摘示か評価かといったところに入る前で判断された。

【大森】被控訴人が記者会見されたと聞いている。詳細に申し上げたいが、ほんとにシンプルに、もう一度被控訴人の当該発言をよくごらんいただきたい。彼は次のように言っている。「彼はsex slavaryといっている。そのような言葉を使うのはアンフェア。それからヒストリーブックスということで吉見さんの本を引用されたが、これはすでに捏造ということが明らか」というセンテンス。
日本語を使っている者から、吉見さんの本は捏造だと明らかというふうにここで「これは」と接続詞、代名詞を使えば直前のものをさすのは明々白々。被控訴人は「sex slavery」と言い、言葉足らずだったと言っている。すなおに読めば吉見さんの本は捏造だと明らかにされているとしか理解できない発言だと思います。
それに対して、一審判決は敗訴しましたが、「本件発言の後段部分で、原告の名前をあげて『これ』と言ったことから、性奴隷説とは認められない」と判断している。それを認定したので、捏造という言葉が単に誤りというところで被告を勝たせた。
そういう判決も被告勝訴の結論から無理な論述を重ねたが、その判決でさえ、この「これは」は吉見さんの本としか理解出来ないと認定した。
それについて今回の控訴審判決は、吉見さんの本と理解する人もいるかもしれないが、sex slaveryと理解する人もいるかもしれない、あいまいだと認定している。通常の日本語の理解ができない人の判断だ。吉見さんの本としかいえないところをどうやって被控訴人を勝たせるかということで、吉見さんの本と述べたとはいえないとして、名誉毀損にあたらないと。そういうところで結論をだした判決と読める。
まさかこんなところでこんな論述をされるとは。ほんとうにびっくりしました。わたしどもとしては、理解の限界をこえるので、上告しますし、これまでの判決の積み重ねからはこのような判決を理解するとは思えない。

【吉見】研究者にとって捏造、改竄、盗用は研究者にとってやってはいけない。そのことを認めない高裁判決に深い憤りを覚えます。名誉毀損判決を広く容認することになると憂慮している。ごくごく初歩的な言葉の理解が、高裁で理解できないというのは、ほんとうにそれこそ理解できない。
歴史修正主義者による歴史の歪曲が起こっている。そのような歪曲に対しては今後もたたかっていきたい。

【穂積】短時間で検討した結果、弁護団声明に記載したが、内容について触れたい。発言自体は短いもので、原判決の添付によって、橋下市長を紹介するコメントのなかでsex slaveryと言うことば、「これは」、アンフェアである。
そして二つ目の「これは」。これだけの内容です。二つ目の「これは」が何をさすのかと。小学校のテストだって間違えません。小学生ですら間違えない文脈の読み間違えをこの裁判所はやっていると判断せざるをえない。
弁護士として絶望的な気分にならざるをえません。知性の頽廃が裁判所まで毒されているのかと恐怖を覚えざるをえない。
われわれは、二つ目の「これは」が吉見先生の本をさすとみなが認識しているという証拠を出した。
記者会見の内容を速報した朝日新聞デジタルは、「桜内文城衆院議員は、橋下市長を紹介するコメントの中で、ヒストリーブックスということで、吉見氏の本を紹介したが、すでに捏造である」と書いている。だれが読んだって吉見先生の本ですね。
ブロゴスというサイトも速報していました。編集部注として要約した文章で、「同席の議員からsex slaveryという単語はアンフェア。吉見義明という人については捏造だ」と書いている。当たり前です。小学生ですらわかる。証拠に出しています。なんでいっさい無視されているのか。
ニコニコ動画で記者会見が生中継されていた。動画にコメントが次々と流れていく。こういう人たちがどうコメントしたか。「吉見 捏造本 捏造だ 岩波書店の本を堂々と捏造と」と流れている。当たり前ですよ。小学生ですらわかること。
だれもみんな捏造の対象は吉見義明先生の本だと。
これに対して被告側のほうからは「sex slavary」だという証拠が出ていない。どうして裁判所は正反対の結論を出すのか。これは裁判所の知性の後退が進んでいるのは恐怖だ。裁判所に知性はない。みなさんの権利が侵害されるかもしれない。判断されるかもしれない。極めて恐ろしいと思わざるをえません。
当然上告して争います。このような反知性主義が最高裁まで毒されていないことを願いますし、国家としての危機といっても過言ではない。

【吉田】思いもよらぬ判決でびっくりしています。予想もしていなかった。「これは」は何をさすかと聞かれたら吉見さんの本をさす、というのは当然だ。
捏造と認定されることは処罰の対象。センシティブな内容を精査もなしに捏造と決めつけること自体ヘイトスピーチ。研究者自体、こういう問題をとりあげるのに萎縮したり自主規制したりすると強く危惧する。不当な判決だ。

【大森】わたしどもはこの裁判は、吉見先生の本を捏造だと名誉毀損発言をしたという発言者に対して、言論の自由の埒外でペナルティーをはらうべきだというところに主眼がある。捏造だという発言が今日あちこちで簡単に出されている。そいういう根拠内発言は許されないというのが訴訟の主眼です。被控訴人が捏造だ、捏造だといい、控訴審の法廷でも、吉見さんは捏造をして世界に振りまいて日本人の名誉を傷つけていると根拠なしにふりまいている。こういう言論は許されないということを示していただきたいというのが目的です。そこのところははっきりさせていただきたい。
裁判所が理解できないからというよりは、むしろ政治的にこの種の事案について、裁判所は当然ほかの場面なら判断しただろう枠組みの適用をしないで、無理な論述をしてでも発言した側を救おうという政治的配慮が働いている。そういう危険性を感じるというように思います。



2016年12月14日水曜日

東京訴訟第7回速報

植村裁判の東京訴訟第7回口頭弁論が12月14日午後3時から東京地裁103号法廷で開かれた。この日の傍聴券行列は50人。いつもの抽選はなく、抽選後に来た人も含め全員(65人)が傍聴した。
原告席には植村さんのほか中山武敏、神原元、宇都宮健児、黒岩哲彦、穂積剛、泉澤章、吉村功志、秀嶋かおり各弁護士ら11人が着席、いっぽう被告席はいつものように喜田村洋一弁護士ともうひとり若い弁護士の2人だけ。原克也裁判長が定刻より2分早く入廷したため、開廷時刻まで法廷には奇妙な沈黙の時間が流れたが、午後3時、「閉めてください」と法廷のドアを閉めさせて開廷した。
■「平穏な生活を営む権利」と「共同不法行為」
冒頭、まず被告側の準備書面陳述手続き。いつものように要旨朗読はなく、被告側の音無しの構えはこの日も続いた。原告側は第5準備書面を提出し、その要旨を神原弁護士が陳述した。
これまでの裁判で、原告側は、「週刊文春」と西岡力氏による名誉棄損表現は、植村さんの名誉とプライバシーを侵害する不法行為であることを具体的に論証してきたが、今回はその論証に加え、①植村さんは「平穏な生活を営む権利」を侵害された、②その侵害行為は文春と一部勢力の「共同不法行為」であり、文春はその責を負わなけれならない、と主張した。
「平穏な生活を営む権利」と「共同不法行為」は原告側のこれまでの主張を法理論的に補強するもの。
この日提出された第5準備書面によれば、「平穏な生活を営むことについての人格的利益」は、受忍限度を超える態様で侵害された場合には民法上不法行為として損害賠償の対象になる。判例では、たとえば工場の操業による騒音粉塵被害や飛行場の騒音被害から、犬の鳴き声の放置や隣人による布団たたきの音などまで、幅広く認められている。サラ金業者が債権取り立てのために債務者の自宅の近隣に張り紙をしたり、勤務先や家族に連絡を入れて精神的に追い込む行為も、一連のサラ金訴訟で不法行為とされている。「植村さんが勤務先や自宅へ受けた嫌がらせや脅迫は、サラ金取り立て業者の行為と極めて類似しているが、侵害の程度ははるかに大きい」。陳述で神原弁護士はそう主張した。
「共同不法行為」とは別々の行為の間に因果関係や共謀がなくても、客観的にみて関連性が認められれば成立する。植村裁判では、週刊文春とネトウヨ勢力が行った①ブログでの大学攻撃の扇動②インターネットテレビ「チャンネル桜」での攻撃③神戸松蔭女学院大学へのメールとFAXによる中傷④北星学園大学へのメールとFAXによる中傷、がそれにあたる。
「いずれも文春記事を引用しており、時期も近接すること、植村さんから大学の職を奪うという共通の目的を有している」と、神原弁護士は「共同不法行為」成立の要件を説明し、さらに「次回弁論では、成蹊大学渡辺知行教授の意見書を提出する」と述べた。
意見書提出期限を3月22日とし、午後3時10分に閉廷した。次回期日は4月12日(水)午後3時と決まった。

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■植村さん、来年度もカトリック大学で客員教授に
裁判の後、午後4時15分から6時まで、報告集会が参議院議員会館講堂で開かれた。
弁護団からは神原元、秀嶋ゆかり弁護士の説明と報告があった。そのあと、川崎市でヘイトスピーチデモ反対運動の先頭に立ち、反ヘイト法成立の世論と行政当局を動かした崔江以子(ちぇ・かんいぢゃ)さんがあいさつをした。最後に植村隆さんが自身の2016年の活動を報告。「来年度もカトリック大学で勤務を続けることになりました」と語り、大きな拍手を浴びた。
写真上左から、神原弁護士、秀嶋弁護士、崔さん、下=植村さんと会場
<集会の詳報はこの記事の下にあります>

東京12.14集会

12月14日午後、第7回口頭弁論の後、報告集会が参議院議員会館で開かれ、72人の参加がありました。集会での4人の発言(要旨)を順に収録します。※発言記録の文責はすべてブログ管理者にあります

神原元・弁護士(東京訴訟弁護団事務局長)
▼この裁判で訴えているのは名誉毀損です。名誉毀損とは、その人の社会的評価を低下させる行為、とりわけ「あいつは噓つきだ」「犯罪を犯した」と事実をあげて社会的評価を低下させる行為です。他方、植村さんが受けた被害はそれだけではない。大学にたくさんの嫌がらせのメールやファクスが来る。娘さんの写真がネットにさらされ誹謗中傷される。学生を痛めつけると脅迫状が送りつけられるという被害です。これは犯罪行為であり、社会的評価を下げるわけではないが、文藝春秋は「それはうちのやったことではない。因果関係がない」といっている。
▼こういうやり方、攻撃は非常に増えています。私は在特会との訴訟もやっているが、「電凸」というのがある。電話突撃の略称で、プライバシーをネットでさらして嫌がらせを集中させ、その人を社会的に葬るというやり方です。「電凸」とか「炎上」とか「燃料投下」ともいう。彼らは「言論活動だ」「抗議活動だ」「因果関係はない」と言う。文藝春秋の手口もよく似ている。慰安婦問題は議論しましょう、と言いながら、20何年か前に朝日で記事を書いた記者がいまどこに勤めているか、を書く必要があるのか。個人を社会的に抹殺するために有効なのは勤務先を攻撃することなのです。その個人は確信がもっているから、本人を攻撃しても痛めつけられない。そこで、職場を攻撃し、家族を攻撃する。そうやって本人を痛めつける。
▼きょうの弁論では、名誉毀損とは別に、「平穏な生活に対する侵害である」という理論構成を主張しました。これは、提訴当時から弁護団内部で議論をしてことですが、きょう初めてクリアにして主張をしました。裁判例では、平穏な生活の侵害であるといろんなことを取り込んでいますが、わかりやすいのは空港の騒音被害、あるいは工場による粉じん被害。犬の鳴き声とかピアノの音とか、近くに葬儀場ができたとかというのも、平穏な生活の侵害だとしている。植村さんへの攻撃がこれにあたらないわけがない。
▼もうひとつ新たに主張したのは、共同不法行為です。大学に対してファクスやメールで嫌がらせしたり脅迫状尾を送るのは不法行為であり、文春の記事も不法行為であり、この二つは共同不法行為であるという主張です。共同不法行為は裁判ではかなり広く認められていて、あっちの工場とこっちの工場の煙突からそれぞれ煙が出た、どっちの煙で被害を受けたか分からない、そんなときにどっちの責任も認める。刑法の共犯よりも幅広く認める。本件でのメールやファクスはみな文春の記事を引用している。文春の記事が出たとたんにメールやファクスが殺到したのだから、共同不法行為を構成するとして文春に責任を負わせる。責任がないというわけにはいかないでしょう。
▼準備書面はこちらが毎回50ページから80ページのものを提出しているが、向こうは5ページから10ページで、やる気がない。これまでの到達点として申し上げると、「捏造記者ではない」との論証は尽きている。さらに「生活への侵害」という主張も始めており、これも主張としては完成しつつある段階です。この共同不法行為を中心とした法律理論は、大学の先生に意見書をお願いした。これが認められるとほかにも応用が利く理屈、理論になるので、新たな判例を作るくらいの勢いでしっかり論証したい。

秀嶋ゆかり弁護士(札幌訴訟弁護団)
▼今朝の飛行機で来ました。札幌は70センチの雪が降りました。東京は暑いですね。
札幌訴訟は、櫻井よしこ氏、新潮社、ダイヤモンド、ワックを被告に提訴し、ことし4月に第1回弁論、あさって16日に第5回弁論が予定されています。札幌の裁判長は「みなさん、拍手は心のなかでしてください」などと言い、ざっくばらんです。心証もストレートに言いますし、詰めるところは詰めるという裁判長です。この裁判長のもとで、判断まで行きたいと考えています。
▼被告側の主張がようやく整ったところです。こちらが、どこが名誉毀損表現なのかという特定をやって、9月30日までに被告が反論をするということでした。ところが櫻井さんが書面を出してこない。他の被告の書面を援用するという意味か、と聞いたら、そうだ、という。ワックのは意味がよくわからない書面だったので、裁判所が「整理します」と表にした。それも含めて桜井さんは「援用する」という。ある意味、やる気がない。裁判所の判断に強い信頼を置いているというか……。そういう対応ならこちらの主張を組み立てて出そうと準備しています。きょうの裁判で神原弁護士は損害論についての主張を補充していましたが、私たちも損害論については年度内に間に合わせる形で準備しています。
▼名誉毀損の訴訟は、どこまでが事実摘示でどこからかが論評か、というやりとりに圧縮される傾向があります。いまの裁判体も、どこまでが事実でどこからが論評かと整理して表にまとめようとしています。 しかしジャーナリストと銘打った櫻井さんが表現したことの意味、表現の自由の範疇といっていることの違法性をきちんと主張しなければならないし、裁判所に理解してもらって判断してもらおうと考えています。東京と平仄(ひょうそく)をあわせて連携し、進めていきます。

崔江以子(ちぇ・かんいぢゃ)さん
▼川崎の桜本からまいりました。先日、ほかのシンポジウムで今日の会のことを知り、お礼を伝えたいと思ってまいりました。私がたたかっているヘイトスピーチと、植村さんのたたかいは、いわれなき被害に遭っているという点では同じです。植村さんのたたかいから勇気をいただいていたので、お礼を伝えたいと思っていました。
▼私の暮らす桜本では2013年から13回、ヘイトデモが行われました。参加者が、「ゴキブリ、たたき出せ、死ね、殺せ」といってデモをする。大変おそろしくて、ずっと回避していた。ところが昨年11月、私たちの暮らす桜本に来るという予告がありました。桜本でともに暮らすという共生の町を破壊する行為だということで、路上に立ちました。大変つらい、ひどい思いをしました。中学生の息子の前で「死ね、殺せ」といわれました。息子は、母親が大人から死ね、殺せといわれて、それを警察から守ってもらえない、という体験をしました。行政機関に対応を訴えました。ところが行政は、根拠法がないから具体的な対策を講じられない、と助けてくれませんでした。
勇気をもらって反ヘイト運動の先頭に
▼死ね、死ね、とあまりいわれると、生きるのをあきらめたくなってしまうことがあります。息を吸って暮らしていることをあまりに攻撃されると、そうなのかと思ってしまう。このままでは、在日1世のこれまで苦労をしていまようやく豊かな生を送っているハルモニを、そして子どもたちを、守れない。神原先生に代理人になってもらって国に人権侵害の申告をしました。国会に参考人として呼ばれました。被害を語り届けました。その思いが届き、国会議員が桜本にやって来ました。この町での大変な人権侵害を現場で聞き、何とかしなければと言うことになって、法律ができました。
▼法律ができたことで、川崎市長はヘイトデモに対して公園使用を不許可としました。その法律を根拠に、裁判所で仮処分決定が出た。法律の実効性が示され、司法や行政判断でヘイトデモから守られました。ところが被害を訴えた結果、ネット上でたくさんの攻撃を受けました。先週末、ネットで私の名を検索したら110万件とヒットした。ネット上の攻撃で、1件1件しっかり傷つきました。子どもは写真を用いられ、名前をさらされ、中学校名もさらされ、異常な攻撃をうけました。日本から出て行けとか民族のルーツを否定するような。ツイッター、ユーチューブ。ネット社会で彼の学校のみなが知る。ネットでどんどん拡散します。
▼ネットのヘイトに対しては、しかたがないとか見ないほうがいいとかどうにもならないという考え方がありました。そんな苦しい夏のとき、うれしいニュースがあった。植村さんの娘さんの裁判の勝利でした。娘さんが裁判でたたかって、2年費やして勝った。娘さんのコメントに「ネット上の闇のなかの希望になりたい」とありました。娘さんの裁判の勝利に勇気づけられ、勇気をもらって、法務局に人権侵犯の申告をしました、行政機関に助けてくださいと、ネット上で人権侵害を受けていると。法務局がインターネットの運営会社に削除要請し、削除されました。
▼被害を受けて、たたかいのステージに立ち、負けないというのは厳しい。でも、当事者が負けない社会がある。その社会を支えるみなさんがいる。植村さんのことをシンポジウムで聞いたとき、植村さんが攻撃を受け、大学で守る会の活動が始まり声を発するまでの孤独や孤立、厳しい日々を思い、想像し、胸が張り裂けそうでした。私も負けないことで支えたい。植村さんは司法で、私たちは行政できちんと勝って、声をあげたものが負けないんだということを示して喜び合えることを信じて、たたかいたいと思います。

植村隆さん
▼きょうは、ことしこれまでに私がやってきたことを中心にお話しします。
きのう夕方、大学で「東アジアの平和と文化」という講義を終え、午後11時発の最終の飛行機で羽田に着きました。ベンチで休むわけにもいかないのでカプセルホテルに泊まり、きょうは朝からこの集会用にパワポでレジュメをつくっていましたが、最後のスイッチを押したところで全部消えてしまった。神様が「植村、調子に乗るな」ということだと勝手に解釈しました。大きな被害でしたが、なんとか復旧しました。
▼岩波書店から2月に出した「真実 私は捏造記者ではない」は韓国で翻訳本も出ました。韓国では私を捏造記者という人はおらず、むしろ「韓国人の代わりにやってくれて申し訳ない」と言われます。韓国で本が出たことで、多数のメディアが報道してくれました。ジャーナリズムスクールの学生の取材、「支える会」のブログの紹介、 「時事IN」というサイト、そしてテレビニュース、週刊雑誌「スクープ」。いろんなメディアが好意的に伝えてくれました。地方の大学の学生が来て、研究室でインタビューしていったこともあります。
▼どこに行っても歓迎されています。聖公会大学という大学で、学生がシンポジウムを開いて私を呼んでくれた。老若男女に呼ばれ、学生、社会人、研究者、さまざまな人が声をかけてくれている。市役所職員に公演をする予定もあります。大学での授業は、東アジアの平和と文化をテーマとしています。金大中氏の生涯、南北交流、南北共同宣言、そして詩人尹東柱。日本留学中に投獄され亡くなった悲劇の詩人の詩を読む。それと布施辰治さん。戦前の人権派弁護士で朝鮮人のためたたかった弁護士、自由法曹団のルーツを作った人です。この人が植民地時代に迫害を受けた人の弁護のために朝鮮まで行ったドキュメンタリー番組を見せたりもしています。いま日韓関係で日本の歴史認識問題がいわれて、日本からの留学生は元気をなくしている。しかし布施辰治のような日本人がいたことを話すと、日本人学生は元気になるのです。 
▼しかし、教えるということは、学生たちからいろんなことを教わるということでもあります。いま、スマホを2つ使っています。ガラケーを日本で使っていて、韓国では使っていなかった。スマホは電話を受けるだけに使っていた。そうしたら、学生がそれじゃダメだ、と。それでいろいろいじってくれて、世界中のネットラジオが聴けるようにしてくれたり、スマホで写真をとってネットで送れるようになった。圧倒的に早い。スマホっていうのは電話じゃない。パソコンだということにやっと気づいた。スマホの二丁拳銃で私の発信力は高まりました。教えるということは学生から学ぶということです。
▼私は朝日新聞の記者になって5年目の1987年、韓国の延世大学に語学留学生として1年間派遣されました。人生で最良の時期でした。いろんな人と会って韓国語を学びました。87年は軍事政権から民主化へと大きく変わった年でした。民主化の柱は3つあった。1つは大統領を直接選ぶこと。17、8年間、朴正熙時代には直接選挙をやめていた。それを直接選挙にした。2つ目は言論の自由。3番目が金大中さんの権利回復でした。
▼その10年後、私は特派員として韓国に行っていた。そして、金大中さんに会い、金大中さんが大統領に当選した記事を書いた。日韓首脳会談で小渕さんが過去の植民地支配をわびて、未来志向の流れをつくった。金大中さんは日本の大衆文化を開放した。それまでは認められなかった日本の映画が入って、そこから韓国の映画が発展して冬ソナブームが起きた。そして、朴槿恵さん。当時、日本の記者で私が最初にインタビューしたと思う。父だけでなく政治家としての彼女が問われている、と書いた。朴槿恵大統領はカリスマで人気があったが孤独な人です。父も母も暗殺され、人を信じない。しかしいま、国政のかじ取りができなくなって、こうなっている。
▼毎週、ロウソクデモに行っています。国会前のデモの最前線、昔なら催涙弾が飛んできましたが、いま警察は、催涙弾も水鉄砲も撃てない。人々はロウソクの力だけで世の中を変えている。私は大変な現代史の現場に今、ジャーナリストとして立っています。出会いがあって、カトリック大に呼ばれて、また新たな出会いがあって、時代を見ることができる。いい機会を得たと思っています。カトリック大学は1年契約でしたが来年もやれということになり、来年も勤めることになりました。
来年は2017年、また7の年です。来年も忙しいですが、ぜひみなさんの力を借りてたたかい抜いていきたい。

 

2016年12月10日土曜日

植村隆のソウル通信第7回

「運命の日」12月9日、韓国国会前で



文・写真=植村隆


きょう9日は韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領にとって「運命の日」である。大統領の弾劾訴追案がソウルの汝矣島(ヨイド)にある国会で午後3時から採決されるのだ。

午後1時半に職場のカトリック大学からスクールバスで地下鉄駅谷駅へ向かう。駅のホームの売店で、いつものように京郷新聞を買った。今日の一面も大胆な紙面づくりだ。
「どちらの歴史に名前を載せますか」という問いかけの下に安重根の手形がある。日本の朝鮮侵略に反対した独立運動家の安重根(1979~1910)は、1909年、初代韓国統監の伊藤博文を暗殺した人物だ。しかし、韓国では「義士」と呼ばれ、尊敬されている。
さらにその下には、「2016年12月9日、朴槿恵大統領弾劾訴追案採決……大韓民国の運命を分ける300人」という文章があり、国会議員300人全員の名前が記されていた。国の命運が議員一人ひとりの投票にかかっているということを重く受け止めて、投票せよというメッセージなのだろう。一面には、それ以外のニュースはなし。こんな斬新なスタイルをとる姿勢が面白く、愛読している。

■国民の8割が弾劾に賛成
さて、弾劾訴追案が可決されるためには定数(300議席)の3分の2以上、つまり議員200人以上の賛成が必要となる。「共に民主党」(121議席)、「国民の党」(38議席)、「正義党」(6議席)の野党3党が足並みをそろえ、弾劾案に賛成する党方針を掲げている。これに無所属7議席を加えると172人。だが、これだけでは足りない。
可決には、与党「セヌリ党」(128議席)から28人以上の造反を得られるかが、焦点となっている。「セヌリ党」の非主流派議員らは、弾劾案に同調の意向を示しており、同党は自由投票を行う方針を決めていた。
京郷新聞の3面には、「国民の10人に8人は『朴大統領を弾劾せよ』」の見出しで、民間の世論機関の調査結果を報じていた。78・2パーセントが弾劾に賛成。60代以上を除くと、すべての世代で、賛成が圧倒的だという。

地下鉄を乗り継いで、国会前に向かった。
汝矣島は漢江の中州にある島である。午後2時半ごろに地下鉄汝矣島駅に着いた。上空をヘリコプターが飛び、朴大統領を批判する人びとの声が聞こえてきた。
風が冷たい。フードをかぶって、集会場へ向かう人びとの姿も見える。私もフードつきのダウンコートを着てくれば良かった。
国会前には、弾劾案可決を求める多数の市民らが集まっている。汝矣島公園を通り過ぎ、国会に向かって歩く。国会議事堂のドームが見えてきた。通りを走るボンゴ車が、スピーカーで弾劾反対を訴えている。聞き取り難かったが、おおむねこんなことを言っていた。
「大統領を捕まえてどうするのだ。国民の皆さん、国を守りましょう。朴槿恵大統領が下野したら、どうなるのか。アカが大統領になったらどうする」「皆さんが乗っている地下鉄も、アパートも、すべて朴正煕(パク・チョンヒ)大統領がつくった。(いまの)朴大統領はその娘さんだ」
朴大統領の擁護を訴える人々の車である。

国会議事堂前に来た。丸いドームの巨大な建物が見える。
韓国の観光案内ホームページ「KONEST」によると、1975年に建てられ、アジア最大級の議事堂で、敷地はこの汝矣島(ヨイド)8分の1にあたる、という。いまは観光名所でもあり、☆印が5個ついていた。

議事堂の正門には警官隊が人の壁をつくり、その前に市民たちが集まっていた。正門前の大きな道路では車が行き交う。車道の手前には何台もの警察の大型バスが隙間なく縦列駐車されていた。このため、車道を渡って、正門前には行けないようになっていた。正門前に行けない市民たちは、この警察バスの前に集まり、朴大統領の下野を求める歌を歌ったり、「拘束」などのスローガンを叫んだりしていた。さらに与党セヌリ党についても、「共犯だ」「廃止せよ」などと批判していた。


■市民デモに柔軟に対応する警官隊
正門前に行こう、でも行けるかな、と思いながら、大型バスの列を迂回するように右側に歩いた。ずっと歩くとバスの車列が切れている部分があり、そこから横断歩道を渡った。そして、国会の正門に続く歩道を左に行こうとした。しかし、そこも警官隊が封鎖している。
すると、「弾劾」などと書かれたプラカードなどを掲げた市民グループが集まっている。「拘束」という言葉を大きな布じゅうに手書きし、それをマントのように羽織っている大柄な人物に見覚えがあった。別のデモの現場で会ったことがあるのだ。
そのグループが行列をつくり、この警官隊の前に立った。正門へ行こうとしているのだ。(警官隊と)衝突するかなと思ったが、警官隊はそのグループを通すことにして、少し人垣の間を空けている。私も、そのグループをスマホで撮影しながら、その後に続いた。
驚いた。警官隊が人の壁を作っているのだが、市民デモには柔軟に対応しているのだ。こんなことは、過去の体験ではなかった。大多数の民意を見ているだろうか。警察が力をむき出しにして、市民と対決する場面が今回は見られないのだ。

私はそのマントを羽織った人物のグループについて、歩道を歩き、正門前に向かった。
途中の歩道に、黄色い風船をふたつ、つけた犬がいた。背中に「朴槿恵を拘束しろ」という赤い紙のプラカードを巻いている。飼い主がつけたのだろう。ちょっとした人気者、人気犬か。行き交う人々が写真を撮っている。犬もまた慣れたもので、写真を撮られても、動かない。

正門前に到着した。大勢の市民が正門をガードする警官隊の前に集まっている。
もう午後4時を過ぎた。市民たちは、警官隊と向き合っているが、なかにはスマホで、テレビ中継されている議事堂内の採決の様子を眺めている人もいる。便利な時代に なったものだ。それにしても何か臭う。ずっと洗っていない柔道着のような臭いだ。重装備している警官隊の戦闘服の臭いなのだろうか。

警官隊の厚い壁のうしろには朴大統領を支持する人々が国旗(大極旗)を振っている。「反対」「反対」という言葉を繰り返していた。手書きのプラカードが見える。=写真右
「朴大統領の人民裁判より、文在寅(ムン・ジェイン)をすぐに拘束しろ」と読める。野党「共に民主党」の前代表である文氏に対する怒りを示しているのである。しかし、「反対派」の数は、「賛成派」に比べると、圧倒的に少数である。

■親朴大統領派からも多数の造反者
正門の通用門付近に移動した。近くの中年の男性がスマホを地面におき、眺めている。すると、周りの人がそれを取り囲み、まるで円陣になった。その男性が叫び声を上げた。「……56」という数字だけが、聞き取れた。反対が56しかな かったということだ。弾劾案が可決されたのだ。
 「弾劾訴追案可決」の情報が周辺に伝わると、「ワー」という大きな声が広がり、あちこちで喜びの声があがった。9日午後4時10分ごろのことだ。
手をあげて喜ぶ人々、踊りだす人々。バラの花を一輪手に持つ人々。修道女たちの姿も見える。正門前で、ギターを抱えた人が歌い始めた。またたく間に、正門前の大きな車道が人々に占拠され、一時車両通行不能になった。
あとはお祭りのような雰囲気だ。電動車いすの男性が両手を天に突き上げて喜んでいる。いつのまにか朴大統領を応援する人々の姿が消えていた。弾劾賛成派との衝突もなく、静かに移動したようだった。


正門前で、記念写真を撮り始める市民たち。そして、バリケードによじ登り、国会議事堂に向かって写真を撮る青年。だが、それを警官隊は声を出して注意するだけで、引きずり下ろさない。
中年の男性が私に「警官隊と一緒に写真を撮ってくれ」という。自分のスマホは電池が切れたのだという。撮ってあげたところ、私に名刺を渡して、そこに送ってくれという。金融関連会社の顧問の名刺だった。
集会参加者が、「朴槿恵 弾劾 祝賀します」という大きな横断幕を警官隊の前に掲げた。
正面から見ると、まるで国会を背にした警官隊がこの横断幕を前にして整列しているように見えた。不思議な風景だ。その横断幕の前で、また市民たちが記念写真をとっている。


京郷新聞には、与党・セヌリ党の親朴大統領派(主流派)の80~90人が「反対」という事前の情勢を伝える記事が出ていた。実際に反対が56人にとどまったということは、親朴大統領派から、多数の造反者 が出たことになる。

集会が続く国会正門前から離れることにした。今度は、地下鉄の国会議事堂駅から電車に乗ることにした。午後5時ごろである。地下鉄の改札に向かう通路では声を枯らした女性が、大きな声で叫んでいた。「皆さん、歴史的な日です。来てください。マッカリを一杯やってください」
乗り換えのため降りた途中の駅のエスカレーターで私の隣にいた会社員風の男性がスマホで話をしていた。「こんな嬉しい日はお酒を飲まなければ」という言葉が聞こえた。地下鉄の車中でも、隣に立っていた若い女性が座席に座った年配の女性に採決の結果について、しゃべっていた。

カトリック大学のある駅・駅谷駅に到着し、二階の改札口付近にある売店に夕刊紙を買おうと店に入った。午後5時45分ごろだった。店内で、朴大統領の声が聞こえる。ラジオかなと思って、店のおじさんに聞くと、「これで見ているんだ」と目の前のパソコンを示した。店番をしながら、朴大統領のコメントを放送するテレビニュースを見ているのだった。

■自ら辞めるとは言わなかった大統領
弾劾案採決結果は、賛成234、反対56、棄権2、無効7。可決定足数200を34も上回る、圧倒的な数での可決だった。
先の京郷新聞が伝えた民間世論調査機関の弾劾案賛成の比率78・2パーセントとほぼ一致する。国民世論が与党にも大きな、圧力を加えたのは間違いないだろう。与党セヌリ党では弾劾案に62人が賛成したと見られ、反対者56人を上回った。

この弾劾可決で、朴大統領は大統領の職務執行権限が停止された。今後は、黄教安(ファン・ギョアン)首相が大統領権限代行を兼ねる。そして、この国会の弾劾訴追採決を憲法裁判所が審査し、最終判断を出す。憲法裁判所は180日以内に結論を出さなければならない。
2004年に盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が選挙違反で、弾劾訴追されたときは約2カ月で、棄却決定が出た。今回、憲法裁判所が朴大統領の弾劾を決定すれば大統領は罷免され、60日以内に大統領選挙が行われる。弾劾棄却なら、朴氏は職務に復帰する。
一方で、朴氏は、与党セヌリ党が示した4月退陣案を受け入れる考えも示している。韓国の大統領は任期5年で再任は出来ない。2013年2月に就任した朴大統領の任期は通常なら、18年2月までで、大統領選挙は17年12月の予定だった。それが、数カ月繰り上がることになる。

朴槿恵大統領は、「運命の日」の午後5時から開いた国務委員懇談会で陳謝の意を表明した。
「国会と国民の声を重く受け止め、現在の混乱が収拾されることを心から願っている。今後、憲法裁判所の弾劾審判と特別検察官の捜査に、淡々とした心情で対応していく」などと述べた。しかし、自ら辞めるとは言わなかった。
これは、野党や市民たちが要求している「即時退任」には応じない、という意思表明ととも取られる。一方、大統領選挙モードになれば、野党の足並みが乱れるのがという、「伝統」がある。今後も韓国では、政治混乱が続くいていく可能性は強い。