2017年5月10日水曜日

植村隆のソウル通信第12回



バラ選挙 文在寅候補当選、9年ぶり政権交代
3人目の革新系大統領となった文在寅氏(韓国YTNニュースから)
■得票率41.1%
韓国で9日、「薔薇大選(チャンミ・デソン)」と呼ばれた大統領選挙の投票が行われ、「共に民主党」の文在寅(ムン・ジェイン)候補(64)が当選した。9年ぶりに保守から革新への政権交代が実現することになった。韓国の聯合ニュースによると、開票を100%終えた時点での文候補の最終的な得票率は41.08%。中央選挙管理委員会は10日午前8時から全体委員会議を開き、第19代大統領選挙開票結果に従って、文候補を大統領当選者として公式に確定した。金龍徳・選管委委員長が議事棒を叩いた午前8時9分、文在寅大統領の任期がスタートした。10日正午には国会議事堂で就任宣誓の行事が行われる。

これまでの大統領選挙では当選から2カ月間は、大統領当選者として、現職大統領から引継ぎを受ける準備期間があったが、今回はそうした引継ぎもない。しかも、与党となる「共に民主党」の国会(299議席、欠員1)の議席数は120議席と半数にも達しない「与小野大」という厳しい政局。待ったなしで発足する文政権は、様々な重い課題を抱えてスタートすることになる。

YTNによると、文氏は当選確実の報が出た後、「私を支持しなかった国民にも仕える統合大統領になる」と語った。
聯合ニュースによれば、主な5候補の最終得票率は次の通りだ(10日、開票率100%)
①文在寅(ムン・ジェイン、革新系「共に民主党」)64歳=41.08
②洪準杓(ホン・ジュンピョ、保守系「自由韓国党」)62歳=24.03
③安哲秀(アン・チョルス、中道「国民の党」)55歳=21.41
④劉承旼(ユ・スンミン、保守系「正しい政党」)59歳=6.76
⑤沈相奵(シム・サンジョン、革新系「正義党」)58歳=6.17

■人権派弁護士出身、廬武鉉氏の最側近
文候補は、民主化運動に関わった人権派弁護士出身で、盧武鉉(ノ・ムヒョン) 大統領(当時)の最側近だった。盧政権では、大統領秘書室長などを歴任した。2012年12月の大統領選挙では、保守の朴槿恵候補に惜敗し、今回が2度目の大統領選挙挑戦だった。

しかし、文氏は日本人には非常になじみの薄い人物である。ハンギョレ(4月4日付)が、文氏の詳しいプロフィールを紹介していた。そこから、文氏の人物像を伝えたい。
まず、文氏の略歴を年表で紹介したい。
【文在寅氏の略歴(ハンギョレ新聞4月4日付より作成)】
1953年  慶尚南道巨済で出生
1972年  慶熙大学法学部入学
1975年  学生運動で投獄、西大門拘置所に収監
1978年  陸軍兵長満期除隊
1980年  第22期司法試験合格
1982年  釜山で、盧武鉉弁護士と合同法律事務所開所
2002年  盧武鉉大統領候補の釜山選挙対策本部長
2003年~ 07年  大統領民政首席秘書官、同市民社会首席秘書官、同秘書室長を歴任
2009年  故盧武鉉元大統領国民葬儀委員会常任執行委員長
2011年  革新と統合常任共同代表
2012年  総選挙で国会議員当選(釜山沙上)。民主統合党大統領候補
2015年  新政治民主連合党代表に選出
2016年  共に民主党常任顧問

ハンギョレの人物紹介を簡約したい。
《貧しい家に育った。大学時代は維新反対デモの先頭に立った。司法研修院を二番で終了したが、デモの前歴があり、裁判官にはなれなかった。検事やローファーム行きより、「庶民たちが経験している事件の中で無念な濡れ衣を着せられた人を助ける役割をする普通の弁護士」を選択した。彼が政治の道に進んだのは、盧武鉉のせいである。一緒に弁護士事務所を運営していた盧武鉉が大統領選挙に出るため、民主党の候補になったが、その釜山選挙対策本部長を任されたのだ
《盧武鉉政権では、民政首席、大統領秘書室長などを任された。「政治の一線に」という盧武鉉の勧誘にもかかわらず、国会議員選挙には出なかった。しかし、2009年5月23日に盧武鉉の逝去で、政治への道に呼び出された。彼は、2011年末、政権交代という名分のため、野党勢力大統合を通じた民主統合党の結党に参加した。2012年4月11日の総選挙では、釜山の沙上区で議員に当選した後、すぐに大統領選挙に走り出した。しかし、その年の12月の大統領選挙で、朴槿恵候補と対決し、51%対49%で苦杯を喫した

演説する文候補(8日)=写真・姜明錫氏
光化門広場で声援コールを送る市民(8日)
■20年ぶりの大統領選取材
文候補は2回目の挑戦で、金大中、盧武鉉に続く3人目の革新系大統領となった。韓国では、李明博、朴槿恵と9年間、保守政権が続いた。しかし、親友の国政介入事件などで、昨年秋から、政権への退陣要求が高まり、ローソク集会などが相次いで行われ、朴槿恵氏は罷免という形で、退陣に追い込まれた。そのローソク集会の行われたソウル市中心部の光化門広場で、5月8日夜、文候補の最後の遊説が行われた。その風景を見ながら、私は韓国の歴史が大きく進んでいく瞬間を見るようだった。

この日午後、滋賀県に住む元朝日新聞ソウル支局長の波佐場清さんが、ソウルにやってきた。大統領選挙の取材のためである。教え子のカトリック大4年生の姜明錫(カン・ミョンソク)君と3人で、文候補の最後の遊説を取材することにした。
波佐場さんは、ソウル支局員だった時の支局長である。当時の朝日新聞は支局員が私たち二人だけだった。力を合わせて1997年12月の大統領選挙を取材した。この選挙は、金大中氏が4回目の挑戦で当選し、史上初の選挙による政権交代が実現した歴史的な出来事だった。私が当選の本記を書き、波佐場支局長が解説を書いた。金大中大統領は、対北朝鮮では太陽政策をとり、南北首脳会談を実現させた。そして、日韓の間では、小渕恵三首相と日韓首脳会談を行い、日本の大衆文化を開放した。これが現在の日韓文化交流の大きな根っことなった。
波佐場さんはソウル支局長の後、太陽政策を考え出した林東源さんの著書「ピースメーカー」(邦題「林東源回顧録 南北首脳会談への道」、岩波書店)を翻訳した。林さんは金大中政権時代に統一部長官、国家情報院長などを務めた人物だ。さらにその後、金大中大統領の伝記も翻訳した(岩波書店より出版、康宗憲氏と共訳)。それだけに、金大中の太陽政策については、日本で最も詳しい人だと言えよう。

最終演説の日、波佐場さんと光化門広場の群集の中を、歩いた。この日は、韓国大統領選挙を20年ぶりに取材する「黄金コンビ」(自称)の復活である。広場の集会場は身動きが取れないほど、人々が集まっていた。午後7時すぎ、文在寅候補が登場し、会場が大きな歓声に包まれた。文候補の演説のたびに、「文在寅」コールが巻き起こる。米国に対し、韓(朝鮮)半島の平和を一緒につくろうと呼びかけると話した後、文候補はこう語った。
「北韓(北朝鮮)には、核か南北協力か選択しろ。堂々と圧迫し、説得する」。
その強い調子の発言に、会場で歓声が上がった。北朝鮮は核実験やミサイル発射という挑発的な瀬戸際戦術を続けている。北のミサイル発射で、日本では地下鉄が止まったという報道を読んだ。もちろん、あの日、ソウルの地下鉄は止まらなかった。北朝鮮が本当に日本や韓国をミサイル攻撃すると、ふつうの韓国人は思っていないからだ。そうした攻撃は朝鮮半島では全面的な戦争になることが分かっているからだ。北朝鮮が挑発を繰り広げるのは、あくまでも米国との平和協定を締結するための「ラブコール」なのだ。

■太陽政策が復活、南北問題は打開されるか
文候補の対北朝鮮政策はどうなるか。波佐場さんは言う。「太陽政策が復活する」。太陽政策とは、北朝鮮に対して圧力ではなく人道支援、経済協力、文化交流などの宥和政策を用いることで将来的には南北統一を図ろうとする政策のことである。盧武鉉政権下では、包容政策と呼ばれた。二人とも、在任中に南北首脳会談を実現した。そして、南北和解ムードが続いたが、その後の、保守政権の9年間で、再び南北関係が冷却したのだ。それを文氏が、太陽政策の復活で、打開するのではないか、という見方だ。「就任2年ほどで南北首脳会談をするのではないか。盧武鉉大統領の南北首脳会談の時に、文氏は首脳会談推進委員会委員長としてソウルで支えた。北には信頼があると思う」とも言う。私もその考えに全面的に同意する。
釜山の少女像と向き合う文氏
=写真集「文在寅」から
朝鮮半島にはいまも冷戦構造が残っている。韓国は経済発展と共に、かつての共産国家の中国や旧ソ連と国交を樹立している。しかし、北朝鮮はいまだに米国との国交正常化はなされていないのだ。冷戦が終わるどころか、第二次大戦が終わっていないと言える。日本との間で、戦後処理もなされていないのだ。この異形の国家は一人で、異形の国になったのではない。この冷戦構造を終わらせるには、対話しかないと思う。

1時間近く経ち、文候補の演説は終わった。司会者が、愛国歌(国歌)を一緒の第4番まで歌おうと呼びかけた。集会場に集まった幾万の韓国人たちが斉唱をする。暗い夜に力強い歌声が響く。そして、その後、壇上から、「スマホを点灯して、文候補を応援してください」という声がかけられた。聴衆はスマホの明かりをつけ、右に左に揺らす。ローソク集会の再現である。無数の光がゆっくりと揺れる。これもまた、歴史的なシーンになるのだろう。私はスマホのカメラで、このシーンを取り続けた。
■カリスマ性のない「脇役」が初めて「主役」に
一日郵便配達員となった
文氏(同写真集から)
文在寅氏は、実際は「普通の人」である。民主化運動をし、投獄された人々は韓国には無数にいる。文氏が注目を浴びたのは、盧武鉉氏をずっと支え続けたからだ。そういう意味では、韓国の現代史の中では、「脇役」だったとも言える。これまでの大統領は良い意味でも悪い意味でも「主役」であった。今回、初めてカリスマ性のない人物が、大統領になったとも言えるのではないか。

大統領選挙の1カ月前、文在寅氏の伝記が出版された。「青少年のための運命」という題名である。前回の選挙のときに、自伝「運命」を出版したが、それにならった題名のようだ。表紙にはローソクを持った文氏の横顔が描かれている。私は線を引きながら、この本を読んだ。前半は貧しい家から、大学に進み、苦労して司法試験に合格する話だ。後半は盧武鉉氏との出会いから、その死まででのエピソードだ。盧武鉉氏が死んだ後の2009年から後、文氏が何をしたのかは描かれていない。読みながら、大統領選挙の前にこれでいいのかなとも疑問が沸いた。
序文で著者のイ・ジョンウン氏が、こう書いていた。
「盧武鉉前大統領の逝去までが、文在寅の人生の第一幕だとすれば、その後の人生は第二幕だ。第二幕は一冊の本でなく、歴史が明らかにしてくれると信じる」。
つまり、これから文在寅自身が主役として、行動し、歴史に記録されていくということだろう。これから5年間、新しい政治の「主役」の手腕が問われている。