2017年5月24日水曜日

植村さんが舞台出演

といっても、植村さんが役者として舞台デビューするというわけではありません。京都を中心に活動している劇団「笑の内閣」の公演で、芝居の幕が下りたところで植村さんが登壇して20分ほどのトークをする、というものです。
「笑の内閣」は5月17日から29日まで京都で「日韓米 春のツレウヨまつり」と題して代表作の「ツレがウヨになりまして」を公演中です。この作品には日本編と韓国編、米国編があって、期間中この3作が順に上演されていますが、植村さんが出演するのは5月28日(日)午前11時開演の日本編です。世界中の自国が好きすぎるナショナリストたちをぶったぎる「ツレウヨ」の日本編。日本の嫌韓ネトウヨたちをこきおろす思想系ラブストーリーだ、ということであります。
アフタートークにはこれまで鈴木邦夫氏(一水会顧問)、有田芳生氏(参院議員)、雨宮処凛氏(作家)、古谷ツネヒラ氏(著述家)、井筒和幸氏(映画監督)、中島岳志氏(政治学者)らが登壇しています。植村さんの出演は28日の1回のみです。
公演は、京都市左京区下鴨塚本町1のアトリエ劇研(電話075-791-1966)で。28日は11時開演、当日券一般3500円(前売り予約あり)。
問い合わせは、090-2075-0759、waraino_naikaku_u@yahoo.co.jp へ。
詳細はこちら

2017年5月10日水曜日

植村隆のソウル通信第12回



バラ選挙 文在寅候補当選、9年ぶり政権交代
3人目の革新系大統領となった文在寅氏(韓国YTNニュースから)
■得票率41.1%
韓国で9日、「薔薇大選(チャンミ・デソン)」と呼ばれた大統領選挙の投票が行われ、「共に民主党」の文在寅(ムン・ジェイン)候補(64)が当選した。9年ぶりに保守から革新への政権交代が実現することになった。韓国の聯合ニュースによると、開票を100%終えた時点での文候補の最終的な得票率は41.08%。中央選挙管理委員会は10日午前8時から全体委員会議を開き、第19代大統領選挙開票結果に従って、文候補を大統領当選者として公式に確定した。金龍徳・選管委委員長が議事棒を叩いた午前8時9分、文在寅大統領の任期がスタートした。10日正午には国会議事堂で就任宣誓の行事が行われる。

これまでの大統領選挙では当選から2カ月間は、大統領当選者として、現職大統領から引継ぎを受ける準備期間があったが、今回はそうした引継ぎもない。しかも、与党となる「共に民主党」の国会(299議席、欠員1)の議席数は120議席と半数にも達しない「与小野大」という厳しい政局。待ったなしで発足する文政権は、様々な重い課題を抱えてスタートすることになる。

YTNによると、文氏は当選確実の報が出た後、「私を支持しなかった国民にも仕える統合大統領になる」と語った。
聯合ニュースによれば、主な5候補の最終得票率は次の通りだ(10日、開票率100%)
①文在寅(ムン・ジェイン、革新系「共に民主党」)64歳=41.08
②洪準杓(ホン・ジュンピョ、保守系「自由韓国党」)62歳=24.03
③安哲秀(アン・チョルス、中道「国民の党」)55歳=21.41
④劉承旼(ユ・スンミン、保守系「正しい政党」)59歳=6.76
⑤沈相奵(シム・サンジョン、革新系「正義党」)58歳=6.17

■人権派弁護士出身、廬武鉉氏の最側近
文候補は、民主化運動に関わった人権派弁護士出身で、盧武鉉(ノ・ムヒョン) 大統領(当時)の最側近だった。盧政権では、大統領秘書室長などを歴任した。2012年12月の大統領選挙では、保守の朴槿恵候補に惜敗し、今回が2度目の大統領選挙挑戦だった。

しかし、文氏は日本人には非常になじみの薄い人物である。ハンギョレ(4月4日付)が、文氏の詳しいプロフィールを紹介していた。そこから、文氏の人物像を伝えたい。
まず、文氏の略歴を年表で紹介したい。
【文在寅氏の略歴(ハンギョレ新聞4月4日付より作成)】
1953年  慶尚南道巨済で出生
1972年  慶熙大学法学部入学
1975年  学生運動で投獄、西大門拘置所に収監
1978年  陸軍兵長満期除隊
1980年  第22期司法試験合格
1982年  釜山で、盧武鉉弁護士と合同法律事務所開所
2002年  盧武鉉大統領候補の釜山選挙対策本部長
2003年~ 07年  大統領民政首席秘書官、同市民社会首席秘書官、同秘書室長を歴任
2009年  故盧武鉉元大統領国民葬儀委員会常任執行委員長
2011年  革新と統合常任共同代表
2012年  総選挙で国会議員当選(釜山沙上)。民主統合党大統領候補
2015年  新政治民主連合党代表に選出
2016年  共に民主党常任顧問

ハンギョレの人物紹介を簡約したい。
《貧しい家に育った。大学時代は維新反対デモの先頭に立った。司法研修院を二番で終了したが、デモの前歴があり、裁判官にはなれなかった。検事やローファーム行きより、「庶民たちが経験している事件の中で無念な濡れ衣を着せられた人を助ける役割をする普通の弁護士」を選択した。彼が政治の道に進んだのは、盧武鉉のせいである。一緒に弁護士事務所を運営していた盧武鉉が大統領選挙に出るため、民主党の候補になったが、その釜山選挙対策本部長を任されたのだ
《盧武鉉政権では、民政首席、大統領秘書室長などを任された。「政治の一線に」という盧武鉉の勧誘にもかかわらず、国会議員選挙には出なかった。しかし、2009年5月23日に盧武鉉の逝去で、政治への道に呼び出された。彼は、2011年末、政権交代という名分のため、野党勢力大統合を通じた民主統合党の結党に参加した。2012年4月11日の総選挙では、釜山の沙上区で議員に当選した後、すぐに大統領選挙に走り出した。しかし、その年の12月の大統領選挙で、朴槿恵候補と対決し、51%対49%で苦杯を喫した

演説する文候補(8日)=写真・姜明錫氏
光化門広場で声援コールを送る市民(8日)
■20年ぶりの大統領選取材
文候補は2回目の挑戦で、金大中、盧武鉉に続く3人目の革新系大統領となった。韓国では、李明博、朴槿恵と9年間、保守政権が続いた。しかし、親友の国政介入事件などで、昨年秋から、政権への退陣要求が高まり、ローソク集会などが相次いで行われ、朴槿恵氏は罷免という形で、退陣に追い込まれた。そのローソク集会の行われたソウル市中心部の光化門広場で、5月8日夜、文候補の最後の遊説が行われた。その風景を見ながら、私は韓国の歴史が大きく進んでいく瞬間を見るようだった。

この日午後、滋賀県に住む元朝日新聞ソウル支局長の波佐場清さんが、ソウルにやってきた。大統領選挙の取材のためである。教え子のカトリック大4年生の姜明錫(カン・ミョンソク)君と3人で、文候補の最後の遊説を取材することにした。
波佐場さんは、ソウル支局員だった時の支局長である。当時の朝日新聞は支局員が私たち二人だけだった。力を合わせて1997年12月の大統領選挙を取材した。この選挙は、金大中氏が4回目の挑戦で当選し、史上初の選挙による政権交代が実現した歴史的な出来事だった。私が当選の本記を書き、波佐場支局長が解説を書いた。金大中大統領は、対北朝鮮では太陽政策をとり、南北首脳会談を実現させた。そして、日韓の間では、小渕恵三首相と日韓首脳会談を行い、日本の大衆文化を開放した。これが現在の日韓文化交流の大きな根っことなった。
波佐場さんはソウル支局長の後、太陽政策を考え出した林東源さんの著書「ピースメーカー」(邦題「林東源回顧録 南北首脳会談への道」、岩波書店)を翻訳した。林さんは金大中政権時代に統一部長官、国家情報院長などを務めた人物だ。さらにその後、金大中大統領の伝記も翻訳した(岩波書店より出版、康宗憲氏と共訳)。それだけに、金大中の太陽政策については、日本で最も詳しい人だと言えよう。

最終演説の日、波佐場さんと光化門広場の群集の中を、歩いた。この日は、韓国大統領選挙を20年ぶりに取材する「黄金コンビ」(自称)の復活である。広場の集会場は身動きが取れないほど、人々が集まっていた。午後7時すぎ、文在寅候補が登場し、会場が大きな歓声に包まれた。文候補の演説のたびに、「文在寅」コールが巻き起こる。米国に対し、韓(朝鮮)半島の平和を一緒につくろうと呼びかけると話した後、文候補はこう語った。
「北韓(北朝鮮)には、核か南北協力か選択しろ。堂々と圧迫し、説得する」。
その強い調子の発言に、会場で歓声が上がった。北朝鮮は核実験やミサイル発射という挑発的な瀬戸際戦術を続けている。北のミサイル発射で、日本では地下鉄が止まったという報道を読んだ。もちろん、あの日、ソウルの地下鉄は止まらなかった。北朝鮮が本当に日本や韓国をミサイル攻撃すると、ふつうの韓国人は思っていないからだ。そうした攻撃は朝鮮半島では全面的な戦争になることが分かっているからだ。北朝鮮が挑発を繰り広げるのは、あくまでも米国との平和協定を締結するための「ラブコール」なのだ。

■太陽政策が復活、南北問題は打開されるか
文候補の対北朝鮮政策はどうなるか。波佐場さんは言う。「太陽政策が復活する」。太陽政策とは、北朝鮮に対して圧力ではなく人道支援、経済協力、文化交流などの宥和政策を用いることで将来的には南北統一を図ろうとする政策のことである。盧武鉉政権下では、包容政策と呼ばれた。二人とも、在任中に南北首脳会談を実現した。そして、南北和解ムードが続いたが、その後の、保守政権の9年間で、再び南北関係が冷却したのだ。それを文氏が、太陽政策の復活で、打開するのではないか、という見方だ。「就任2年ほどで南北首脳会談をするのではないか。盧武鉉大統領の南北首脳会談の時に、文氏は首脳会談推進委員会委員長としてソウルで支えた。北には信頼があると思う」とも言う。私もその考えに全面的に同意する。
釜山の少女像と向き合う文氏
=写真集「文在寅」から
朝鮮半島にはいまも冷戦構造が残っている。韓国は経済発展と共に、かつての共産国家の中国や旧ソ連と国交を樹立している。しかし、北朝鮮はいまだに米国との国交正常化はなされていないのだ。冷戦が終わるどころか、第二次大戦が終わっていないと言える。日本との間で、戦後処理もなされていないのだ。この異形の国家は一人で、異形の国になったのではない。この冷戦構造を終わらせるには、対話しかないと思う。

1時間近く経ち、文候補の演説は終わった。司会者が、愛国歌(国歌)を一緒の第4番まで歌おうと呼びかけた。集会場に集まった幾万の韓国人たちが斉唱をする。暗い夜に力強い歌声が響く。そして、その後、壇上から、「スマホを点灯して、文候補を応援してください」という声がかけられた。聴衆はスマホの明かりをつけ、右に左に揺らす。ローソク集会の再現である。無数の光がゆっくりと揺れる。これもまた、歴史的なシーンになるのだろう。私はスマホのカメラで、このシーンを取り続けた。
■カリスマ性のない「脇役」が初めて「主役」に
一日郵便配達員となった
文氏(同写真集から)
文在寅氏は、実際は「普通の人」である。民主化運動をし、投獄された人々は韓国には無数にいる。文氏が注目を浴びたのは、盧武鉉氏をずっと支え続けたからだ。そういう意味では、韓国の現代史の中では、「脇役」だったとも言える。これまでの大統領は良い意味でも悪い意味でも「主役」であった。今回、初めてカリスマ性のない人物が、大統領になったとも言えるのではないか。

大統領選挙の1カ月前、文在寅氏の伝記が出版された。「青少年のための運命」という題名である。前回の選挙のときに、自伝「運命」を出版したが、それにならった題名のようだ。表紙にはローソクを持った文氏の横顔が描かれている。私は線を引きながら、この本を読んだ。前半は貧しい家から、大学に進み、苦労して司法試験に合格する話だ。後半は盧武鉉氏との出会いから、その死まででのエピソードだ。盧武鉉氏が死んだ後の2009年から後、文氏が何をしたのかは描かれていない。読みながら、大統領選挙の前にこれでいいのかなとも疑問が沸いた。
序文で著者のイ・ジョンウン氏が、こう書いていた。
「盧武鉉前大統領の逝去までが、文在寅の人生の第一幕だとすれば、その後の人生は第二幕だ。第二幕は一冊の本でなく、歴史が明らかにしてくれると信じる」。
つまり、これから文在寅自身が主役として、行動し、歴史に記録されていくということだろう。これから5年間、新しい政治の「主役」の手腕が問われている。

2017年5月5日金曜日

植村隆のソウル通信第11回

バラ選挙 大統領選挙5月9日投票

薔薇の季節の選挙
韓国の次期大統領を決める大統領選挙が最終局面を迎えている。これまでは12月に投票が行われてきたが、今回は朴槿恵(パク・クネ)前大統領の罷免を受け、5月9日(火)に投開票が行われる。この日は臨時の休日になっている。薔薇(チャンミ)の季節に行われるので、「薔薇大選(チャンミ・デソン)」と呼ばれている。

公式に選挙運動が始まったのは4月17日。この日は、朴槿恵容疑者が収賄など18件の罪で、起訴された日でもあった。史上最多の15人が立候補した。私の勤務するカトリック大学の正門わきの壁にも選挙ポスターが貼られている。途中で、2候補が出馬を取りやめ、現在は13人による戦いだ。

選挙運動は遊説とテレビ討論が中心だ。今回は計5回のテレビ討論が行われ、主要候補5人が登場した。私は、韓国の公営放送KBSが主催した第1回のテレビ討論(4月19日)をインターネットで見て、各候補を観察した。その画面の写真を使って各候補を紹介したい。左から、革新系の少数政党「正義党」の沈相奵(シム・サンジョン)、保守派で与党「自由韓国党」の洪準杓(ホン・ジュンピョ)、保守派の「正しい政党」劉承旼(ユ・スンミン)、革新系の最大野党「共に民主党」の文在寅(ムン・ジェイン)、中道の第二野党「国民の党」の安哲秀(アン・チョルス)の各氏である。討論の前の挨拶に、それぞれの候補の政治的な姿勢がよく出ていた。


◆沈相奵候補(58) 「労働が堂々とした国。私を公開支持宣言した作家はこう言いました。今回は当選可能性でなく、韓国の可能性に投票する。私は聖域なき改革で、新しい韓国に責任を持ちます」
◆洪準候補(62) 「庶民大統領候補ホンジュンピョです。今回の選挙はこの地の体制をどう選択するかという選挙です。左派政権を選ぶか、右派政権を選ぶかです。1番(文候補)と3番(安候補)は事実上同じ党です。選挙が終われば合党するからです。安保危機が極に至った今、ホンジュンピョを選べば、自由韓国を守ることになります」
◆劉承候補(59) 「保守の新しい希望ユスンミンです。新たに就任する大統領は経済危機、安保危機を克服し、温かい共同体、正義のある民主共和国を作るため根本的な改革を成し遂げる人間でなければなりません」
◆文在寅候補(64) 「この冬、『これが国か』と嘆きの声を上げ、国らしい国を念願しました。そのローソクの民心を大切にします。政権交代だけが、国らしい国に変えることができます。たくましい候補です。共にしてください」
安哲秀候補(55) 「記号3番、アンチョルスです。1番(文候補)、2番(洪候補)にはたくさん機会がありました。このままでは未来がありません。産業化、民主化を超えて、新しい未来を選択する時です。より良い政権交代を選択する時です」

5候補のうち、最左派は、沈候補である。ソウル大学出身だが、生涯を民主的な労働運動に捧げてきた。次いで、文候補となろう。民主化運動に関わった人権派弁護士出身で、盧武鉉大統領(当時)の最側近だった。盧政権では、大統領秘書室長などを歴任した。医者でIT起業家の安候補は中道傾向が強い。2012年の大統領選挙では安候補も出馬表明をした。しかし、野党系候補の一本化のため、文候補に譲った。その後、文氏と一緒に野党の共同代表を務めたこともある。一方、洪候補と劉候補の保守派の二人は共に、朴槿恵政権を支えた旧セヌリ党出身だ。しかし、劉候補は朴槿恵氏の弾劾訴追案に賛成し、セヌリ党を離党し、保守新党「正しい政党」をつくった。セヌリ党はイメージチェンジのために、党名を「自由韓国党」と改称した。洪候補は検事出身で、前慶尚南道知事である。

■「一強二中二弱」の争い

ギャラップ調査(4月29日付「朝鮮日報」日本語版HP)
世論調査では2度目の大統領選挑戦となる文候補が常に一位を維持している。文候補は2012年の大統領選挙にも出馬した。朴槿恵氏と事実上の一騎打ちで、惜敗した。最新(5月3日発表)の世論調査では、この「一強」の文氏を安・洪氏の「二中」が追い、沈・劉の「二弱」が続く構図になっている。
韓国ギャラップのデータ(1~2日調査)では文氏が前週より2ポイント下げて38%で首位。安氏は4ポイント下げた20%、洪氏は4ポイント上昇し、16%。沈候補は1ポイント上げて、8%となった。劉候補も2ポイント上昇し6%となった。安氏は一時は文候補に迫る勢いを見せていたが、テレビ討論であいまいな態度を見せたことなどもあり、支持率が急落した。
4日付の朝鮮日報は自社が依頼した世論調査の結果として、洪氏が安氏を逆転したとも報じている。

最近になって、保守系の候補一本化の動きも広がっている。4月29日には、保守派の候補の南在俊(ナム・ジェジュン)氏が出馬を取りやめ、洪氏への支持を表明した。南氏は朴槿恵政権時代、情報機関「国家情報院」の院長だった人物である。5月2日には、劉候補の「正しい政党」所属の国会議員13人が、集団離党し、洪候補への支持を表明した。うち一人は翌日、離党を撤回したが、劉候補には大きな衝撃となった。5月2日付の韓国経済新聞によると、朴槿恵容疑者の妹である朴槿令(パク・クニョン)氏が1日、「自由韓国党」党舎内で記者会見をして、洪候補の支持を表明した。こんな内容の話をしたという。
「ばらばらになった朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領支持勢力と朴槿恵前大統領支持勢力が一つに力を合わせれば、洪候補の当選は常識となる。無念の濡れ衣を着せられ、殉教した朴槿恵前大統領を助けてくれる唯一の候補は洪候補だけ。産業革命を成功させ、祖国の近代化を完成させた革命家朴正熙の後継者洪候補がこれからは保守革命、庶民革命を引っ張っていく」。時代の変化を読み取らない「化石」のような言葉に驚いた。しかし、こうした考えを支持する人々がかなりの割合で存在するのも、また事実である。

■直接選挙を勝ち取った30年前の民主化運動
 
私の裁判闘争・言論闘争を支援してくれている北岡和義さんと西村秀樹さんの2人のジャーナリストが「大統領選挙の風景を見たい」と韓国にやってきた。4月30日、一緒にソウル市内を歩いた。

ローソク集会が行われてきたソウル中心部の光化門広場では、この日午後から、大学生たちが主催する「バラ革命フェスティバル」が行われていた。若者も大統領選挙に積極的に参加し、その声を政治に実現させようという狙いの集会だ。バラで作ったアーチが飾られていた。学生たちは、「日韓慰安婦合意」の問題点について、会場でアンケートをとっていた。集会パンフレットを見ると、「バラ革命宣言」という要求事項の中に、大学の授業料や交通費の減額などのほか、「韓日日本軍慰安婦問題合意無効」というスローガンも入っていた。主要5候補はいずれも、この合意への反対を表明している。

この日、午後6時から、ソウルの新村(シンチョン)で、文在寅候補の遊説があるという。「一強」の生の声を聴くため、同地へ向かった。新村というのは、延世大学校のある地区のことを言う。いまから30年前、民主化運動が高揚した1987年には、この大学が民主化デモの舞台になった。同年6月9日にデモに参加した同大生の李韓烈(イ・ハンニョル)君が警察の発射した催涙弾で意識不明の重体となった(その後、死亡)。このため、学生や市民たちの怒りがさらに燃え上がり、各地で激しいデモが行われた。6月民主化抗争という。当時の 全斗煥政権は追い詰められ、与党・民主正義党の盧泰愚(ノ・テウ)代表委員が同月29日に「民主化宣言」を発表した。その宣言の最大の柱が、大統領直接選挙の復活だった。朴正熙時代の1972年に大統領選挙は間接選挙になっていた。朴氏は前年の71年の大統領選挙で金大中候補と事実上の一騎打ちとなり、苦戦した。政権維持に危機感を感じた朴大統領は永久独裁体制を確立するため、御用組織が大統領を選ぶシステムに変えたのだ。

私は1987年8月から1年間、この延世大学校韓国語学堂に留学していた。同年12月に16年ぶりに復活した大統領直接選挙を見物した。当時の野党勢力は金大中氏と金泳三氏の候補一本化に失敗。二人とも出馬して、共倒れになった。結局、与党の盧泰愚候補が漁夫の利を得る形で、当選したのだった。

■文候補「一強の演説」

文在寅候補の自伝「運命」によると、1987年、文氏は金泳三の地元である釜山で野党候補一本化に力を注いだ。こう書いてある。
「在野の多数が金大中候補に対する『批判的支持』に傾いている時だった。私は釜山地域で、それと同じ立場をとった」「最後まで一本化ができず、結局、盧泰愚候補が当選してしまって、我々は大きく落胆した」
そして30年後、文候補は大統領の座に一番近いところにいる。

新村の繁華街の中心にある交差点が文候補の遊説場所だった。4月30日午後6時前、すでに1万人以上集まっているようだった。司会者が「文在寅」コールを促すたびに、大きなコールが起きる。しばらしくて、文候補が到着した。壇上に上がり、背広を脱いでワイシャツの袖をまくった。
支援者だろうか、文候補に奇妙な形の花輪を渡した。カタカナの「ト」を丸く囲んだような形である。後で、知ったのだが、これは投票する際に使う、ハンコを形どったものだ。投票用紙に印刷された候補者名15人分のそれぞれ横に空欄があり、自分が投票する人のところに、このハンコを押すのだ。笑顔で花輪を受け取った文候補はそれを高々と頭の上に上げて、聴衆に見せた。歓声が上がり続けた。文候補はマイクを握って、こう問いかけた。

「みなさん、本当に政権交代を望みますか。それなら誰ですか」。聴衆から「文在寅」のコールが続く。さらに文候補はローソク集会で国民が勝利の歴史を作ったことを強調しながら、「しかし、これからが始まりです。大統領が弾劾され、拘束された以外は何も変わっていない。ローソクと共にする政権交代なのか、腐敗既得圏勢力による政権延長か。その対決だ。国民の選択ははっきりしている。誰ですか」と問いかけた。聴衆は「文在寅」と答え返した。文候補は政権を掌握したら、朴槿恵政権時代の不正問題だけでなく、李明博政権時代の不正についても調査することを言明した。また再び、歓声が上がった。
文候補は演説の途中に何かを手にして、聴衆の方に向けた。よく見ると、スマホである。裏側が明るく光っている。スマホのライトを点灯しているのだ。ローソク集会でのローソクの明かりをスマホで再現しているのだった。

演説の中では、対外関係についても触れた。「日本に対し、『慰安婦合意は間違っていた』、中国に対し、『微細粉塵(韓国語でミセモンジ)はあなたたちの責任だ』、米国に対し『韓半島の平和を一緒につくろう』。堂々と言える大統領を望んでいるでしょう。文在寅が先頭に立ちます」。聴衆からは、文在寅コールが巻き起こった。文候補の釜山なまりの演説に、聴衆は興奮していた。
演説の内容で驚いたのは、「携帯電話の料金を下げる」という話までしていたことだった。後で、文候補の公約集を見たら、裏表紙に携帯電話の挿絵つきで、「通信費、さらに安く、さらに便利に」という項目があった。表紙は選挙ポスターそのものの写真。それを裏に回すと、この項目が見える。そこには、こう書いてある。「通信基本料 完全廃止」「端通法を改定して端末機支給金上限税廃止」「高価端末機価格バブル除去」「すべての公共施設に公共Wifi設置義務化」。なるほど、これは若者には受けそうな公約だ。

■文候補から携帯に電話が!

じつは、この原稿を書いている最中の4日午後3時半、突然、私の携帯電話が鳴った。見慣れない番号だった。応答にすると、文在寅候補の声がした。(これ本当です)。投票に行こうと呼びかける本人の声を録音テープで流しているようだった。私の電話は韓国人の家人の名義である。約30秒のメッセージだ。着信記録にある電話番号は「0226-30-0043」。折り返し、電話してみると、「文在寅陣営」を名乗る録音メッセージが流れていた。「一強」は、バラ選挙で携帯電話を存分に活用しているようだ。