2017年4月28日金曜日

慰安婦報道巡る判決

朝日新聞の慰安婦報道をめぐって起こされている集団訴訟の一つ、「朝日グレンデール訴訟」で4月27日、東京地裁は原告(在米日本人を含む2557人)の請求を棄却しました。ほかの二つの訴訟でも地裁、高裁判決で原告の請求は棄却され、朝日の勝訴が続いています。判決要旨と3訴訟の経過は当ブログ記事「朝日新聞への提訴」にあります。
以下の引用は、4月28日付朝日新聞記事の全文です。

原告の請求棄却、朝日新聞社勝訴 
慰安婦報道巡る名誉毀損訴訟 東京地裁
朝日新聞慰安婦報道で誤った事実が世界に広まり名誉が傷つけられ、また米グレンデール市に慰安婦像が設置されて在米日本人が市民生活上の損害を受けたなどとして、同市近郊に住む在米日本人を含む2557人が朝日新聞社に対し損害賠償などを求めた訴訟の判決で、東京地裁は27日、原告の請求を棄却した。佐久間健吉裁判長は、記事は名誉毀損(きそん)にも在米日本人らへの不法行為にもあたらない、と判断した。原告側は控訴する方針。

訴えの対象は「慰安婦にするため女性を無理やり連行した」とする吉田清治氏の証言に関する記事など朝日新聞記事49本と英字版記事5本。佐久間裁判長は判決で「記事の対象は旧日本軍や政府であり原告ら現在の特定個人ではない。問題となっている名誉が原告ら個人に帰属するとの評価は困難」とし、「報道で日本人の名誉が傷つけられた」とする原告の主張を退けた。

また、報道機関の報道について「受け手の『知る権利』に奉仕するもので、受け手はその中から主体的に取捨選択し社会生活に反映する」と位置づけた。

それを踏まえて「記事が、国際社会などにおける慰安婦問題の認識や見解に何ら事実上の影響も与えなかったということはできない」とする一方で、「国際社会も多元的で、慰安婦問題の認識や見解は多様に存在する。いかなる要因がどの程度影響を及ぼしているかの具体的な特定は極めて困難」と指摘。そのうえで、在米の原告が慰安婦像設置の際に受けた嫌がらせなどの損害については「責任が記事掲載の結果にあるとは評価できない」と結論づけた。

朝日新聞慰安婦報道をめぐっては、三つのグループが朝日新聞社に対し集団訴訟を起こした。いずれも東京地裁や高裁の判決で請求が棄却されている。
     ◇
判決は、吉田証言などを取り上げた朝日新聞の報道が海外で影響を与えたかについても言及した。
原告側は裁判で、慰安婦問題について日本政府に法的責任を認めて賠償するよう勧告した国連クマラスワミ報告(96年)や、歴史的責任を認めて謝罪するよう求めた米国の下院決議(07年)が、朝日の慰安婦報道の影響によるものと主張した。
これについて判決は、クマラスワミ報告での慰安婦強制連行に関する記述は吉田証言が唯一の根拠ではなく、元慰安婦からの聞き取り調査もその根拠であることや、クマラスワミ氏自身、「朝日が吉田証言記事を取り消したとしても報告を修正する必要はない」との考えを示している、と認定。米下院決議については、決議案の説明資料に吉田氏の著書が用いられていないことも認定した。

また原告は、「朝日新聞が80年代から慰安婦に関する虚偽報道を行い、92年の報道で、慰安婦と挺身(ていしん)隊の混同や強制連行、慰安婦数20万人といったプロパガンダを内外に拡散させた」などと主張した。この点について判決は、韓国においては「慰安婦の強制連行」が46年から報じられた▽45年ころから60年代前半までは「挺身隊の名のもとに連行されて慰安婦にされた」と報道された▽「20万人」についても70年には報道されていた、と認めた。

2017年4月15日土曜日

札幌訴訟第7回弁論

植村裁判札幌訴訟(被告櫻井よしこ氏、新潮社、ダイヤモンド社、ワック)の第7回口頭弁論が4月14日、札幌地裁805号法廷で開かれた。
午後の陽光を浴びて入廷する植村さんと弁護団
植村弁護団は第10、11準備書面を提出し、その要旨を川上有、上田絵里、大類街子の3弁護士が読み上げた。被告櫻井氏の言説がネット上で拡散し、激しいバッシングを引き起こしたことはこれまでの弁論でも明らかにされているが、この日の弁論では、ふたつの大学(神戸松蔭女子学院、北星学園)に寄せられたメールや電話、ファクスが、ネットで流れた櫻井氏の記事を引用するなど、密接に関係していることを時系列的に指摘し、櫻井氏の言動を次のように批判した。
※第11準備書面要旨は記録サイト「植村裁判資料室」に収録 こちら

▼SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)を利用した情報発信は、連鎖的に感情が増幅されることがしばしばあります。情報の送り手が激怒すれば、受け手がこれに呼応して感情を増幅させていくのです。その結果、芸能人らのブログがしばしば炎上したりします。被告櫻井は、このようなSNSによる情報伝達の威力を十分に知っていました。だからこそ、被告櫻井は、自分の記事をブログに転載しているのです。
▼被告櫻井は、反韓嫌韓感情に触れる情報が、ネット社会でどのように拡散していくかについて十分に認識していました。被告櫻井は、ネット右翼の言動の問題点を十分に認識していました。
これは、被告桜井自身がSAPIOに「ネット右翼のみなさん、現状への怒りはそのままに歴史に学んで真の保守になってください」という記事を書いていることからもわかります。そこでは、ネット右翼がネット上で「朝鮮人は半島に帰れ」など書いていることが指摘されています。そして、これらが誹謗中傷であるとしているのです。被告櫻井は、ネット右翼の言動を十分に熟知しているのです。被告らは、このようなネット社会の現状やネット右翼の言動を十分に知っていました。ですから、自分たちが放出する情報が、どのように社会に拡散し、影響を与えるかということを分かっていたということになります。
▼被告櫻井は、本件各論文を含む植村さんを批判する論文執筆やブログへの転載を続けています。日付だけ述べます。
2014年6月26日、7月3日、8月1日、7日、 16日、 21日、23日、 28日、9月1日、8日、13日、18日、25日、10月11日、14日、16日、17日、20日、23日、25日、12月11日、18日などです。執拗かつ多数といわざるを得ません。その間、同年5月から北星学園大学に対する非難・抗議のメール・電話が多数寄せられています。脅迫状も届いています。非難・抗議メールは多くの月で100通を超え、8月には500通を超えています。非難・抗議電話も8月以降は月100本を超え、200本を超える月もあります。被告櫻井は、このような経過の中で、本件各論文を執筆しているのです。被告櫻井が、このような経過を知らないわけがありません。そうであれば、被告櫻井がこれら各論文を掲載した場合には、北星学園大学や植村さんに、どのような影響を生じるかもまた熟知していたはずなのです。
▼被告櫻井の論文においては、原告の執筆した記事内容そのものへの批判のみならず、ジャーナリストとしての資格、さらには、教育者としての資格もないなどと断言しています。互いに言論で議論を交わすのであれば、その表現内容に対し反論すべきでありますが、被告櫻井は原告の新聞記者としての経歴のみならず、記事を書いた23年後の原告の勤務先というプライベートな事実を暴露し、表現内容とは無関係の教育者としての資格を非難するものであり、その点でも表現内容は悪質であると言わざるを得ません。
▼原告には甚大な被害が生じているにもかかわらず、被告櫻井は、本訴訟第一回口頭弁論期日において、原告に向けて「捏造記事と評したことのどこが間違いでしょうか」などと意見陳述を行い、原告の名誉回復を図る意思が一切ありません。
原告は、被告らにより、「慰安婦記事を捏造した」といういわれなき中傷を流布され、これに触発・刺激された人々から多数の激しいバッシングと迫害を受け、自身が雇用を脅かされて生存の危険に晒されるだけでなく、家族も生命の危険に晒されています。
当該精神的損害を慰謝するには、最低でも請求の趣旨のとおりの慰謝料が支払われ、謝罪広告が掲載されなければ到底足りるものではありません。

開廷午後3時30分、閉廷午後4時5分。今回も傍聴券交付は抽選となった(定員71人に対し83人が行列)。次回期日は7月7日(金)に決まっているが、論点整理のための弁論をさらに行うことになり、次々回は9月8日(金)に設定された。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

報告集会 ~~~ショパンと十字架in札幌~~~

裁判の後、会場を札幌北光教会に移し、午後5時30分から報告集会が開かれた。
弁護団報告(秀嶋ゆかり弁護士)と韓国報告(植村さん)の後、「支える会」共同代表でもあるピアニスト崔善愛さんのトークコンサートがあった。250人ほどの参加者は、ノクターン、バラードなどの名曲の演奏に心打たれながら、ショパンの生涯を自らに重ね合わせて語られるこの国への思いに、静かに耳を傾けた。
【写真】上段=報告集会の発言者(神沼公三郎共同代表、秀嶋ゆかり弁護士、植村さん)と会場風景。中段=崔さんの演奏と語り。下段右=拍手に応える崔さんと植村さん

2017年4月12日水曜日

東京第8回口頭弁論

「平穏な生活権」侵害を鋭く突いた梓沢弁護士の論述

植村裁判東京訴訟(被告西岡力氏、文藝春秋)の第8回口頭弁論が4月12日、東京地裁103号法廷で開かれた。

昨年12月の第7回以来4カ月ぶり。今回から傍聴券の抽選はなくなり、先着順に傍聴ができるようになった。定員90ほどの傍聴席には70人ほどが座った。弁護団席には中山武敏弁護団長のほか角田由紀子、宇都宮健児、穂積剛、神原元弁護士ら14人が着席し、いつもながらの重厚な布陣となった。対する被告側はいつものように喜田村洋一氏と若い弁護士のふたりだけ。裁判官は右陪席が女性から男性にかわった。

午後3時開廷。はじめに植村弁護団がこの日提出した第6準備書面を陳述し、その要旨を梓沢和幸弁護士が読み上げた。梓沢弁護士は、週刊文春の記事が植村さんと大学、家族に対するバッシング、脅迫などを誘発したことについて、「文春には故意があり、被害が及ぶことを欲していたとさえいえる」と厳しく批判し、「植村さんに加えられた人格攻撃は、平穏な生活を営む権利、プライバシー権への侵害でもある」と述べた。
平穏な生活を営む権利は、判例と学説によって、広義のプライバシー権とされ、私法上の権利を超えて拡大する現象をみせている。最近の名誉棄損訴訟でも、プライバシー権の侵害として損害賠償を認容するものがある。

梓沢弁護士は、そのような潮流を指摘した上で、
▼被告(文春)による報道によって侵害される原告(植村)の私生活の平穏が、被告を含むマスメディアの表現の自由ないし報道の自由に優越することはいうまでもない
▼紙媒体(文春)における人格糾弾がその後のインターネット上の攻撃につながり、原告のみならず家族と勤務先の学園までも恐怖のどん底に陥れたという点で注目すべき事案であると述べ、論述を締めくくった。梓沢弁護士の歯切れの良い弁舌は力強く法廷に響きわたり、中盤戦を迎えた植村裁判のハイライト場面となった。

なお、平穏な生活権=プライバシー権について、植村弁護団はすでに成蹊大学法科大学院教授・渡邊知行氏の意見書(3月13日付)を提出している。梓沢弁護士の弁論は渡邊教授の意見と同じ論理構成となっている。

このあと、今後の進行について原克也裁判長が、原告と被告双方に意見を求めた。その中で、原告側は神原元弁護団事務局長が、第6準備書面に記載した「求釈明」について説明した。
「求釈明」は文字通り、被告に詳しい説明を求めるもので、①被告西岡は1992年ごろに訪韓し、梁順任氏と面談したというが、いかなる質問を発し、いかなる情報を得たのか(注=梁氏は韓国太平洋戦争犠牲者遺族会幹部で植村氏の義母)、②被告西岡は、金学順氏や尹貞玉氏に取材したか。取材しなかった場合、その理由はなにか(注=金氏は植村氏が初めて記事で紹介した元慰安婦女性、尹氏は慰安婦支援運動者で当時梨花女子大教授)、③そもそも、被告西岡は本件各記事を執筆中、原告に取材をしたことがあったか、④1992年当時、原告の記事を「重大な事実誤認」と指摘していた被告西岡が、「重大なる事実誤認」との認識を「捏造」と改め、本件記事を執筆するに際し、いかなる追加取材・調査を行ったか、など全14項目に及ぶ(⑤以下略)。すべてが西岡氏と週刊文春の取材の経過と基本的な取材姿勢にかかわるものである。被告側の喜田村弁護士は「すべてに回答するとは限らないが、必要な範囲で回答します」と答えた。次回弁論でその内容が明らかにされる。

閉廷は午後3時15分。次回期日は7月12日(水)に決まった。

弁論要旨と渡邊教授の意見書、求釈明の各全文は、「植村裁判資料室」に収録しました。こちら

報告集会はこの後、午後4時から6時まで、参議院議員会館講堂で開かれ、80人が参加した。集会発言者は順に、神原弁護士、梓沢弁護士、渡辺知行氏(成蹊大学教授)、香山リカ氏、デイビッド・マクニール氏、植村氏の6人。

<集会報告は準備中>

上左=退廷後に地裁玄関前で語り合う植村さんと宇都宮健児弁護士、
上右=参議院議員会館で報告集会。下=6人の集会発言者

2017年4月11日火曜日

4月の裁判、近づく

「支える会」は4月12日に結成1周年を迎えました。

東京訴訟は3年目に、札幌訴訟は2年目に入りました。


4月12日(水)■東京訴訟第8回口頭弁論 午後3時から、東京地裁103号法廷
          ◆傍聴抽選◆  今回はありません。先着順に入れます。
           午後2時半までに103号法廷前廊下に並んで下さい
        ■裁判報告集会 午後4時から5時30分、参議院議員会館講堂
        講演「植村バッシングとメディアへの攻撃」
           デイヴィッド・マクニール氏
        講演「週刊文春記事が誘発した『平穏な生活を営む権利』への侵害」
           渡邊知行氏(成蹊大学大学院教授)
        韓国報告 
           植村隆氏(韓国カトリック大学客員教授)

4月14日(金)■札幌訴訟第7回口頭弁論 午後3時30分から札幌地裁805号法廷
        ■裁判報告集会 午後5時30分から札幌北光教会で
        ■崔善愛コンサート ひきつづき午後6時30分から同教会で
        チケット500円発売中問い合わせ電話:090-9755-6292



2017年4月4日火曜日

植村隆のソウル通信第10回

大統領の逮捕 裁かれる「元女王」の国政責任

朴槿恵・前大統領の逮捕を報じる韓国の保守系新聞「朝鮮日報」一面をソウルの
青瓦台(大統領府)前で撮影した。同紙は、「王のような大統領、予告されてい
た悲劇」という見出しと共にやつれた表情の朴氏の連行写真を載せていた。下の
小さな顔写真は歴代の大統領

韓国前大統領の朴槿恵容疑者(65)が3月31日未明、収賄などの容疑でソウル中央地検に逮捕された。ソウル拘置所に収容され、独房生活を送っている。親友の国政介入事件で、同月10日に憲法裁判所の決定で、大統領職を罷免されて、3週間後のことだ。韓国の大統領経験者で逮捕されたのは、内乱罪や不正蓄財などに問われた盧泰愚と全斗煥以来、3人目となる。大統領だった父の朴正熙は1979年に側近に暗殺された。保守層から絶大なる支持を受けてきた娘は、刑事事件の容疑者として、取調べを受ける立場になった。

朴容疑者は容疑を全面的に否認しているという。ソウル中央裁判所は「主要な容疑が立証されており、証拠隠滅の恐れがある」として、逮捕状の請求を認めた。朴容疑者に対する、国民の怒りは強く、世論調査では、逮捕に賛成する人は7割にも上った。

■王のような大統領、予告された悲劇
保守系で最大部数を誇る「朝鮮日報」は4月1日の一面で、逮捕されてソウル拘置所に検察の車で移送される朴容疑者の横顔写真を載せていた。やつれて、放心しているように見える。見出しが、強烈だった。「王のような大統領、予告された悲劇」とあった。その下には、学生デモで下野した李承晩から、朴容疑者の前任の李明博まで8人の大統領の顔写真が並んでいた。こういう説明がついていた。「他の大統領も自身や家族が法の裁きを受けたり、任期を正常に終えることができなかった」

この見出しに倣えば、朴容疑者は「逮捕された元女王」ということになる。私は青字のボールペンで線を引きながら、記事を精読し、心の中で、うなずいた。

《朴・前大統領は2012年の大統領選挙を準備する際、自分自身や親類の不正で汚点を残した元職大統領の轍は踏まないと、特別な対策を何度も発表した。大統領選の1カ月前には、権力型不正の原因として「帝王的大統領制」を挙げ、特別検察官制や常設特検制を公約した。大統領選の公約集でも、「帝王的大統領制」流の政府運営を指摘して「各政権で大統領の親類や側近の権力型不正が発生し続け、韓国国民の不信が深刻化した」と記し、「大統領の親類および特殊関係者の腐敗防止法」などを導入する意思を明らかにした。就任後は、血縁の朴志晩(パク・チマン)EG会長一家との往来すら絶ち、「側近不正なき大統領」に向けた意思を見せた。しかし、40年来の知人だった崔順実(チェ・スンシル)被告の国政介入問題で、朴槿恵氏自身も「帝王的大統領のわな」にはまり、不幸な大統領のリストに名を連ねることになった》(朝鮮日報日本語版HPより)

■絶対的権力は絶対に腐敗する
韓国の大統領は強大な権限を持っている。今回の朴容疑者の犯罪は、個人的なものではあるが、それが大統領という権力によって、増幅されたことは間違いないだろう。1987年に憲法が改正され、大統領直選制度が復活した。この憲法では、大統領は5年間の任期で、再選は出来ない。これは朴正熙長期独裁政権への反省から、できたものだ。強大な権限を持つ大統領制度で、かつ、単任制。英国の歴史家ジョン・アクトンは専制君主の権力について、「権力は腐敗する。絶対的権力は絶対に腐敗する」と言ったが、韓国でもそれが当てはまる。そして、政権末期には、レームダック化する。政権末期に、政権の腐敗が露見するのは、こうした制度にも問題があるからだろう。

そうだ。「主人」のいなくなった、あの場所を背景にして、この新聞の写真を撮ろう。そう考えた。

 あの場所とは、青瓦台(大統領府)である。朴容疑者が、罷免されるまでの4年間あまり、執務し、暮らした場所だ。大統領の娘として、自身が大統領になる前にも、彼女はそこでに十数年暮らした。

光化門広場近くのコンビ二で、新たに「朝鮮日報」を買い求めた。歴史的な写真になると考え、書き込みのない、きれいな新聞がいいなと思ったのだ。それをデイパックに入れて、青瓦台に向かった。観光地図を参照してもらいたい=写真右。青瓦台は、朝鮮王朝の正宮だった景福宮の後ろ側にある。光化門はその正門だ。ちなみにローソク集会の開かれていた光化門広場とは、この光化門の南から地下鉄光化門駅までをつないだ縦長の広場である。土曜日とあって、景福宮周辺はレンタルの韓服を着た観光客が周辺を散策している。かつてのように、朴退陣を求めるデモもなく、のんびりとした雰囲気だ。

景福宮の左側の道・孝子路を歩く。景福宮の後ろ側に回りこむ形で、青瓦台正門を目指した。歩道わきの街路樹では鳥の鳴き声が騒がしい。青瓦台のすぐ裏は、北岳山という山がそびえている。都心に近いが、自然があふれているのだ。すれちがった観光客も「鳥が多いな」と驚いていた。私はデイパックから「朝鮮日報」を取り出し、手に持って歩いた。

正門前では、家族連れなどが記念写真を撮っていた。正門の後ろには、青い瓦の本館が見える。私は「朝鮮日報」を左手に持ち、右手にスマホをもって写真を撮ることにした。スマホを片手で操作するのはなかなか、難しい。それでも、何とか2枚だけ、撮影することができた。なぜ2枚だけか。警備していた警察官に写真撮影を止められたからだ、この写真の右上に写っている指は制止させようと手を回してきた、その警察官のものである。
 
警察官によれば、記念写真はいいが、プラカードのようなものを持って、青瓦台前に来たらダメなのだという。「これは新聞、それも朝鮮日報ではないか」と言ったが、通じない。しばらく問答したが、らちが開かない。まあいいや。もう目的は達したので、警察官と握手して別れることにした。歩きながら、スマホの写真を見たが、ばっちりと新聞にピントが合い、後ろに青瓦台の正門や本館がややぼけて写っている。なかなか面白い写真になった=最上段の写真。
5月9日には青瓦台の新たな「主人」となる大統領選挙の投票が行われる。そして、その5年後には、その「主人」の運命はどうなっているのだろうか。

■この国の宿痾、大企業・財閥との癒着
私のカトリック大学の研究室の机の上には、朴容疑者関連の本が10冊ある。大学図書館で貸出限度一杯借りてきたものだ。うち7冊は2012年12月の大統領選挙の前に出されたもので、表紙になった朴容疑者の表情は生き生きとしている。
カトリック大学の図書館にある朴氏関連書籍
この時の大統領選挙では、朴容疑者は得票率51.55%だった。民主化で、大統領直選制が復活した1987年以降、得票率が過半を超えたのは初めてで、しかも得票数1577万3128は歴代最多だった。民主統合党(当時)の文在寅候補との事実上の保革一騎打ちだった。文候補の得票率も48・00%で、かなり激しい闘いを勝ちぬいたのだった。そして、翌13年2月の就任式での演説では、朴容疑者は「国民の幸福」をさかんに繰り返していた。
在日本大韓民国民団(民団)のHPに日本語訳全文が掲載されている。
いま、この演説文を再読すると、意味深な言葉があるのに気づいた。
 《国の国政責任は大統領が負い、国の運命は国民が決めるものです。わが大韓民国が進んで行く新たな道に国民の皆さんが力を与え、活力を吹きこんでくれるよう望みます。》(民団HPより)

ローソクデモ、国会での弾劾訴追案可決、憲法裁判所での全員一致の罷免決定、そして、逮捕。まさに今回の「国の運命を決めた」主役は、国民だった。そして、朴容疑者はいま、その国政責任を裁かれる立場になった。
 今後、朴容疑者の本格的な取り調べが始まる。4月中旬までに起訴される見込みだ。朴容疑者の容疑は13に上る。いずれも崔被告と共謀したとされる。崔順実被告への機密文書流出容疑などのほかに特に二つの容疑が注目される。いずれも大企業や財閥との癒着疑惑である。

①【大企業に圧力をかけた強要容疑】
韓国の大企業に、親友の崔被告が事実上支配する2つの財団(Kスポーツ財団、ミル財団)に計774億ウォン(約77億円)の資金を拠出するように要求した疑いなど
②【韓国最大の財閥サムスングループ経営トップからの収賄容疑】
サムソン物産と第一毛織というサムソングループ内の企業合併に協力し、見返りとして、事実上の経営トップのサムスン電子副会長の李在鎔被告らから、崔被告への支援の形で、約束分も含め総額433億ウォン(約43億円)の賄賂を受け取った疑い

この国の「宿痾 (しゅくあ)」ともいうべき、大統領と財閥・大企業との癒着が、今後の捜査や公判廷で明らかにされることになる。そして国民はその実態を改めて直視することになる。それは反面教師としての「元女王」の失政の「最大遺産」になるかもしれない。

197812月にあった父親の大統領就任式で共に国民儀礼をする26歳の朴槿恵
=「写真と共に読む大統領朴正」より