2017年4月28日金曜日

慰安婦報道巡る判決

朝日新聞の慰安婦報道をめぐって起こされている集団訴訟の一つ、「朝日グレンデール訴訟」で4月27日、東京地裁は原告(在米日本人を含む2557人)の請求を棄却しました。ほかの二つの訴訟でも地裁、高裁判決で原告の請求は棄却され、朝日の勝訴が続いています。判決要旨と3訴訟の経過は当ブログ記事「朝日新聞への提訴」にあります。
以下の引用は、4月28日付朝日新聞記事の全文です。

原告の請求棄却、朝日新聞社勝訴 
慰安婦報道巡る名誉毀損訴訟 東京地裁
朝日新聞慰安婦報道で誤った事実が世界に広まり名誉が傷つけられ、また米グレンデール市に慰安婦像が設置されて在米日本人が市民生活上の損害を受けたなどとして、同市近郊に住む在米日本人を含む2557人が朝日新聞社に対し損害賠償などを求めた訴訟の判決で、東京地裁は27日、原告の請求を棄却した。佐久間健吉裁判長は、記事は名誉毀損(きそん)にも在米日本人らへの不法行為にもあたらない、と判断した。原告側は控訴する方針。

訴えの対象は「慰安婦にするため女性を無理やり連行した」とする吉田清治氏の証言に関する記事など朝日新聞記事49本と英字版記事5本。佐久間裁判長は判決で「記事の対象は旧日本軍や政府であり原告ら現在の特定個人ではない。問題となっている名誉が原告ら個人に帰属するとの評価は困難」とし、「報道で日本人の名誉が傷つけられた」とする原告の主張を退けた。

また、報道機関の報道について「受け手の『知る権利』に奉仕するもので、受け手はその中から主体的に取捨選択し社会生活に反映する」と位置づけた。

それを踏まえて「記事が、国際社会などにおける慰安婦問題の認識や見解に何ら事実上の影響も与えなかったということはできない」とする一方で、「国際社会も多元的で、慰安婦問題の認識や見解は多様に存在する。いかなる要因がどの程度影響を及ぼしているかの具体的な特定は極めて困難」と指摘。そのうえで、在米の原告が慰安婦像設置の際に受けた嫌がらせなどの損害については「責任が記事掲載の結果にあるとは評価できない」と結論づけた。

朝日新聞慰安婦報道をめぐっては、三つのグループが朝日新聞社に対し集団訴訟を起こした。いずれも東京地裁や高裁の判決で請求が棄却されている。
     ◇
判決は、吉田証言などを取り上げた朝日新聞の報道が海外で影響を与えたかについても言及した。
原告側は裁判で、慰安婦問題について日本政府に法的責任を認めて賠償するよう勧告した国連クマラスワミ報告(96年)や、歴史的責任を認めて謝罪するよう求めた米国の下院決議(07年)が、朝日の慰安婦報道の影響によるものと主張した。
これについて判決は、クマラスワミ報告での慰安婦強制連行に関する記述は吉田証言が唯一の根拠ではなく、元慰安婦からの聞き取り調査もその根拠であることや、クマラスワミ氏自身、「朝日が吉田証言記事を取り消したとしても報告を修正する必要はない」との考えを示している、と認定。米下院決議については、決議案の説明資料に吉田氏の著書が用いられていないことも認定した。

また原告は、「朝日新聞が80年代から慰安婦に関する虚偽報道を行い、92年の報道で、慰安婦と挺身(ていしん)隊の混同や強制連行、慰安婦数20万人といったプロパガンダを内外に拡散させた」などと主張した。この点について判決は、韓国においては「慰安婦の強制連行」が46年から報じられた▽45年ころから60年代前半までは「挺身隊の名のもとに連行されて慰安婦にされた」と報道された▽「20万人」についても70年には報道されていた、と認めた。

2017年4月15日土曜日

札幌訴訟第7回弁論

植村裁判札幌訴訟(被告櫻井よしこ氏、新潮社、ダイヤモンド社、ワック)の第7回口頭弁論が4月14日、札幌地裁805号法廷で開かれた。
午後の陽光を浴びて入廷する植村さんと弁護団
植村弁護団は第10、11準備書面を提出し、その要旨を川上有、上田絵里、大類街子の3弁護士が読み上げた。被告櫻井氏の言説がネット上で拡散し、激しいバッシングを引き起こしたことはこれまでの弁論でも明らかにされているが、この日の弁論では、ふたつの大学(神戸松蔭女子学院、北星学園)に寄せられたメールや電話、ファクスが、ネットで流れた櫻井氏の記事を引用するなど、密接に関係していることを時系列的に指摘し、櫻井氏の言動を次のように批判した。
※第11準備書面要旨は記録サイト「植村裁判資料室」に収録 こちら

▼SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)を利用した情報発信は、連鎖的に感情が増幅されることがしばしばあります。情報の送り手が激怒すれば、受け手がこれに呼応して感情を増幅させていくのです。その結果、芸能人らのブログがしばしば炎上したりします。被告櫻井は、このようなSNSによる情報伝達の威力を十分に知っていました。だからこそ、被告櫻井は、自分の記事をブログに転載しているのです。
▼被告櫻井は、反韓嫌韓感情に触れる情報が、ネット社会でどのように拡散していくかについて十分に認識していました。被告櫻井は、ネット右翼の言動の問題点を十分に認識していました。
これは、被告桜井自身がSAPIOに「ネット右翼のみなさん、現状への怒りはそのままに歴史に学んで真の保守になってください」という記事を書いていることからもわかります。そこでは、ネット右翼がネット上で「朝鮮人は半島に帰れ」など書いていることが指摘されています。そして、これらが誹謗中傷であるとしているのです。被告櫻井は、ネット右翼の言動を十分に熟知しているのです。被告らは、このようなネット社会の現状やネット右翼の言動を十分に知っていました。ですから、自分たちが放出する情報が、どのように社会に拡散し、影響を与えるかということを分かっていたということになります。
▼被告櫻井は、本件各論文を含む植村さんを批判する論文執筆やブログへの転載を続けています。日付だけ述べます。
2014年6月26日、7月3日、8月1日、7日、 16日、 21日、23日、 28日、9月1日、8日、13日、18日、25日、10月11日、14日、16日、17日、20日、23日、25日、12月11日、18日などです。執拗かつ多数といわざるを得ません。その間、同年5月から北星学園大学に対する非難・抗議のメール・電話が多数寄せられています。脅迫状も届いています。非難・抗議メールは多くの月で100通を超え、8月には500通を超えています。非難・抗議電話も8月以降は月100本を超え、200本を超える月もあります。被告櫻井は、このような経過の中で、本件各論文を執筆しているのです。被告櫻井が、このような経過を知らないわけがありません。そうであれば、被告櫻井がこれら各論文を掲載した場合には、北星学園大学や植村さんに、どのような影響を生じるかもまた熟知していたはずなのです。
▼被告櫻井の論文においては、原告の執筆した記事内容そのものへの批判のみならず、ジャーナリストとしての資格、さらには、教育者としての資格もないなどと断言しています。互いに言論で議論を交わすのであれば、その表現内容に対し反論すべきでありますが、被告櫻井は原告の新聞記者としての経歴のみならず、記事を書いた23年後の原告の勤務先というプライベートな事実を暴露し、表現内容とは無関係の教育者としての資格を非難するものであり、その点でも表現内容は悪質であると言わざるを得ません。
▼原告には甚大な被害が生じているにもかかわらず、被告櫻井は、本訴訟第一回口頭弁論期日において、原告に向けて「捏造記事と評したことのどこが間違いでしょうか」などと意見陳述を行い、原告の名誉回復を図る意思が一切ありません。
原告は、被告らにより、「慰安婦記事を捏造した」といういわれなき中傷を流布され、これに触発・刺激された人々から多数の激しいバッシングと迫害を受け、自身が雇用を脅かされて生存の危険に晒されるだけでなく、家族も生命の危険に晒されています。
当該精神的損害を慰謝するには、最低でも請求の趣旨のとおりの慰謝料が支払われ、謝罪広告が掲載されなければ到底足りるものではありません。

開廷午後3時30分、閉廷午後4時5分。今回も傍聴券交付は抽選となった(定員71人に対し83人が行列)。次回期日は7月7日(金)に決まっているが、論点整理のための弁論をさらに行うことになり、次々回は9月8日(金)に設定された。
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報告集会 ~~~ショパンと十字架in札幌~~~

裁判の後、会場を札幌北光教会に移し、午後5時30分から報告集会が開かれた。
弁護団報告(秀嶋ゆかり弁護士)と韓国報告(植村さん)の後、「支える会」共同代表でもあるピアニスト崔善愛さんのトークコンサートがあった。250人ほどの参加者は、ノクターン、バラードなどの名曲の演奏に心打たれながら、ショパンの生涯を自らに重ね合わせて語られるこの国への思いに、静かに耳を傾けた。
【写真】上段=報告集会の発言者(神沼公三郎共同代表、秀嶋ゆかり弁護士、植村さん)と会場風景。中段=崔さんの演奏と語り。下段右=拍手に応える崔さんと植村さん

2017年4月12日水曜日

東京第8回口頭弁論

「平穏な生活権」侵害を鋭く突いた梓沢弁護士の論述

植村裁判東京訴訟(被告西岡力氏、文藝春秋)の第8回口頭弁論が4月12日、東京地裁103号法廷で開かれた。

昨年12月の第7回以来4カ月ぶり。今回から傍聴券の抽選はなくなり、先着順に傍聴ができるようになった。定員90ほどの傍聴席には70人ほどが座った。弁護団席には中山武敏弁護団長のほか角田由紀子、宇都宮健児、穂積剛、神原元弁護士ら14人が着席し、いつもながらの重厚な布陣となった。対する被告側はいつものように喜田村洋一氏と若い弁護士のふたりだけ。裁判官は右陪席が女性から男性にかわった。

午後3時開廷。はじめに植村弁護団がこの日提出した第6準備書面を陳述し、その要旨を梓沢和幸弁護士が読み上げた。梓沢弁護士は、週刊文春の記事が植村さんと大学、家族に対するバッシング、脅迫などを誘発したことについて、「文春には故意があり、被害が及ぶことを欲していたとさえいえる」と厳しく批判し、「植村さんに加えられた人格攻撃は、平穏な生活を営む権利、プライバシー権への侵害でもある」と述べた。
平穏な生活を営む権利は、判例と学説によって、広義のプライバシー権とされ、私法上の権利を超えて拡大する現象をみせている。最近の名誉棄損訴訟でも、プライバシー権の侵害として損害賠償を認容するものがある。

梓沢弁護士は、そのような潮流を指摘した上で、
▼被告(文春)による報道によって侵害される原告(植村)の私生活の平穏が、被告を含むマスメディアの表現の自由ないし報道の自由に優越することはいうまでもない
▼紙媒体(文春)における人格糾弾がその後のインターネット上の攻撃につながり、原告のみならず家族と勤務先の学園までも恐怖のどん底に陥れたという点で注目すべき事案であると述べ、論述を締めくくった。梓沢弁護士の歯切れの良い弁舌は力強く法廷に響きわたり、中盤戦を迎えた植村裁判のハイライト場面となった。

なお、平穏な生活権=プライバシー権について、植村弁護団はすでに成蹊大学法科大学院教授・渡邊知行氏の意見書(3月13日付)を提出している。梓沢弁護士の弁論は渡邊教授の意見と同じ論理構成となっている。

このあと、今後の進行について原克也裁判長が、原告と被告双方に意見を求めた。その中で、原告側は神原元弁護団事務局長が、第6準備書面に記載した「求釈明」について説明した。
「求釈明」は文字通り、被告に詳しい説明を求めるもので、①被告西岡は1992年ごろに訪韓し、梁順任氏と面談したというが、いかなる質問を発し、いかなる情報を得たのか(注=梁氏は韓国太平洋戦争犠牲者遺族会幹部で植村氏の義母)、②被告西岡は、金学順氏や尹貞玉氏に取材したか。取材しなかった場合、その理由はなにか(注=金氏は植村氏が初めて記事で紹介した元慰安婦女性、尹氏は慰安婦支援運動者で当時梨花女子大教授)、③そもそも、被告西岡は本件各記事を執筆中、原告に取材をしたことがあったか、④1992年当時、原告の記事を「重大な事実誤認」と指摘していた被告西岡が、「重大なる事実誤認」との認識を「捏造」と改め、本件記事を執筆するに際し、いかなる追加取材・調査を行ったか、など全14項目に及ぶ(⑤以下略)。すべてが西岡氏と週刊文春の取材の経過と基本的な取材姿勢にかかわるものである。被告側の喜田村弁護士は「すべてに回答するとは限らないが、必要な範囲で回答します」と答えた。次回弁論でその内容が明らかにされる。

閉廷は午後3時15分。次回期日は7月12日(水)に決まった。

弁論要旨と渡邊教授の意見書、求釈明の各全文は、「植村裁判資料室」に収録しました。こちら

報告集会はこの後、午後4時から6時まで、参議院議員会館講堂で報告集会が開かれ、80人が参加した。集会発言者は順に、神原弁護士、梓沢弁護士、渡辺知行氏(成蹊大学教授)、香山リカ氏、デイビッド・マクニール氏、植村氏の6人。

<集会報告は準備中>

上左=退廷後に地裁玄関前で語り合う植村さんと宇都宮健児弁護士、
上右=参議院議員会館で報告集会。下=6人の集会発言者

2017年4月11日火曜日

4月の裁判、近づく

「支える会」は4月12日に結成1周年を迎えました。

東京訴訟は3年目に、札幌訴訟は2年目に入りました。


4月12日(水)■東京訴訟第8回口頭弁論 午後3時から、東京地裁103号法廷
          ◆傍聴抽選◆  今回はありません。先着順に入れます。
           午後2時半までに103号法廷前廊下に並んで下さい
        ■裁判報告集会 午後4時から5時30分、参議院議員会館講堂
        講演「植村バッシングとメディアへの攻撃」
           デイヴィッド・マクニール氏
        講演「週刊文春記事が誘発した『平穏な生活を営む権利』への侵害」
           渡邊知行氏(成蹊大学大学院教授)
        韓国報告 
           植村隆氏(韓国カトリック大学客員教授)

4月14日(金)■札幌訴訟第7回口頭弁論 午後3時30分から札幌地裁805号法廷
        ■裁判報告集会 午後5時30分から札幌北光教会で
        ■崔善愛コンサート ひきつづき午後6時30分から同教会で
        チケット500円発売中問い合わせ電話:090-9755-6292



2017年4月4日火曜日

植村隆のソウル通信第10回

大統領の逮捕 裁かれる「元女王」の国政責任

朴槿恵・前大統領の逮捕を報じる韓国の保守系新聞「朝鮮日報」一面をソウルの
青瓦台(大統領府)前で撮影した。同紙は、「王のような大統領、予告されてい
た悲劇」という見出しと共にやつれた表情の朴氏の連行写真を載せていた。下の
小さな顔写真は歴代の大統領

韓国前大統領の朴槿恵容疑者(65)が3月31日未明、収賄などの容疑でソウル中央地検に逮捕された。ソウル拘置所に収容され、独房生活を送っている。親友の国政介入事件で、同月10日に憲法裁判所の決定で、大統領職を罷免されて、3週間後のことだ。韓国の大統領経験者で逮捕されたのは、内乱罪や不正蓄財などに問われた盧泰愚と全斗煥以来、3人目となる。大統領だった父の朴正熙は1979年に側近に暗殺された。保守層から絶大なる支持を受けてきた娘は、刑事事件の容疑者として、取調べを受ける立場になった。

朴容疑者は容疑を全面的に否認しているという。ソウル中央裁判所は「主要な容疑が立証されており、証拠隠滅の恐れがある」として、逮捕状の請求を認めた。朴容疑者に対する、国民の怒りは強く、世論調査では、逮捕に賛成する人は7割にも上った。

■王のような大統領、予告された悲劇
保守系で最大部数を誇る「朝鮮日報」は4月1日の一面で、逮捕されてソウル拘置所に検察の車で移送される朴容疑者の横顔写真を載せていた。やつれて、放心しているように見える。見出しが、強烈だった。「王のような大統領、予告された悲劇」とあった。その下には、学生デモで下野した李承晩から、朴容疑者の前任の李明博まで8人の大統領の顔写真が並んでいた。こういう説明がついていた。「他の大統領も自身や家族が法の裁きを受けたり、任期を正常に終えることができなかった」

この見出しに倣えば、朴容疑者は「逮捕された元女王」ということになる。私は青字のボールペンで線を引きながら、記事を精読し、心の中で、うなずいた。

《朴・前大統領は2012年の大統領選挙を準備する際、自分自身や親類の不正で汚点を残した元職大統領の轍は踏まないと、特別な対策を何度も発表した。大統領選の1カ月前には、権力型不正の原因として「帝王的大統領制」を挙げ、特別検察官制や常設特検制を公約した。大統領選の公約集でも、「帝王的大統領制」流の政府運営を指摘して「各政権で大統領の親類や側近の権力型不正が発生し続け、韓国国民の不信が深刻化した」と記し、「大統領の親類および特殊関係者の腐敗防止法」などを導入する意思を明らかにした。就任後は、血縁の朴志晩(パク・チマン)EG会長一家との往来すら絶ち、「側近不正なき大統領」に向けた意思を見せた。しかし、40年来の知人だった崔順実(チェ・スンシル)被告の国政介入問題で、朴槿恵氏自身も「帝王的大統領のわな」にはまり、不幸な大統領のリストに名を連ねることになった》(朝鮮日報日本語版HPより)

■絶対的権力は絶対に腐敗する
韓国の大統領は強大な権限を持っている。今回の朴容疑者の犯罪は、個人的なものではあるが、それが大統領という権力によって、増幅されたことは間違いないだろう。1987年に憲法が改正され、大統領直選制度が復活した。この憲法では、大統領は5年間の任期で、再選は出来ない。これは朴正熙長期独裁政権への反省から、できたものだ。強大な権限を持つ大統領制度で、かつ、単任制。英国の歴史家ジョン・アクトンは専制君主の権力について、「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」と言ったが、韓国でもそれが当てはまる。そして、政権末期には、レームダック化する。政権末期に、政権の腐敗が露見するのは、こうした制度にも問題があるからだろう。

そうだ。「主人」のいなくなった、あの場所を背景にして、この新聞の写真を撮ろう。そう考えた。

 あの場所とは、青瓦台(大統領府)である。朴容疑者が、罷免されるまでの4年間あまり、執務し、暮らした場所だ。大統領の娘として、自身が大統領になる前にも、彼女はそこでに十数年暮らした。

光化門広場近くのコンビ二で、新たに「朝鮮日報」を買い求めた。歴史的な写真になると考え、書き込みのない、きれいな新聞がいいなと思ったのだ。それをデイパックに入れて、青瓦台に向かった。観光地図を参照してもらいたい=写真右。青瓦台は、朝鮮王朝の正宮だった景福宮の後ろ側にある。光化門はその正門だ。ちなみにローソク集会の開かれていた光化門広場とは、この光化門の南から地下鉄光化門駅までをつないだ縦長の広場である。土曜日とあって、景福宮周辺はレンタルの韓服を着た観光客が周辺を散策している。かつてのように、朴退陣を求めるデモもなく、のんびりとした雰囲気だ。

景福宮の左側の道・孝子路を歩く。景福宮の後ろ側に回りこむ形で、青瓦台正門を目指した。歩道わきの街路樹では鳥の鳴き声が騒がしい。青瓦台のすぐ裏は、北岳山という山がそびえている。都心に近いが、自然があふれているのだ。すれちがった観光客も「鳥が多いな」と驚いていた。私はデイパックから「朝鮮日報」を取り出し、手に持って歩いた。

正門前では、家族連れなどが記念写真を撮っていた。正門の後ろには、青い瓦の本館が見える。私は「朝鮮日報」を左手に持ち、右手にスマホをもって写真を撮ることにした。スマホを片手で操作するのはなかなか、難しい。それでも、何とか2枚だけ、撮影することができた。なぜ2枚だけか。警備していた警察官に写真撮影を止められたからだ、この写真の右上に写っている指は制止させようと手を回してきた、その警察官のものである。
 
警察官によれば、記念写真はいいが、プラカードのようなものを持って、青瓦台前に来たらダメなのだという。「これは新聞、それも朝鮮日報ではないか」と言ったが、通じない。しばらく問答したが、らちが開かない。まあいいや。もう目的は達したので、警察官と握手して別れることにした。歩きながら、スマホの写真を見たが、ばっちりと新聞にピントが合い、後ろに青瓦台の正門や本館がややぼけて写っている。なかなか面白い写真になった=最上段の写真。
5月9日には青瓦台の新たな「主人」となる大統領選挙の投票が行われる。そして、その5年後には、その「主人」の運命はどうなっているのだろうか。

■この国の宿痾、大企業・財閥との癒着
私のカトリック大学の研究室の机の上には、朴容疑者関連の本が10冊ある。大学図書館で貸出限度一杯借りてきたものだ。うち7冊は2012年12月の大統領選挙の前に出されたもので、表紙になった朴容疑者の表情は生き生きとしている。
カトリック大学の図書館にある朴氏関連書籍
この時の大統領選挙では、朴容疑者は得票率51.55%だった。民主化で、大統領直選制が復活した1987年以降、得票率が過半を超えたのは初めてで、しかも得票数1577万3128は歴代最多だった。民主統合党(当時)の文在寅候補との事実上の保革一騎打ちだった。文候補の得票率も48・00%で、かなり激しい闘いを勝ちぬいたのだった。そして、翌13年2月の就任式での演説では、朴容疑者は「国民の幸福」をさかんに繰り返していた。
在日本大韓民国民団(民団)のHPに日本語訳全文が掲載されている。
いま、この演説文を再読すると、意味深な言葉があるのに気づいた。
 《国の国政責任は大統領が負い、国の運命は国民が決めるものです。わが大韓民国が進んで行く新たな道に国民の皆さんが力を与え、活力を吹きこんでくれるよう望みます。》(民団HPより)

ローソクデモ、国会での弾劾訴追案可決、憲法裁判所での全員一致の罷免決定、そして、逮捕。まさに今回の「国の運命を決めた」主役は、国民だった。そして、朴容疑者はいま、その国政責任を裁かれる立場になった。
 今後、朴容疑者の本格的な取り調べが始まる。4月中旬までに起訴される見込みだ。朴容疑者の容疑は13に上る。いずれも崔被告と共謀したとされる。崔順実被告への機密文書流出容疑などのほかに特に二つの容疑が注目される。いずれも大企業や財閥との癒着疑惑である。

①【大企業に圧力をかけた強要容疑】
韓国の大企業に、親友の崔被告が事実上支配する2つの財団(Kスポーツ財団、ミル財団)に計774億ウォン(約77億円)の資金を拠出するように要求した疑いなど
②【韓国最大の財閥サムスングループ経営トップからの収賄容疑】
サムソン物産と第一毛織というサムソングループ内の企業合併に協力し、見返りとして、事実上の経営トップのサムスン電子副会長の李在鎔被告らから、崔被告への支援の形で、約束分も含め総額433億ウォン(約43億円)の賄賂を受け取った疑い

この国の「宿痾 (しゅくあ)」ともいうべき、大統領と財閥・大企業との癒着が、今後の捜査や公判廷で明らかにされることになる。そして国民はその実態を改めて直視することになる。それは反面教師としての「元女王」の失政の「最大遺産」になるかもしれない。

197812月にあった父親の大統領就任式で共に国民儀礼をする26歳の朴槿恵
=「写真と共に読む大統領朴正」より












2017年3月24日金曜日

4月東京の集会案内

4月12日(水)に開かれる東京訴訟第8回口頭弁論後の集会の講演内容と講師が、次のように決まりました。
植村バッシングとメディアへの攻撃■デイヴィッド・マクニール氏(ジャーナリスト)
週刊文春記事が誘発した「平穏な生活を営む権利」への侵害■渡邊知行・成蹊大学教授
韓国報告■植村隆・韓国カトリック大学客員教授

2017年3月19日日曜日

TV&講演お知らせ

緊急のお知らせ◆植村裁判札幌訴訟の共同代表のひとり、崔善愛さん(ピアニスト)のこころの軌跡を追ったドキュメンタリー番組が北海道地区で放映されます。
また、東京訴訟の弁護団に加わっている海渡雄一弁護士が、北海道平和フォーラム主催の憲法講座で「共謀罪」の問題点について講演をします。


■海渡雄一弁護士講演
3月24日(金)午後6時から、北海道自治労会館5階大ホール(北区北6西7)、申し込み不要、無料
演題:テロ等組織犯罪準備罪(共謀罪)の問題点
主催:北海道平和フォーラム
http://peace-forum.org/article-4298.html
海渡雄一(かいど・ゆういち)さん=弁護士として長年、原発・公害訴訟や人権、憲法、平和を守る運動の先頭に立ち、植村裁判東京訴訟でも第1回口頭弁論から出廷しています





■ドキュメンタリー傑作選「十字架とショパン」
北海道放送(HBC)3月20日(月)2時05分~2時35分=放映終了
<番組詳細> 
ピアニストの崔善愛さん(57)は、かつて指紋押捺を拒否したことから再入国許可を受けられず、特別永住者の資格を奪われた。留学先のアメリカから帰国で きない不安の中で、崔善愛さんはショパンの音楽に心を揺さぶられた。帝政ロシアの弾圧から逃れるために祖国を離れたショパンの悲しみが、朝鮮戦争の混乱を逃 れて来日した父親の思いに重なった。
善愛さんの父親は在日韓国人・朝鮮人の人権運動に半生を捧げた故・崔昌華牧師。一人ひとりに付けられた名前は人間の尊厳の基礎であり、在日の人々の名前の読 みを当時慣例だった日本語読みから韓国・朝鮮語読みに変えるように訴えた。 
今もヘイトスピーチがやまない日本社会の中で、在日であることを隠し続ける人も少なくない。善愛さんは在日として生きることに苦悩しながらも日本人の良心を信じる。「日本が私を育ててくれて、信じられる人に出会えた。厳しい歴史や現実があってもなお、生きて行きたい国だとわかりました」穏やかな語り口の中に、日本人に対する厳しい問いかけが込められている。=プロデューサー西嶋真司(RKB ) 
http://www.tbs.co.jp/houtama/last/170305.html


2017年3月13日月曜日

植村隆のソウル通信第9回

「民主主義」を学ばなかった女王の退場

ソウル中心の光化門広場の朴槿恵像(中央)。おでこに、
「罷免」という文字が貼りつけられている(3月12日)
2017年3月10日、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領はついに大統領職を失ってしまった。
朴氏の弾劾訴追を審理してきた同国の憲法裁判所が10日、「(朴大統領の)違憲・違法行為は国民の信頼を裏切り、憲法守護の観点から容認できない重大な違法行為と見なければならない」として、罷免の決定を言い渡したのだ。
朴氏は即時に失職し、民間人となった。
大統領だった父・朴正煕(パク・チョンヒ 19171979)は18年の独裁政治の果て1979年に側近に暗殺された。2013年に大統領に就任した娘は、親友のチェ・スンシル被告の国政介入事件で捜査対象となっており、今後、投獄される可能性がある。
韓国民の多数派は、罷免決定に歓喜の声を上げている。朴槿恵支持派は激しく反発している。国家元首がこんな形で、クビになるのはきわめて異常なことだ。私は、今回の事態を「民主主義を学ばなかった女王の退場」と考えている。

■全員一致の「罷免」決定に驚く
この日は、「運命の日」と韓国のマスコミが報じていた。午前11時から決定言い渡しが始まった。
私はこの時間には、講演会の打ち合わせのためにソウル近郊にいた。打ち合わせを終えて、地下鉄のホームで電車を待ちながら、スマホで言い渡しの中継を見た。
唯一の女性裁判官である李貞美(イ・ジョンミ)憲法裁判所所長権限代行が決定を読み上げている。11時20分すぎに「罷免する」という主文が言い渡された。そして、スマホ画面には「全員一致」という言葉が出てきた。隣にいた知人が「全員一致か」と驚いたように、つぶやいた。
大統領や与党に選ばれた裁判官が計3人もいるなかで、裁判官8人の全員一致というのは、驚くべきことだった。弾劾決定には6人以上の賛成が必要だったが、仮に6対2で決定された場合やあるいは、5対3で棄却された場合は、弾劾賛成派と反対派の対立の激化も予想されていた。そういう意味でも、全員一致というのは大きな意味を持っていた。ちなみに、憲法裁判所は本来は9人で構成されるが、所長が1月に任 期満了で退任したので、8人になったのだという。
この日午後、ソウル市内で会った別の知人は選挙では朴槿恵に投票したという人物だが、今回の決定については高く評価していた。そして、「李貞美はよくやった」と話していた。

憲法裁判所はソウル市中心部の地下鉄・安国駅近くにある。
私は郊外の駅から、安国に向かった。1時間ほどで、安国駅についたが、憲法裁判所に近い出口は警官隊に封鎖されていた。韓国の国旗・大極旗を身体にまいた男女が、警察官に抗議をしていた。別の出口から、地上に出たが、警察車両が壁になり、憲法裁判所には行けなかった。路上では、朴大統領を支持する人々の集会が開かれていた=写真右上。大極旗や米国旗を振りながら、罷免決定を激しく批判していた。の集会をスマホで写真を撮っていると、中年の女性が突然私に向かって、「何で写真を撮っているのか」と怒り始めた。「私は大学の教員で、歴史の記録にするためだ」と言ったが、納得していないようだった。
近くにあった警察車両はフロントガラスが割れていた=写真右中アスファルトの地面には、赤い血のりのようなものが残されていた。人々がその周りに集まっていた。殺伐とした気配が漂っていた。スマホの電池も切れてしまったので、現場を早々に離れることにした。 
あとで、知ったのだが、この日、決定言い渡し直後に、この現場で、共同通信の韓国人カメラマンが集会参加者から、暴行を受けるなど、内外の取材陣への攻撃があった。また集会参加者と警察が衝突し、集会参加者の3人の男性が死亡した。私はその直後に現場に行ったことになる。
夕方、家に帰る前に街の売店で、夕刊紙・文化日報を買った。罷免のニュースで全面展開している。一面には大きな見出しで、「8対0」とあった。二面には、決定文の要旨が載っており、李代行の大きな横顔写真が載っていた。出廷前に聨合ニュースが撮影し、配信したのだ。
あれれ。李代行の髪の毛には、美容道具のヘヤカーラーが2個くっついたままである。写真右下、文化日報から。写真説明によると、この日は普段より出廷時間が早く、外し忘れたようである。李代行のなんだか人間的な姿に、ほっとした。
 
■私人による国政介入を許容し、大統領権限を乱用した
私は、自宅では、韓国経済新聞だけを定期購読している。決定の翌朝の11日、近くの地下鉄駅・駅谷の売店で、ハンギョレやソウル経済など12種類の新聞をまとめて買った。
ハンギョレは、図入りで、決定内容を分かりやすくまとめていた。それによると、憲法裁判所は5つの弾劾訴追事由のうち、一つだけを憲法と法律違反と判断した。訴追事由は
①私人による国政介入の許容と大統領権限の乱用、②公務員の任命権の乱用、③言論の自由の侵害、④生命権の保護義務と職責の誠実遂行義務の違反、⑤収賄授受などの刑事法違反
の5つだったが、そのうち①だけが「職務遂行においての憲法と法律 違反」と判断されたのである。
親友のチェ・スンシルが推薦した人物を公職に任命し、彼らがチェ氏の利権追求を助ける役割を果たしたことを認めた。また朴氏がチェ氏らの会社の支援を、大手企業に要求したと認めた。朴氏がチェ氏に大統領の日程や人事などの秘密文書が流出されるように指示したことなども国家公務員法違反と判断した。しかし、セウォル号惨事関連の訴追理由である④については、認めなかった。
ハンギョレは、憲法裁判所が迅速な判断のため、⑤の刑事法違反については除いたのではないか、という法科大学院教授のコメントも紹介していた。 
李代行は決定の最後にこう言っていた。
「( 朴氏は)自 らの憲法と法律違反行為に対して、国民の信頼を回復しようと努力する代わりに国民を相手に真実性のない謝罪を行い、国民との約束も守らず、憲法を守る意思が見られなかった」

11日付の毎日経済は系列のケーブルテレビ局MBNとの合同世論調査の結果を掲載していた。それによると、罷免決定直後に19歳以上の1008人を対象に調査を行った。回答者の86パーセントが朴氏の罷免について「よい決定」と答え、12パーセントが「誤った決定」と答えた。韓国民の大多数が、今回の決定を支持していることになる。また朴氏への捜査について は、69・4パーセントが「逮捕」を求め、17・8パーセントが「在宅起訴」を求めた。「捜査は不必要」とした人は9・6パーセントにすぎなかった。

さて、この歴史的なニュースを各紙が、どう一面で報じているか、紹介したい=写真上研究室の机 に、新聞を並べてみた。
朴大統領の後姿を写した保存写真を大きく使っているのは、京郷新聞、ソウル新聞、国民日報。東亜日報と英字紙のコリアヘラルドは朴氏の横顔。憲法裁判所の裁判官8人が並んでいる写真を使っているのは朝鮮日報と毎日経済だ。中央日報は、一面の中央に小さな後姿の朴氏の写真を載せ、周りに決定の要旨を載せ、「憲法、大統領を罷免し た」という見出しがある。
ハンギョレは罷免を喜ぶローソク集会の参加者の写真を大きく掲載し、その上に「大韓民国の春、再び始まる」という見出しをつけている。
しかし、私が一番、インパクトがあると感じたのは、ソウル経済だった。会見を終えて去ろうとする朴大統領の横向きの保存写真の上に、「大韓民国は民主共和国である 憲法一条一項 2017・03・10 憲政史上初の大統領弾劾」という言葉があるだけで、記事は一切なかった。韓国の憲法一条は、主権在民を謳っており、今回の決定がそれに基づいていることを改めて、強調していた。

■18年前の「朴槿恵議員」インタビュー記事
各紙にほぼ共通しているのは、朴氏の人生の振り返りだ。父と一緒に写っ た若き日の朴氏の写真や政治家になった後の写真、そして大統領就任などの写真を年表などと共に載せている。
この記事を見て、18年前を思い出した。朴氏が国会議員になって2年目の1999年当時、朝日新聞のソウル特派員だった私は朴氏に単独インタビューしたことがあるのだ。そのインタビューを元に、1999年5月29日の夕刊トップに大きな記事を書いた=紙面写真右下

当時、金大中氏が大統領になっていた。そして、朴氏は野党の国会議員。朴氏の父が大統領だった時代、金大中氏は野党の国会議員だった。構図が逆になったので、朴氏の話を聞いてみたい、と思ったのだ。

朴氏は、合コンもせずに大学時代を送ったという。そして、1974年フランス留学中に最初の悲劇が起きた。ソウルで、朴氏の母親が、父親を狙ったテロリストの銃弾で死亡したのだ。「槿恵がいなければ生きていけない」という涙ながらの父の言葉に、公人として生きる道を選んだ。そして、ファーストレディーの代行をつとめた。しかし、その父も1979年に銃弾に倒れた。

若い時代の朴氏は5年間にわたり、韓国の最高権力者の傍らにいた。敬愛する父親から、そこで何を学んだのだろうか。軍部出身の父は強権を背景に、開発独裁を進めた。そして、言論の自由や集会の自由などの民主主義を踏みにじった。5年間、こうした独裁権力の座のすぐそばにいたという体験は彼女に何をもたらしたのだろうか。

私は記事の中で、国会議員2年生の朴氏の人気ぶりについて、こう書いた。
《ハンナラ党の副総裁九人で人気は一番といわれる。金徳竜・副総裁は「一緒に演説しても、聴衆の反応が全く違う。彼女の人気や大衆性を『父親への追慕』と軽く見る人も多いが、それは間違いだ」と評価する》
しかし、これは金徳竜氏の政治的な発言だろう。当時、実績もない政治家がなぜ、あれほど人気があったのか。父への追慕、二度の悲劇、ファーストレディー代行時代の残像などが、保守層の朴氏への大きな共感の原点にあったと指摘できる。 
私は記事の最後をこう結んだ。《亡き父の「威光」だけではない真の保守指導者へ向けて、峠道にさしかかっている》
18年後の2017年3月、この記事を読み返しながら、思う。
残念ながら、朴氏は「真の保守指導者」にはなれなかった。

朴氏は3月12日夜、青瓦台(大統領府)から去り、ソウル市江南区の私邸に戻った。朴氏の側近が、朴氏のメッセージを代読した。
「私に与えられた大統領としての使命を最後まで果たすことができず、申し訳なく思っています。私を信じて声援してくださった国民の皆さまに感謝を申し上げます。このすべての結果は私が抱えていきます。時間はかかるでしょうが、真実は必ず明らかになると信じています」
 すべての国民でなく、「私を信じて声援してくれた国民の皆さま」に感謝しているだけである。そして、憲法裁判所の判断への承服もなかった。民意に思いを馳せない、女王のさびしい退場の姿だった。

photo  SEOUL march10,12  :  by Takashi UEMURA


2017年3月8日水曜日

4月の裁判集会日程

4月12日(水)■東京訴訟第8回口頭弁論 午後3時から東京地裁103号法廷
4月14日(金)■札幌訴訟第7回口頭弁論 午後3時30分から札幌地裁805号法廷
        ■裁判報告集会 午後5時30分から札幌北光教会で
        ■崔善愛コンサート ひきつづき午後6時30分から同教会で
チケット500円発売中問い合わせ電話:090-9755-6292

2017年2月24日金曜日

週刊新潮ななめ読み

植村バッシングをいつまでも食い扶持にする週刊新潮
週刊新潮3月2日号記事(写真上)への反論が、北風三太郎さんから寄せられました。記事をなぞって
書き始めたらこんなパロディふうの文章になった、とのことです。以下、その全文を掲載します。

 まさかと言うべきか、やはりと言うべきか。植村バッシングの元凶の1誌にして未だ無反省の週刊新潮が、植村隆氏(58)が「辺野古座り込み」集会に参加したことを取り上げ、新たな植村氏攻撃に食指を動かしているようだが、その論理以前の内容、メチャクチャです。

その「恥ずかしい週刊誌」が発売されたのは2月23日のこと。「植村隆の新たな食い扶持は辺野古座り込み」と題し、約1300字、植村氏の沖縄講演ツアーを紹介し、誹謗中傷したのである。
慰安婦問題に詳しいジャーナリストが言う。
「この記事は最初に、<ハイライトは2月3日、辺野古のキャンプシュワーブ前での“激励”です。植村さんは、基地を前に、そこに座り込む30人ほどに向かってスピーチをぶちました>と書いていますが、辺野古行きはハイライトではありません。今回の沖縄講演ツアーは那覇の市民集会や沖縄大学での講義が主たる目的でした。辺野古でスピーチはしましたが、いつものやや早口の口調での語りかけだったと聞いています。それが、週刊新潮ではぶったということになるんですねえ(笑)」

週刊新潮はさらに、植村氏の発言を3つ並べて、<などどアジを飛ばした>とも書いている。3つの発言は、
「未だに戦前のような朝鮮人や沖縄人などへの差別があると思う!」
「武力では世界を支配できない時代。信頼関係の構築で解決を図るべきだ!」
「沖縄ヘイトや慰安婦を否定する勢力には絶対に負けない。皆さんと連帯して闘う!」
というもので、「琉球新報」(2月4日付)と「支える会」ブログ(2月7日付)からの引用のようである。しかし、原文の末尾にはどれもビックリマーク!などついていない。こうまでしてでも、植村さんをアジテーターに仕立て上げたいようだが、その魂胆、じつに卑しい。

週刊新潮記事はさらに、こう続く。<自己陶酔してしまったのか、その後の2月10日には、帰宅した札幌で「報告集会」を開催。>
沖縄での大きな反響を報告するために植村さん自身が集会を開いた、と読んだ人は思い込むに違いない。しかし、その集会は同日に札幌地裁で開かれた植村氏の裁判の口頭弁論についての報告集会であり、開催は2カ月以上も前から決まっていた。主催したのは地元の支援団体である。約2時間の集会のうち植村さんの持ち時間は30分ほどだった。このような基本的な事実を調べず、確認もしない。自己陶酔という語句、針小棒大な表現。これぞ週刊新潮のお家芸か、と呆れつつ読み進めると、植村さんの先の発言について、こんどはこんな解説を加えている。
<戦前の朝鮮、沖縄と同じ差別が未だ「ある」とは、「事実」を見るべき記者としての能力の低さを証明しているし、「信頼関係」で国際問題が解決できるとは、いまどき、中学生でも口に出さないお気楽平和主義>
こんなお説教調の悪罵を投げつけられるとは、怒りを通り越して呆れるばかりである。いやはや。差別がまだあることを知らない、あるいは否定する週刊新潮記者の、「事実」を見るべき記者としての能力の低さを自ら証明しているし、植村さんは「信頼関係」の構築で解決を図るべきだ、と言ってるのであって、信頼関係で国際問題が解決できる、とは言っていない。言ってもいないことを、中学生でも口に出さない、という詭弁で操るお気楽軍国主義。いまどきの中学生以下の、無知性、無教養をさらけだしたヘイト記者のヘイト記事と言わざるを得ない。ほんとにレベルが低い。

記事の後半では、地元名護市の「辺野古建設」反対派の面々と、正体不明のジャーナリストの発言を紹介している。面々は、<「基地と慰安婦を繋げられても、唐突としか言いようがありません。いったいどういうこと?」(さる市議)、「何が目的で来たんですかね。自分の主張を述べるため?」(別の市議)と目を白黒>とのこと。機会があれば、目を白黒させて市議と名乗ってた人に、いったいどういうこと、と真意を問うてみたい。ジャーナリストは、<言わば、慰安婦誤報で食っているわけですが、今度はこれに沖縄も加え、嘴を挟んでいずれ「生活の糧」にしていくのでしょう>とのこと。この人こそ、植村バッシングを「生活の糧」にしているのではないか。上から目線で植村さんをどこまで貶めようというのか、会って話を聞いてみたい。
記事の結びは、常連リピーターが登場し、いつもの下劣なオチで締めくくられている。<古巣の先輩にあたる「週刊朝日」元編集長の川村二郎氏が呆れて言う。「もはや植村君は、ジャーナリストではなく、反体制活動家でしょう。これ以上、恥をさらさずに静かにしてもらいたいけれど、イデオロギーの眼鏡しかかけていないから、むりだろうねえ……」 。まともな大人は決して近づいてはいけないのである>

これを読んだ友人知人から、さっそく感想が寄せられた。
「例によって、慰安婦誤報の元凶とか、日本の歪みより己の歪みなど、誹謗中傷を連ねていますね。名誉棄損の裁判で訴えられている当事者が、原告に対して、慰安婦問題で食っているわけですなどとさらに中傷する行為には、抗議する必要があると思います。悪意に満ちた記事だ、と裁判官にも決して良い印象を与えないというのがわずかな救いですね」(植村さんと親しい大学教授)
「読んでいるとなんだか情けなくなる文章ですね。情けなくなるのは、植村さんを貶めようとするだけの気持ちで筆を走らせただけの文章だ、ということだからです」(3年前から植村さんを支援している元新聞記者)
「例によって、植村さんを慰安婦誤報の元凶とレッテル貼りしていますが、慰安婦報道の歴史と経過を学べば、それがとんでもない言いがかりであることは、中学生でもわかることですよ。それなのに植村さんをジャーナリストではなく反体制活動家と決めつける川村二郎氏こそ、慰安婦誤報の元凶、というべきじゃないでしょうか。こういう太鼓持ちは、これ以上恥をさらさず静かにしていてもらいたい(笑)」(週刊朝日の川村編集長時代をよく知る朝日OB)
 まともな大人は決して週刊新潮に近づいてはいけないのである。
text by 北風三太郎
記事PDF

2017年2月14日火曜日

沖縄講演会の感想集


2月4日に沖縄・那覇市で行った植村隆さんの講演会に参加した方々の感想文を、以下に収録します。感想文は当日会場で配布した用紙に書かれたものです。文章は原文通りですが、誤字などは直してあります。お名前は、無記名以外はイニシャルで、職業・肩書は略、掲載順は不同です。

「記憶」されない歴史は繰り返される

▼植村さんの闘いは、日本の民主主義を守る重要な闘いです。資料を示しての熱のこもったお話は大変説得力があるものでした。沖縄、韓国、朝鮮、中国に対する差別を許さないことが重要です。この沖縄の地から問い続けます。(K.M)
安倍政権になって以来、日本がどこに向かっているのか不安が大きくなっています。「電波を止める」「沖縄の2新聞をつぶす」の発言。菅野完著「日本会議の研究」も差し止め。他県では決して許されない沖縄での行為。法律無視の独裁はいずれ日本全県に広がるのではないかと恐ろしくなります。日本会議とその関連団体を中心とする右翼化を進める人たちが、政権に不都合なものはつぶそうとしている。植村さんはそのターゲットとされ闘っているのですね。家族も職場も巻き込まれ、どんなに辛かったでしょう。でも負けない! その姿勢からエネルギーを受け取りました。ウチナンチューも虐げられても負けないで頑張ります。娘さんはお父さんの不屈の精神を受けついでいますね。素晴らしいです。(Y.A)
講演会で植村さんバッシングを具体的に聞き、理解を深めることができました。残念ながら「慰安婦問題」に対するメディアのスタンスは腰が引けていると思います。政府や歴史修正主義者に対する忖度が表れています。コメンテーターの選択にも政府への同調、あるいは評価する学者の起用が目立ちます。いろんな場で「慰安婦問題」の真実を伝える必要があると思います。(N.Y)
強烈なバッシングに屈せず、表現の自由と家族を守った植村さんのジャーナリスト魂に深く敬意を表します。取材者としての産経や読売、櫻井氏への質問を通じた反撃手法は正々堂々とした戦い方であり大いに参考になりました。高江・辺野古新基地と、沖縄に横たわる不条理は苛酷さを増していますが、基地の報道、ジャーナリズムを担う一翼にいる者として、これまで同様に地を這うような取材を尽くしていく決意を新たにしました。「記憶されない歴史は繰り返される」を胸に刻んで日々の紙面作りに取り組んでいきたいと考えます。日本の民主主義、法治主義、言論報道の自由を守り抜くために沖縄から声をあげつづけていきます。(T.M)

勇気と忍耐力と知の力に感服

政府が「慰安婦問題」を日本の歴史からなかったことにしようとしている動きが活発だ。植村さんの勇気ある行動が、私たちの民主主義を守ることになる。「事実が唯一の武器」に納得です。民主主義を守るために勇気と知恵を一人ひとりが培っていかなければ、この国は滅ぶと思います。改めて、歴史の検証をし、自らの立ち位置をしっかり持っていきたい。(Y.M
植村さんとご家族の勇気と難儀をものともせぬ忍耐力と知の力に感服しました。それにも関わらず、歴史修正主義者たちの動きは一向に衰えないことに危惧します。植村さんの裁判は大きな意義があります。頑張ってください。(E.M
闘いの中で支える「仲間たち」が増えていく過程に励まされます。事実に基づけば必ず勝利する確信になりました。(N.N
時系列に資料をよくまとめてあり、理解が深まりました。今の安倍政権を支える勢力の目論見がよくわかり、勉強になりました。(Y.K)
植村さんのお話を沖縄で聴く意味を受け止めました。植村さんの課題と沖縄の抱える問題をつなげていくことの大切さを実感しました。(K.S
モヤモヤしていることがはっきり分かって良かったです。沖縄の闘いもあきらめません。(T.N)
▼迫力あるお話をありがとうございます。(T.M
インターネットしか見ない若者にも知ってもらいたい。世間では間違った記事を書いたと思われているのが悔しい。沖縄の新聞批判もひどい。MXテレビなどの報道が堂々とやれてしまう日本。今のアメリカもこの先が心配。世界中が右傾化していく。どうすれば止められるのか? (A.I

被害者と弱者がバッシングされている!

基地と原発は最悪の国策ですが、歴史まで変更して右翼化している安倍政権と闘う必要を一緒に訴えたい。(Y.K
表現の自由、言論の自由に対する様々な圧力が強まっています。世界的にもそうですが、日本では凄まじいものがあります。植村さんへのバッシングはその象徴のようなものです。植村さんを応援し、連携していくとともに、表現の自由を守る取り組み、闘いを強めていこうと思います。「事実を言えない、表現できない」のは民主主義の敵です。(M.S)
沖縄にも130カ所以上の慰安所があったことを初めて知りました。沖縄大学に赴任した宇井純さんの話も知りませんでした。当時の学長が新崎盛暉さんだったこと、その息子さんが新聞労連委員長として植村さんを支援されたこと。縁を感じた講演でした。(M.S
学生の頃(25年前)に大阪の聖和社会館でボランティアをしていた「オモニ学級」の記事をずっと持っていましたが、植村さんの書かれた記事ということで、不思議なめぐりあわせを感じました。「被害者と加害者が逆転する」「被害者、弱者がバッシングされる」。そんなことを感じました。(S.M
植村さんの娘さんの思い、たくさんの学びがあり参加して良かった。沖縄も頑張っています。ともに頑張りましょう。(T.N

ネットで出回る情報を鵜呑みにする若い世代

ビデオニュースで植村さんのことを知りました。その前に宗神道(ソン・シンド)さんのドキュメンタリー映画を観て、どうして「慰安婦問題」が解決しないのか、謝罪しないのか、ずっと心の中でくすぶっています。慰安婦とされた女性がいる事実を私たちはしっかり認め、民主主義を深めていきたいと思います。事務局のみなさん、植村さんのサポートよろしくお願いします。(R.S
沖縄戦の聞き取りをしています。沖縄に来た兵士や沖縄出身の兵士だった人たちの中で「自己否定」の部分になると強硬に反論したり、証言をしなくなる場合が多々あります。日本の中にあるヤスクニ思想があると思います。今日、植村さんの話を聞きながら思い出していました。(A.K
▼20代男性です。ジュンク堂講演会でもお話を聞きました。周りの同世代は積極的ではないにせよ、ネットで出回る情報を鵜呑みにして、植村さんや、朝日新聞、さらには元慰安婦の女性に否定的な見方をする人が多くいます。僕もネットを利用して、そういう情報に多く接するので、植村さんは相当苦労されて大変だなと思っていました。お話を聞いて、バッシングに面と向かって闘っている植村さんに尊敬の念を抱きました。貴重なお話ありがとうございました。(F.K
「過去の誤りを認めることが民主主義を強める」という指摘、重要ですね。この点で、戦後日本は大変不十分だったのではないでしょうか。植村さんが闘わなければならなかったことも、沖縄2紙がバッシングを受けていることも深く関係していると思います。日本は昭和の戦争を検証し、その責任を明らかにし、ドイツのように、「過去の誤り」を認めていかなければと思います。(I.Y)

首里の陸軍壕の跡で消された「慰安婦」説明文

植村さんの勇気ある闘いに敬意と感謝を申し上げます。家族と周囲を巻き込まざるを得なかった状況のご苦労はいかばかりか察するに余りあります。裁判は是非勝って欲しい。この国は安倍政権の下でひどい方向に進んでいるように思います。それぞれの闘いの場から手を取り合ってあきらめることなく、私たちの世代で打ち返していきたいと思います。(K.O
植村さんと朝日バッシングが、歴史修正しようとする安倍政権とそれに連なる改憲勢力が仕掛けた計画的な攻撃なんだとはっきりしました。読売や産経は政府の広報、NHKも含めて大本営発表を繰り返していると馬鹿にしたり、無視したりしているだけではすまされないのだと強く感じました。私も植村さんに連帯します。
首里の32陸軍壕の説明文から慰安婦の文言が削除されました。しかし、昨年沖縄県出身でアリゾナ州に在住の正子さんが、その壕にいたことを証言しました。(証言後、病気で亡くなる)こちらの裁判闘争にも参加してください。
大変丁寧にこれまでの経緯や問題を説明していただきありがとうございました。これまでの歴史を一人ひとりが、きちんと向き合う教育や社会を作っていくことができますように願っています。

植村さんの、最後まで貫く強さ。真実は一つ。

植村さんの講演を聴いて、家永裁判から始まる数多くの沖縄の歴史を否定するような、日本の不都合なものに蓋をしようとする右傾化の流れがより強力になっていることをひしひしと感じます。植村さんの頑張りに敬意を表します。一人ひとりの力は小さいけれども頑張っていきましょう。
「事実」を力に闘っている姿は励みになります。事実を確認しないで報道するメディアもあり、読者は情報の正しさをどう判断していいのか厳しい時代になったなと思いました。真実は一つ。最後まで貫く強さ、ジャーナリストとして今こそ一層、本物を伝えてくださることに期待しています。
言論の自由を守る最前線で闘っておられる植村さん、大変でしょうが頑張ってください。関心を持ち、自分のやれることをやろうと思います。言論の自由、人権を守る闘いは憲法を守り、戦争をさせない国にすることだと理解しました。
植村さんが、現代のすべての社会現象が右傾化している状況に対峙していることに勇気をもらいました。民主主義のためにも裁判の勝利を祈念しています。

植村さんは、ヘイトで苦しむ人たちの励みに

北海道から予定外の講演に参加できて大変感動しました。日常、いろいろな情報の中で生活しています。もっと今日の話を日常的に学習して理解を深めていきたいと思います。(K.M)
▼植村さん、元気ですね! やっぱり社会部出身記者ですね。そしてジャーナリストですね。全国の記者の励みになるでしょうし、何より新聞読者の「新聞を読み続けよう」との思いを抱いたと思います。新聞記者よガンバレ!植村さんガンバレ! 言論には言論で!!が民衆を鍛える。
植村さんの闘いがよく理解できました。植村さんだけでなく多くのヘイトスピーチで苦しんでいる人たちが励みになるような話でした。沖縄。韓国、中国へのゆがんだ差別的な言動が多くなっていますが、それにめげたくありません。植村さん頑張ってください。
▼タイムリーな講演会でした。トランプ大統領が登場し、ますます分断と差別が蔓延し始めています、これに反撃するために教訓が得られると思います。

(まとめ 「支える会」事務局・樋口)

2017年2月13日月曜日

第6回弁論の陳述

2月10日に行われた札幌訴訟の第6回口頭弁論で、福田亘洋、秀嶋ゆかり両弁護士が陳述した第9準備書面の要旨①②全文を、記録サイト「植村裁判資料室」に収録しました。
★閲覧は こちら から

2017年2月11日土曜日

札幌2.10報告集会

植村さん 沖縄での講演と交流で実感した「目覚めへの旅」


外岡さん メディアの変質を「同時代現象」ととらえる視点


札幌訴訟第6回口頭弁論の報告集会が、2月10日午後4時半から札幌市中央区の市教育文化会館で開かれた。約110人が参加し、弁護団の裁判報告、植村さんの近況報告、元朝日新聞東京本社編集局長の外岡秀俊さんの講演「トランプ現象とメディア~日本の状況は」に耳を傾けた。

最初に弁護団の小野寺信勝事務局長が現在の到達点を報告した。原告側が被告側(櫻井よしこ氏ら)の名誉棄損表現は「免責されない」と主張したのに対し、被告側は植村さんの記事を「捏造」「意図的な虚偽」などと批判した真実性(根拠)を証明しなければならない段階にある。裁判長が6月までに書面のやり取りを終了するとした訴訟指揮を「スピード感を持って進んでいる」と評価し、「終わりが見えてきた。札幌訴訟の方が東京よりも先に判断が示される可能性がある」と見通しを示した。
植村さん
外岡さん

植村さんは21日~6日の沖縄講演ツアーを「目覚めへの旅」と題して振り返った。沖縄大学での2回の講義と市民集会、辺野古訪問、ジュンク堂でのトークショーとサイン会(『真実』30冊完売)、沖縄県民に徹底的に寄り添って論陣を張り続ける地元紙記者たちとの交流の様子などが紹介された。
このツアーで沖縄の市民は植村さんを「闘うジャーナリスト」として熱烈に歓迎した。植村さんも「日本の歪み」が最もよく見える沖縄の立ち位置を再認識し、交流をさらに深める意義を痛感したという。「札幌、韓国、沖縄を結ぶ三角形」とその中心に位置する東京を地図で示し、「三つの拠点から東京を包囲したい」と締めくくった。


外岡さんの講演は日米首脳会談のタイミング(日本時間11日未明)と重なった。外岡さんは第2次安倍政権の下で勢いを増した歴史修正主義が朝日・植村バッシング、メディアの変質(批判力の衰退)へとつながっている日本の状況を、「英国のEU離脱」「トランプ旋風」という「世界を驚かせた二つの出来事との同時代現象」ととらえる視点を提示した。
トランプ政権の今後については「グローバル化がもたらした格差で生じた不満を、格差によって生じた権力によって封殺する専制化への傾向を強める」と予測した。既存メディアは既得権益者を擁護する勢力とみなされ、影響力をどんどん失っていく、その現象は日本とも共通する、と分析した。そして最後に、植村さんの著書『真実』の読み方として、①不寛容の時代へのなだれ込み②人権侵害との闘い③日韓相互理解への共感という「三つの軸」を挙げ、植村裁判を支える時代的な意味を強調した。

この後、東京訴訟支援チームの佐藤和雄さん(朝日新聞OB)が、東京訴訟の現状を報告した。東京訴訟はこれまで7回の口頭弁論を終えている。今後の方向性として、植村さんが平穏な生活を営む権利を侵害されたという損害について、『週刊文春』と攻撃者たちとの「客観的な共同不法行為」として裁判所に認めさせたい、と語った。また、弁護団の齋藤耕弁護士が、国会で論議が進む「共謀罪」について、「市民の自由を奪う法律だ。なんとしても阻止したい。法案が提出されてからでは遅い。その前に阻止しなければ」と訴えた。

text by T.Yamada

2017年2月10日金曜日

札幌訴訟第6回期日


原告側被告櫻井はきわめて違法で悪質」と厳しく批判
裁判長「7月までに双方は主張を終えるように」と指示

植村裁判札幌訴訟(被告櫻井よしこ氏、新潮社、ダイヤモンド社、ワック)の第6回口頭弁論が2月10日、札幌地裁803号法廷で開かれた。
柔らかな日差しが春の到来間近を思わせる季節。正午の気温はプラス4度。裁判所のすぐ近くの大通公園は雪まつりでにぎわっていた。開廷前の傍聴券交付(定員71人)の行列には73人が並び、今回も抽選となった。
植村弁護団は補助席も含めて21人が着席、いっぽう被告側弁護団はいつものように7人が席に着いた。定刻の午後3時30分開廷。はじめに被告、原告双方からそれぞれ4通の準備書面の提出の確認(陳述)があった。その後、植村弁護団の福田亘洋、秀嶋ゆかり両弁護士が第9準備書面の要旨を朗読(意見陳述)した。
同書面は、「被告櫻井による本件各名誉毀損表現が、判例上打ち立てられた抗弁の前提を欠くほど悪質性を帯びたものであることを踏まえた上で、被告らの抗弁に対する反論を行っている」もので、櫻井よしこ氏をこれまでになく強い語調で、鋭く批判し徹底的に糾弾している。「被告は…」ではなく「被告櫻井は…」と読み上げること計43回! 福田、秀嶋両弁護士の凛然たる声が廷内に響き渡った。その一部を紹介する。


●被告櫻井は悪質な攻撃(バッシング)の手段として、原告の記事の用語と内容を敢えて捻じ曲げて記述することで、「捏造」「虚偽報道」と断定している
●被告櫻井は、原告の記事を「捏造」であると言うために、敢えて記事の核心的な部分である元従軍慰安婦であった女性が自ら体験した性暴力被害を語った点に一切触れていない
●このような被告櫻井には、抗弁を主張することの適格性すらないというべきである
●被告櫻井は原告の記事を執拗に「捏造」記事であると主張する反面、これらと同様内容の記事を掲載した国内他紙に対するバッシングは一切行っていない
●つまり、被告櫻井は、原告のみを目の敵とし、同人に対するバッシングが最も功を奏するタイミングを見計らって名誉毀損行為を行っていたのである
●被告櫻井による名誉毀損行為の違法性・悪質性は顕著であり、他の同種事案に比して際立っている
●被告櫻井は、より鮮明に「連行されて日本陸軍慰安所に送られ」「強制連行」「強制的に」等と記した読売新聞社、産経新聞社に対しては、全く批判せず、ことさら原告及び朝日新聞社を狙い撃ちしている
●被告櫻井の名誉棄損表現は、原告に対する根拠のない誹謗中傷そのものであり、その記述内容には、全く公共性・公益目的性は認められない

何度も繰り返し語られてきた植村裁判の核心の事実だが、このようにまとめ束ねて語られると、3年前のバッシングが思い出され、新たな怒りがわいてくる。
意見陳述は20分ほどで終わり、岡山忠弘裁判長が今後の進行についての考えを述べた。「名誉棄損表現をめぐる双方のやりとりは次回と次々回で終え、そのあと、人証(証人尋問と本人尋問)に移る」と明言した。札幌訴訟はいよいよ胸突き八丁にさしかかる。すでに決定ずみの7回(4月14日)に続き、次々回(8回)は7月7日(金)と決まった。本日の閉廷は午後4時2分だった。

報告集会は午後4時半から札幌市教育文化会館で開かれた。
弁護団の小野寺信勝弁護士の裁判報告、植村さんの沖縄講演ツアー報告の後、外岡秀俊さん(ジャーナリスト、作家)が「トランプ現象とメディア」と題して講演した。外岡さんは、植村バッシングの社会的、政治的背景と植村裁判の意味を語ったあと、トランプ旋風を巻き起こしたアメリカ社会の変化と、第2のマッカーシズムの到来もあり得るメディア状況を分析した。
参加者は120人近く。定員84人の会場に他の部屋から補助いすが運び込まれるほどの盛況だった。

きょう第6回弁論

■札幌訴訟第6回口頭弁論
午後3時30分開廷、札幌地裁803号法廷
(傍聴券整理券受付は2時45分まで、抽選は午後3時です
■報告集会
午後4時30分開会、札幌市教育文化会館403号室
弁護団と植村さんの報告のあと講演があります。予約不要、無料です。
講演「トランプ現象とメディア」
講師:外岡秀俊氏(ジャーナリスト、作家)

2017年2月7日火曜日

沖縄と札幌をつなぐ

2200キロの距離を縮めた植村さんの講演活動


植村隆さんの沖縄講演ツアーは、メーンの沖縄講演会(2月4日)のほか、その前後に沖縄大学での講義(2日)、辺野古での座り込み参加(3日)、書店でのトークイベント(同)、お寺での懇話会(5日)などがあり、盛りだくさんの内容となりました。講義や座り込みの様子は琉球新報や沖縄タイムスに大きく報じられました。
早くも球春到来の沖縄、厳寒の雪まつりの札幌。その距離は直線で2200キロもありますが、植村さんの講演は、沖縄のこころと札幌の訴えをひとつにつないでくれたような気がします。







































写真1段目左から、カエンカズラ、沖縄大キャンパス、辺野古ゲート前。2、3段目左から、挨拶する植村さん、上=ゲート前の海、下=看板の前で。4、5段目左から、琉球新報2月4日紙面、中上下=市民講演会で、右上=高里鈴代さんと、右下=寒緋桜

今回のツアーには「支える会」事務局から2人(七尾、樋口)がスタッフとして同行しました。以下はその同行記です

■2月2日(木)、沖縄大で講義
那覇にある私立の沖縄大学で学生向けに講義をしました。午後1時からと4時半からの2回、計240人の学生が熱心に聴き入っていました。1時からの講義は「キャリア開発論」がテーマでした。植村さんは記者を志した学生時代のことも詳しく語りました。当時、東大助手だった宇井純さんが東大構内で開催していた公害原論の自主講座に通った早大生の植村さんは、東大に夜間部があったらいいのに、と考えたそうです。21年間東大助手だった宇井さんを、その後、沖縄大で教授として迎えたことにとても感動したと話していました。
大学の構内にはカエンカズラとサンダンカが咲いていました。教室には暖房がないので少し寒いような気がしましたが、この季節に咲き誇る南国の花を見て、はるばる沖縄に来たことを実感しました。

■2月3日(金)、辺野古で座り込み
地元の方に協力していただき、辺野古にある米軍キャンプシュワブのゲート前での座り込み集会に参加しました。30人ぐらいの人たちが集まっていました。悲惨な沖縄戦を体験した島袋文子さん(文子おばぁと慕われています)も参加していました。植村さんは「沖縄ヘイトや慰安婦を否定する勢力には絶対に負けない。みなさんと連帯して闘う」とスピーチしました。驚いたのは、何人もの方が植村さんの事を知っていたことです。地元2紙に掲載された記事を読んでいてくれたのでした。
「勝つ方法はあきらめないこと」と書かれた看板がありました。辺野古、高江の闘いも、植村さんの闘いも、あきらめない!
辺野古から那覇に戻って、ジュンク堂書店でのトークイベントに参加しました。55人の参加で用意した椅子は満席となり、立って聴く人もいました。会場には高里鈴代さんがかけつけてくれました。高里さんは「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」の共同代表です。その高里さんがご夫婦で東京の早稲田奉仕園にいたころ、学生だった植村さんもお世話になっていたそうです。高里さんら沖縄の女性たちの調査で、沖縄に日本軍の慰安所が140カ所もあったことが明らかにされています。
植村さんは、「人権記者」として歩んで来た道とバッシングの日々を振り返り、「不当なバッシングは辛かったが、この試練は出会いという恵みもあった」と締めくくりました。誰ひとり、途中退席せず、熱心に耳を傾けていたのが印象的でした。ジュンク堂が用意した「真実」は30冊(完売!)、「週刊金曜日」抜き刷りも30冊売れ、サイン会にも長い列ができました。

■2月4日(土)、沖縄講演会
沖縄講演会は午後2時から沖縄大学の101号教室で開かれ、100人が参加しました。植村さんは自身のこれまでの闘いの経過を語り、「『中国の赤い星』を書いた米国のジャーナリスト、エドガー・スノーの自伝『目覚めへの旅』のように、私もまた目覚めへの旅をしているのだと思う」と結びました。90分の講演の後、参加者から、植村さんを勇気づける発言が続きました。「とても説得力があった。沖縄、韓国・朝鮮、中国に対する差別を許さないことが重要だ、この沖縄の地から闘い続けます」「植村さんは歴史修正主義者のターゲットにされ、家族も巻き込まれどんなにつらかったでしょう。でも負けない! その姿勢からエネルギーをもらいました。ウチナンチューも虐げられても、負けないで頑張ります」

■2月5日(日)、ミニ講演会と佐喜眞美術館
糸満市潮平にある長谷寺の住職岡田弘隆さんのはからいにより、お寺の本堂でミニ講演会(懇話会)を開くことができました。参加者は地元の10人ほど。そのひとり、平良亀之助さんは「小禄九条の会」の代表世話人で、元琉球新報の記者でした。講演の後の懇談で、平良さんは「今のメディアの萎縮はひどい。跳ね返す気概を持ってほしい」と語っていました。
話が前後しますが、那覇から長谷寺に向かう途中では、丸木位里、俊夫妻の作品「沖縄戦の図」を観るために、宜野湾市にある佐喜眞美術館に立ち寄りました。館内の写真撮影は禁止ですが、佐喜眞道夫館長の許可を得て写すことができ、案内もしていただきました。「激しい地上戦で傷ついた後も、巨大な米軍基地が居すわったこの地に、静かにもの思う場をつくりたいと考え、美術館を作った」とブックレットに記されています。美術館設立の許可が降りるまでに8年かかったとのことです。戦争への怒り、悲しみ、いろんな思いがたくさんの展示作品から伝わってきました。屋上からは隣接する米軍普天間基地が一望に見渡せます。沖縄と日本のきびしい現実が目の前に迫り、身が引きしまる思いでした。
<text by M.Higuchi>