2017年3月13日月曜日

植村隆のソウル通信第9回

「民主主義」を学ばなかった女王の退場

ソウル中心の光化門広場の朴槿恵像(中央)。おでこに、
「罷免」という文字が貼りつけられている(3月12日)
2017年3月10日、韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領はついに大統領職を失ってしまった。
朴氏の弾劾訴追を審理してきた同国の憲法裁判所が10日、「(朴大統領の)違憲・違法行為は国民の信頼を裏切り、憲法守護の観点から容認できない重大な違法行為と見なければならない」として、罷免の決定を言い渡したのだ。
朴氏は即時に失職し、民間人となった。
大統領だった父・朴正煕(パク・チョンヒ 19171979)は18年の独裁政治の果て1979年に側近に暗殺された。2013年に大統領に就任した娘は、親友のチェ・スンシル被告の国政介入事件で捜査対象となっており、今後、投獄される可能性がある。
韓国民の多数派は、罷免決定に歓喜の声を上げている。朴槿恵支持派は激しく反発している。国家元首がこんな形で、クビになるのはきわめて異常なことだ。私は、今回の事態を「民主主義を学ばなかった女王の退場」と考えている。

■全員一致の「罷免」決定に驚く
この日は、「運命の日」と韓国のマスコミが報じていた。午前11時から決定言い渡しが始まった。
私はこの時間には、講演会の打ち合わせのためにソウル近郊にいた。打ち合わせを終えて、地下鉄のホームで電車を待ちながら、スマホで言い渡しの中継を見た。
唯一の女性裁判官である李貞美(イ・ジョンミ)憲法裁判所所長権限代行が決定を読み上げている。11時20分すぎに「罷免する」という主文が言い渡された。そして、スマホ画面には「全員一致」という言葉が出てきた。隣にいた知人が「全員一致か」と驚いたように、つぶやいた。
大統領や与党に選ばれた裁判官が計3人もいるなかで、裁判官8人の全員一致というのは、驚くべきことだった。弾劾決定には6人以上の賛成が必要だったが、仮に6対2で決定された場合やあるいは、5対3で棄却された場合は、弾劾賛成派と反対派の対立の激化も予想されていた。そういう意味でも、全員一致というのは大きな意味を持っていた。ちなみに、憲法裁判所は本来は9人で構成されるが、所長が1月に任 期満了で退任したので、8人になったのだという。
この日午後、ソウル市内で会った別の知人は選挙では朴槿恵に投票したという人物だが、今回の決定については高く評価していた。そして、「李貞美はよくやった」と話していた。

憲法裁判所はソウル市中心部の地下鉄・安国駅近くにある。
私は郊外の駅から、安国に向かった。1時間ほどで、安国駅についたが、憲法裁判所に近い出口は警官隊に封鎖されていた。韓国の国旗・大極旗を身体にまいた男女が、警察官に抗議をしていた。別の出口から、地上に出たが、警察車両が壁になり、憲法裁判所には行けなかった。路上では、朴大統領を支持する人々の集会が開かれていた=写真右上。大極旗や米国旗を振りながら、罷免決定を激しく批判していた。の集会をスマホで写真を撮っていると、中年の女性が突然私に向かって、「何で写真を撮っているのか」と怒り始めた。「私は大学の教員で、歴史の記録にするためだ」と言ったが、納得していないようだった。
近くにあった警察車両はフロントガラスが割れていた=写真右中アスファルトの地面には、赤い血のりのようなものが残されていた。人々がその周りに集まっていた。殺伐とした気配が漂っていた。スマホの電池も切れてしまったので、現場を早々に離れることにした。 
あとで、知ったのだが、この日、決定言い渡し直後に、この現場で、共同通信の韓国人カメラマンが集会参加者から、暴行を受けるなど、内外の取材陣への攻撃があった。また集会参加者と警察が衝突し、集会参加者の3人の男性が死亡した。私はその直後に現場に行ったことになる。
夕方、家に帰る前に街の売店で、夕刊紙・文化日報を買った。罷免のニュースで全面展開している。一面には大きな見出しで、「8対0」とあった。二面には、決定文の要旨が載っており、李代行の大きな横顔写真が載っていた。出廷前に聨合ニュースが撮影し、配信したのだ。
あれれ。李代行の髪の毛には、美容道具のヘヤカーラーが2個くっついたままである。写真右下、文化日報から。写真説明によると、この日は普段より出廷時間が早く、外し忘れたようである。李代行のなんだか人間的な姿に、ほっとした。
 
■私人による国政介入を許容し、大統領権限を乱用した
私は、自宅では、韓国経済新聞だけを定期購読している。決定の翌朝の11日、近くの地下鉄駅・駅谷の売店で、ハンギョレやソウル経済など12種類の新聞をまとめて買った。
ハンギョレは、図入りで、決定内容を分かりやすくまとめていた。それによると、憲法裁判所は5つの弾劾訴追事由のうち、一つだけを憲法と法律違反と判断した。訴追事由は
①私人による国政介入の許容と大統領権限の乱用、②公務員の任命権の乱用、③言論の自由の侵害、④生命権の保護義務と職責の誠実遂行義務の違反、⑤収賄授受などの刑事法違反
の5つだったが、そのうち①だけが「職務遂行においての憲法と法律 違反」と判断されたのである。
親友のチェ・スンシルが推薦した人物を公職に任命し、彼らがチェ氏の利権追求を助ける役割を果たしたことを認めた。また朴氏がチェ氏らの会社の支援を、大手企業に要求したと認めた。朴氏がチェ氏に大統領の日程や人事などの秘密文書が流出されるように指示したことなども国家公務員法違反と判断した。しかし、セウォル号惨事関連の訴追理由である④については、認めなかった。
ハンギョレは、憲法裁判所が迅速な判断のため、⑤の刑事法違反については除いたのではないか、という法科大学院教授のコメントも紹介していた。 
李代行は決定の最後にこう言っていた。
「( 朴氏は)自 らの憲法と法律違反行為に対して、国民の信頼を回復しようと努力する代わりに国民を相手に真実性のない謝罪を行い、国民との約束も守らず、憲法を守る意思が見られなかった」

11日付の毎日経済は系列のケーブルテレビ局MBNとの合同世論調査の結果を掲載していた。それによると、罷免決定直後に19歳以上の1008人を対象に調査を行った。回答者の86パーセントが朴氏の罷免について「よい決定」と答え、12パーセントが「誤った決定」と答えた。韓国民の大多数が、今回の決定を支持していることになる。また朴氏への捜査について は、69・4パーセントが「逮捕」を求め、17・8パーセントが「在宅起訴」を求めた。「捜査は不必要」とした人は9・6パーセントにすぎなかった。

さて、この歴史的なニュースを各紙が、どう一面で報じているか、紹介したい=写真上研究室の机 に、新聞を並べてみた。
朴大統領の後姿を写した保存写真を大きく使っているのは、京郷新聞、ソウル新聞、国民日報。東亜日報と英字紙のコリアヘラルドは朴氏の横顔。憲法裁判所の裁判官8人が並んでいる写真を使っているのは朝鮮日報と毎日経済だ。中央日報は、一面の中央に小さな後姿の朴氏の写真を載せ、周りに決定の要旨を載せ、「憲法、大統領を罷免し た」という見出しがある。
ハンギョレは罷免を喜ぶローソク集会の参加者の写真を大きく掲載し、その上に「大韓民国の春、再び始まる」という見出しをつけている。
しかし、私が一番、インパクトがあると感じたのは、ソウル経済だった。会見を終えて去ろうとする朴大統領の横向きの保存写真の上に、「大韓民国は民主共和国である 憲法一条一項 2017・03・10 憲政史上初の大統領弾劾」という言葉があるだけで、記事は一切なかった。韓国の憲法一条は、主権在民を謳っており、今回の決定がそれに基づいていることを改めて、強調していた。

■18年前の「朴槿恵議員」インタビュー記事
各紙にほぼ共通しているのは、朴氏の人生の振り返りだ。父と一緒に写っ た若き日の朴氏の写真や政治家になった後の写真、そして大統領就任などの写真を年表などと共に載せている。
この記事を見て、18年前を思い出した。朴氏が国会議員になって2年目の1999年当時、朝日新聞のソウル特派員だった私は朴氏に単独インタビューしたことがあるのだ。そのインタビューを元に、1999年5月29日の夕刊トップに大きな記事を書いた=紙面写真右下

当時、金大中氏が大統領になっていた。そして、朴氏は野党の国会議員。朴氏の父が大統領だった時代、金大中氏は野党の国会議員だった。構図が逆になったので、朴氏の話を聞いてみたい、と思ったのだ。

朴氏は、合コンもせずに大学時代を送ったという。そして、1974年フランス留学中に最初の悲劇が起きた。ソウルで、朴氏の母親が、父親を狙ったテロリストの銃弾で死亡したのだ。「槿恵がいなければ生きていけない」という涙ながらの父の言葉に、公人として生きる道を選んだ。そして、ファーストレディーの代行をつとめた。しかし、その父も1979年に銃弾に倒れた。

若い時代の朴氏は5年間にわたり、韓国の最高権力者の傍らにいた。敬愛する父親から、そこで何を学んだのだろうか。軍部出身の父は強権を背景に、開発独裁を進めた。そして、言論の自由や集会の自由などの民主主義を踏みにじった。5年間、こうした独裁権力の座のすぐそばにいたという体験は彼女に何をもたらしたのだろうか。

私は記事の中で、国会議員2年生の朴氏の人気ぶりについて、こう書いた。
《ハンナラ党の副総裁九人で人気は一番といわれる。金徳竜・副総裁は「一緒に演説しても、聴衆の反応が全く違う。彼女の人気や大衆性を『父親への追慕』と軽く見る人も多いが、それは間違いだ」と評価する》
しかし、これは金徳竜氏の政治的な発言だろう。当時、実績もない政治家がなぜ、あれほど人気があったのか。父への追慕、二度の悲劇、ファーストレディー代行時代の残像などが、保守層の朴氏への大きな共感の原点にあったと指摘できる。 
私は記事の最後をこう結んだ。《亡き父の「威光」だけではない真の保守指導者へ向けて、峠道にさしかかっている》
18年後の2017年3月、この記事を読み返しながら、思う。
残念ながら、朴氏は「真の保守指導者」にはなれなかった。

朴氏は3月12日夜、青瓦台(大統領府)から去り、ソウル市江南区の私邸に戻った。朴氏の側近が、朴氏のメッセージを代読した。
「私に与えられた大統領としての使命を最後まで果たすことができず、申し訳なく思っています。私を信じて声援してくださった国民の皆さまに感謝を申し上げます。このすべての結果は私が抱えていきます。時間はかかるでしょうが、真実は必ず明らかになると信じています」
 すべての国民でなく、「私を信じて声援してくれた国民の皆さま」に感謝しているだけである。そして、憲法裁判所の判断への承服もなかった。民意に思いを馳せない、女王のさびしい退場の姿だった。

photo  SEOUL march10,12  :  by Takashi UEMURA