2017年7月13日木曜日

東京訴訟第9回速報

植村裁判東京訴訟(被告西岡力氏、文藝春秋)の第9回口頭弁論が7月12日、東京地裁で開かれた。連日きびしい暑さが続いている東京だが、103号法廷は96席ある傍聴席が支援者で埋められ、ほぼ満席となった。この日初めて傍聴にかけつけた労組、市民運動の関係者や朝日OBも少なくなかった。

■西岡被告、「当事者への取材を一切しなかった」ことが明らかに

午後3時開廷。原告と被告の双方が提出した準備書面を確認し合ったあと、原告弁護団事務局長の神原元弁護士が、第7準備書面の要旨を朗読した。
第7準備書面は、被告側が「名誉棄損部分等一覧表」に記載した反論と抗弁(3月18日付記載)に対して、24ページにわたって詳細な批判を加えている。
その要旨朗読の中で、神原弁護士は、被告側が「植村氏は金学順氏が養父によって身売りされて慰安婦になったことを知っていて書かなかった」としている点に主張をしぼり、「身売りされたという被告西岡の主張は証拠によっては全く証明されていない。金氏が国を訴えた訴状にも、(金氏の記者会見後の)韓国紙の記事にも、そのような記載は一切ない。金学順氏が身売りによって慰安婦にされたという事実は証明されていないと言わざるを得ない」と述べ、さらに「植村氏が意図的に偽りの記事を執筆したと西岡が信じるに足る相当な理由」(いわゆる相当性)についても、西岡氏は直接の当事者に一度も取材していないことを指摘し、「被告西岡の名誉棄損行為は、事実の証明がなく、相当性もない」とあらためて主張した。

西岡氏の取材内容とその問題点については、前回に植村氏側が14点にわたる質問(求釈明)を出していたが、その回答書面がこの日までに出されていた(6月12日付)。被告側はその中で、直接の当事者である金学順氏、尹貞玉氏(挺対協=韓国挺身隊問題対策協議会代表)と植村氏に一度も取材していないことを認めている。そのこと自体が驚きだが、その理由にはさらに驚くほかない。金氏については「入院中とのことで面会取材することはできなかった。現地在住の在日韓国人に会って話を聞いた」、尹氏については「当事者ではなく研究者と言う立場であり、特段の取材の必要性を感じず、取材をしなかった」、植村氏については「原告が執筆した新聞記事についての批評をしたに過ぎず、同記事の執筆者に取材をしなかったことは問題とされるべきではない」というのである。西岡氏の取材と執筆の姿勢と態度についてはこれまでも批判が絶えなかったが、植村さんに対する重大な誹謗中傷と名誉棄損行為が、じつは当事者へのひとかけらの取材もなく行われたことが、この日の口頭弁論で明らかになった。

法廷ではこのあと、原克也裁判長が今後の進行について双方の意見を聞き、次回期日と書面提出の締め切り日、進行協議の日時を確認した。午後3時7分閉廷。
次回(第10回)口頭弁論は10月11日午後3時から開かれる。

Text by NAKAMACHI

※「意見陳述要旨」全文と「第7準備書面」は記録サイト「梅村裁判資料室」に収録➡ こちら

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報告集会は午後4時から5時30分まで、参議院議員会館で開かれた。
弁護団報告は神原弁護士と、札幌訴訟弁護団の川上麻里江弁護士が行った。講演は、元共同通信特派員の菱木一美氏が約50分、報告は植村隆さんが約15分行った。
弁護団報告の要旨は次の通り。
■神原弁護士
名誉毀損は、間違った記事を書いて、だれか名誉を毀損したときでも、ただちに損害賠償義務を負うわけではない。ちゃんと誠実に取材をつくした場合は成立しない。本件で西岡さんが植村さんの記事を書くときどんな調査をしたか。求釈明を出し、回答が来た。それを受けてこちらが、「そんなのはダメだろう」と主張した。
被告西岡は、金学順さんや尹貞玉さんに取材したか。取材していない。「当時は病気で会えなかった」というが、その後もご存命なので会う機会はあった。「日本のマスコミ取材の手配をした在日韓国人女性と会って経緯について確認した」という。現地のホテルや通訳の手配を手伝っている女性から「また聞き」したというのが取材だという。
金学順さんについては、植村さんは肉声のテープを聴いた。彼は植村さんに対して「金学順さんに会わずテープだけで取材したからけしからん」といった。そういうことを言って捏造記者だと批判している西岡は会ってもいない。現地手配を手伝った女性から「また聞き」した。それだけで「植村さんは、金学順さんが身売りされたと書かなかったから捏造だ」という。とんでもない。
次回の裁判は10月11日ですね。お互いに書面を出し尽くしており、このあたりで主張は尽きてくる。 その後、年明けに証人申請を出し、春には証人尋問。夏か秋には判決をめざす。
川上弁護士
札幌弁護団からの報告をします。櫻井よしこ、新潮社、ダイヤモンド社、ワック社を相手に提訴しています。札幌には北星学園大があります。大学への圧力の現場で訴訟を起こすことに意義を感じ、1年かけて、裁判管轄についての訴訟をやり、それから本題に入った。
きょうは東京の期日に初めて出席した。札幌の裁判長はやる気で指揮をしており、法廷でも「この後、報告集会をやるんでしょう」と言ったりする。裁判所自らが争点表をまとめて整理をしながら進めている。それは裁判長のキャラクターということだろうが、相手方代理人は趣旨のよくわからない主張をしてくる。これは私の論評ですが、よくわからない証拠も出してくる。そんな感想を個人的に抱くような状況です。
櫻井がやった名誉棄損、「捏造記者」という主張への反論とともに、その結果として発生した損害について、北星学園大に対して送られたメール、電凸といわれる大学に電話を掛けて困らせようという攻撃、それらも名誉毀損から生まれた行為だと主張している。
札幌の支援者のみなさんにもご尽力をいただいて主張をまとめている。市民も立ち上がって訴訟を支えて、一緒にたたかっていくという姿勢でおります。そろそろ証人尋問準備に入ろうというところで、順調に進んでいる。東京のみなさんも、札幌にも目線を向けていただき、いっしょに勝訴に向けて進んでいきたい。
 

※菱木一美氏の講演、植村さんの報告の詳報は後日、掲載します

2017年7月10日月曜日

札幌第8回報告集会

 植村裁判札幌訴訟の第8回口頭弁論報告集会が77日午後415分から札幌市教育文化会館で開かれた。弁護団事務局長の小野寺信勝弁護士が裁判の進行状況を報告した後、植村隆さんが近況報告を兼ねて「文在寅政権の対日政策と日韓関係」と題して講演。「負けるな北星!の会」(20161031日解散)の元呼びかけ人、内海愛子・恵泉女学園大学名誉教授も挨拶した。司会は植村裁判を支える市民の会事務局の益子美登里さん。約80人が参加した。

■マケルナ会記録集刊行を報告
 主催者を代表し、支える会の林秀起事務局次長が挨拶。支える会の母体ともなった「負けるな北星!の会」の記録集『北星学園大学バッシング 市民は かく闘った』(247頁、頒布価格500円)の刊行を報告した。

■年度内に判決か
 小野寺弁護士によると、裁判進行のロードマップは①主張整理②立証(証人尋問)③判決――の3段階。現在は①の最終局面にある。次回期日の98日、次々回期日の1013日をもって①の段階が終わり、1122日の進行協議(非公開)を経た次の期日でいよいよ植村さんや被告の櫻井よしこさんらの証人尋問が始まる見通し。小野寺事務局長は「年度内の判決が見えてきたと言える」と述べた。
 小野寺弁護士はこの日の弁論で、被告ワック社(『月刊WiLL』の発行元)が提出した自らの主張を補強する証拠約120件が「本件訴訟と関係がない」として裁判所が「バッサリ削除」した場面を振り返った。「慰安婦は売春婦だ」といった主張で、被告側の論点すり替えが裁判所に見透かされたとも言える。

■韓国現代史からの学び~植村さん近況報告
 植村さんは韓国カトリック大学(校)で「東アジアの平和と文化」をテーマに客員教授として教鞭を執っている。日本にあまり知られていない大学の知名度アップを目標に授業の中で製作した大学紹介の日本語パンフレットを持参し、「韓国カトリック大学を日本に発信したい」と意気込みを語った。
 韓国では朴槿恵前大統領の罷免・逮捕、大統領選、文在寅政権の誕生と激動の現代史が進行している前大統領の失脚の原因は「お友達」への利益誘導が国民の怒りを買ったこととコミュニケーション能力の欠如にあったと分析。「これ、日本ではなくて韓国の話です」と会場を笑わせた。国民との対話を重視する大統領の姿勢は世論調査でも高評価を得ているという
 文在寅大統領が掲げる日韓慰安婦合意の見直しについても言及。安倍晋三首相が政治家として何を目指してきたか。日本軍の関与と強制性を認めて謝罪した1993年の河野談話の見直しを念頭に、教科書に載った慰安婦の記述に「自虐教育」と反発する国会議員の会を組織するなど、「記憶の継承をずっと妨害してきたのが安倍首相だ」と指摘した。
植村さんが強調したのは韓国で展開している「ひろばの政治」。前大統領の退陣を求め、街のひろばで連日展開された市民による「ローソク集会」は「デモクラシーの原点を見ているようだった」と韓国における「学び」の大きさを語り、その根本にある韓国の憲法第1条を読み上げた。
大韓民国は民主共和国である。大韓民国の主権は国民にあり、全ての権力は国民から発する」
植村さんは「当たり前のことだが、ローソク集会は国民が主権者であることを、身をもって示していると考えさせられた」としめくくった。
 内海愛子さんは短いスピーチの中で、戦後補償から置き去りにされた朝鮮半島や台湾出身のBC級戦犯、空襲の民間人被害者の問題に触れ、「東京裁判は天皇(の責任)、一般国民の被害、植民地支配の問題に触れなかった。何が裁かれ、何が裁かれなかったのか、考えなくてはいけない」と訴えた。

■7.7平和集会に合流
通常の報告集会はゲストを招いての講演を組み込んできたが、この日は午後6時半からかでる27で開かれた第327.7平和集会「アジアから今、問われている あの戦争」(メーン講師は内海愛子さん)への合流を想定していつもより短い約1時間で切り上げた。平和集会は支える会を含む35団体で実行委を構成。植村さんも、会場を埋めた約200人を前に韓国の現状について20分間特別報告した。


Text by YAMADA



2017年7月8日土曜日

札幌訴訟第8回速報

入廷する植村さん(前列左)と弁護団と、付き添うチワワ(左端)
■判決の下敷きとなる「主張整理案」めぐりやり取り
植村裁判札幌訴訟の第8回口頭弁論は7月7日午後、札幌地裁805号法廷で開かれた。正面左の植村さん側の弁護団席には22人が、右の櫻井氏側には6人が着席した。
原告と被告双方は、裁判所が前回弁論(4月14日)の後に提示した「主張整理案」(6月2日付)についての意見を書面で提出し、次回以降の進め方についても意見を交わした。
裁判所の「主張整理案」とは、第1回弁論以降の原告側主張と被告側の反論を精緻に要約した文書で、本文はA4判17ページ、別紙主張対照表はA4判8ページにわたっている。ここに書かれている内容は、裁判所の客観的な“理解度”を示しており、裁判の最後に書かれる判決書の争点整理の項の下敷きともなる重要な書面である。
植村さん側はこの整理案について、肩書や日付の誤記の指摘と、表現の補強要請など8点を簡潔に述べるにとどめ(第12準備書面)、この日の法廷では意見陳述はしなかった。原告側の読み上げ陳述なしは今回が初めて。
一方、被告側は、櫻井氏と新潮社が7月5日付の書面を提出したが、追記と部分削除の要求が含まれていたため、主張整理案をめぐるやりとりは持ち越され、次回以降も続くことになった。櫻井氏側はこれとは別に、前回弁論で植村さん側が提出した第11準備書面(ネット上の櫻井氏の記事が植村バッシングを拡大させたことを実証し追及した)に対する反論(第5準備書面)を提出し、「櫻井の論文と第三者による脅迫行為に因果関係はない」と主張している。また、ワック社はA4判27ページの長大な書面(6月30日付)を提出し、戦時中の軍資料類を多数援用しながら、朝日新聞の慰安婦報道や吉田清治証言を批判している。これは「主張整理案」とも植村さんの書いた記事とも直接は関係がない“歴史修正主義”史観の独演会である。温厚で公正な訴訟指揮をする岡山忠弘裁判長は、ワック社の弁護士に対して、「(要するに)捏造との関係では、女子挺身隊と慰安婦は違うということを言いたいのですね」と皮肉たっぷりな質問を浴びせていた。
次回以降の進め方については、岡山裁判長が「次回と次々回も主張整理案の論議は続けるが、同時に証人尋問の方針やその範囲も双方にお伺いしたい」と述べ、簡単なやり取りの後、原告、被告双方が証人尋問の具体的な準備に入ることを確認した。日程は次回(9月8日、第9回)と次々回(10月13日、第10回)が確定した。これにより、第10回弁論で双方の主張のやり取りは終了し、その次に、終盤の対決のヤマ場となる証人尋問を迎えることになった。証人尋問には植村、櫻井両氏が出廷する。両氏の直接対決があるかもしれない。開廷は午後3時30分、閉廷は同3時45分だった。
この日、札幌は最高気温が33度を超え、今年初めての真夏日となった。支援者の夏も熱い。傍聴希望者は定員71人に対して78人だった。午後3時過ぎ、裁判所職員が今回も抽選となったことをハンドマイクで告げると、横7列に並んだ行列から軽いどよめきが起きた。
次回は9月8日、次々回は10月13日に開かれる。いずれも午後3時30分開廷。

■報告集会で内海愛子さんが応援のエール
報告集会は午後4時15分から裁判所近くの札幌市教育文化会館で開かれた。定員72人の302号室が満員となった=写真左。
はじめに、支える会事務局の林秀起さんが、「負けるな北星!の会」(マケルナ会)の記録集「北星学園大学バッシング 市民はかく闘った」が前日(7月6日)に発刊されたことを報告し、購読を広く宣伝するように呼びかけた。続いて、弁護団報告。植村弁護団事務局長の小野寺信勝弁護士が、裁判の進展状況と到達地点を説明し、「いよいよ双方の主張は出尽くし、前半戦は終盤を迎える。その後には、証人尋問が待っている。引き続き支援をお願いしたい」と訴えた。
報告集会の定番となった植村さんの韓国報告は、5月の大統領選挙によって文・革新政権が誕生した後の韓国情勢と「慰安婦」合意をめぐる日韓関係が中心となった。植村さんは、「大統領選の前夜、文候補の街頭演説をソウル市内で聞いた。支持者と聴衆はスマホのライトをキャンドルにして掲げた。その光のウエーブを見ながら、韓国は変わる、新時代が来ることを実感した。キャンドル集会ではいつどこでも、大韓民国憲法の条文がテーマ音楽のように歌われ朗読されていた。その第一条は、大韓民国の主権は国民にあり、すべての権力は国民から発する、とある。私は韓国に教えに来ているが、たくさんのことを教えられてもいる」と語った。最後にあいさつした内海愛子さん(恵泉女学園大学名誉教授)は、マケルナ会呼びかけ人のひとり。植村裁判はこの日、初めて傍聴した。「いまも、傍聴にたくさんの人が並び、抽選になっていることに、感謝します。裁判は勝つことが大事ですが、同時に運動として広げ固めていくことも大事。私の経験からそう思います」とやわらかな口調で感想を語り、エールを送った。
この後、内海さんと植村さんは、道民活動センター(かでる2・7)で開かれた「7・7平和集会」に講演者として参加した。この集会は、盧溝橋事件が起きた7月7日に、道内の宗教者、法律家、市民運動などの団体が1986年から毎年開催している。事件から80年にあたることしは内海さんと植村さんが招かれ、内海さんは「戦後史の中の和解---置き去りにされた植民地支配の清算」、植村さんは「韓国報告---文在寅政権の対日政策と日韓関係」と題して講演した。定員150人の会場は200人を超える参加者で超満員となっていた。

 *報告集会の詳報は後日掲載します。


 マケルナ会の記録「北星学園大学バッシング 市民はかく闘った」
 2014年春から2年近く、北星学園大学と植村さん、そして植村さんの家族にも及んだバッシングに対して闘った市民の行動の全容が記録されている。経過年表、脅迫の実態、シンポジウムや集会の記録、呼びかけ人と参加者の思い、賛同者全氏名、資料(支援声明・アピール・要請書・決議・抗議など)から成っている。A4判246ページ。厚さ13ミリ、重さ635グラム。頒価500円。

2017年7月3日月曜日

吉見裁判、上告棄却

日本軍「慰安婦」問題の著作をめぐる発言について、吉見義明中央大学名誉教授が桜内文城衆院議員(当時)を名誉棄損で訴えていた裁判で、最高裁は6月29日、吉見さんの上告を棄却しました。支援団体(吉見裁判いっしょにアクション)と吉見訴訟弁護団は「最高裁決定は極めて不当だ」として、7月1日に抗議声明を発表しました。それぞれの声明には、提訴の経過と判決の問題点(①吉見さんはなぜ提訴したのか、②東京地裁と東京高裁の判決はどのようなものだったのか、③吉見さんの研究成果は「捏造」と認定されたのか、④「慰安婦」制度が性奴隷制度であることは否定されたのか)が、わかりやすく書かれています。以下に全文を転載します。
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【吉見義明さん名誉毀損訴訟最高裁決定に対する抗議声明】

1 中央大学名誉教授の吉見義明さんが日本維新の会(当時)の桜内文城衆議院議員(当時)を名誉毀損で訴えた裁判(以下、吉見裁判)において、2017629日、最高裁判所第一小法廷(裁判長小池裕)は吉見さんの上告を棄却し、受理をしないというきわめて不当な決定(以下、最高裁決定)を行いました。

2 この訴訟の発端は、20135月に橋下徹前大阪市長が「慰安婦制度が必要なことはだれでもわかる」と発言したことです。国内外からの批判を浴びた橋下前市長は同月、日本外国特派員協会で弁明のために講演しました。その際に、同席していた桜内氏が司会者の発言に関して、「ヒストリーブックスということで吉見さんという方の本を引用されておりましたけれども、これはすでに捏造であるということが、いろんな証拠によって明らかにされております」(以下、桜内発言)と発言しました。

3 研究者の研究業績を何の根拠もなく「捏造」であると公言する行為は、研究者に対する重大な名誉毀損であるだけでなく、研究者生命を奪いかねないほど深刻なことです。そして、この桜内発言が看過できないのは、吉見さんが明らかにしてきた「慰安婦」被害に関する事実を根幹から否定することで、被害者の名誉と尊厳をも冒涜するものであったということです。

4 吉見さんは、桜内発言が名誉毀損にあたるとして損害賠償請求に踏み切りました。しかし、2016120日の東京地方裁判所の判決(以下、地裁判決)は、桜内発言中の「捏造」(「事実でないことを事実のように拵えること」との意味)という言葉が、「誤りである」「不適当だ」「論理の飛躍がある」といった程度の趣旨であるとの認識を示し、被告を免責しました。
 吉見さんは控訴しましたが、同年1215日に出された東京高等裁判所判決(以下、高裁判決)は、「これはすでに捏造である」(桜内発言)の「これ」の意味がさまざまな解釈が可能であるとし、「吉見さんという方の本」を指すとは認定できず、名誉毀損は成立していないと判断しました。
 地裁・高裁判決ともに、誰が見ても容易に理解できる日本語の解釈を歪曲させたものであり、非論理的なものでした。

5 高裁判決を受けて、吉見さんは最高裁判所への上告を行いました。上告にあたっては、高裁判決の不当性を最高裁判所に示し、適切な決定を行うように求めました。しかし、最高裁決定は、「門前払い」というべきものでした。

6 吉見さんは丹念な資料調査と聞き取り等により日本軍「慰安婦」問題の実態解明に誰よりも大きく貢献し、日本国内外の歴史学界において高い評価を得てきました。地裁判決に対して、日本歴史学協会をはじめとした歴史学15団体が抗議声明を出したことはその証左です(2016530日)。また、吉見裁判に対しては、日本国内はもちろん世界の市民から、本会への入会、裁判の傍聴、集会への参加や「公正な判決を求める国際市民署名」などの形で、あたたかいご支援をいただきました。

7 今回、日本の司法の最高機関である最高裁が不当な決定を行ったことは、日本の司法の腐敗を白日の下にさらすものです。歴史研究の成果に根拠なく「捏造」と発言しても免責されるというのは、いったいどういうことなのでしょう。この決定は、歴史学界への全面的な挑戦であり、日本と世界の市民の声を踏みにじるものです。そして、「慰安婦」被害者の名誉と尊厳をいっそう冒涜するものです。断じて許すことはできません。

8 地裁・高裁判決、そして、最高裁決定は、吉見さんの研究成果が「捏造」だということを認定したものではありません。
 また、吉見裁判では、日本軍「慰安婦」制度が性奴隷制度といえる根拠についても、議論を展開し、桜内氏側の議論をことごとく論破してきました。地裁・高裁判決、最高裁決定のいずれにおいても、「慰安婦」制度が性奴隷制度であるか否かという点については、何らの判断も行われませんでした。したがって、「慰安婦」制度が性奴隷制度であることが否定されたことにはなりません。
 「慰安婦」制度が性奴隷制度であるというのは、国際的な常識であり、歴史学界においても広く共有されている認識です。また、この裁判を通じて、「慰安婦」問題の歴史的実態がよりいっそう明らかにされたことも特筆すべきことです。

9 私たちは、不当な決定に強く抗議するとともに、吉見さんの名誉回復と、日本軍「慰安婦」問題の真の解決に向けて、取り組みを続けていきます。吉見裁判をご支援いただいたみなさんにお礼申し上げるとともに、今後の「慰安婦」問題の真の解決のための活動へのご協力をお願いする次第です。

2017
71日 
YOSHIMI裁判いっしょにアクション

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【吉見義明教授名誉毀損事件の最高裁決定に対する弁護団声明】

1 2017年6月29日、最高裁判所第一小法廷(裁判長小池裕)は、桜内文城前衆議院議員(当時日本維新の会)の吉見義明中央大学名誉教授に対する名誉毀損事件について、吉見教授の上告を棄却し,上告受理申立を上告審として受理しないという極めて不当な決定(以下「本決定」という。)を下した。

2 この事件は、橋下徹大阪市長(当時)が、2013年5月27日、「慰安婦」問題に関して日本外国特派員協会で講演した際に、同席していた桜内氏が、「ヒストリーブックスということで吉見さんという方の本を引用されておりましたけれども、これは既に捏造であるということが,いろんな証拠によって明らかとされております。」と述べたこと(以下「本発言」という。)により、吉見教授の名誉が毀損されたという事件である。

3 東京高等裁判所の判決(以下「原判決」という。)は、本発言中の「これは」が指示しているものを「吉見さんという方の本」と特定できないとして,名誉毀損が成立しないとした。これは,論理も事実も無視して控訴棄却の結論を導いたというべきものである。
 今回,最高裁判所が,このような極めて不当な原判決に何らの批判も加えずに本決定を出したことは,国民が司法権に付託した責務を放棄するものであり,強く抗議する。

4 吉見教授は日本軍「慰安婦」問題について世界的に知られた第一級の研究者であり,その著作は数々の史料と証言に基づく実証的な研究として高く評価されている。
 本決定は,桜内氏の本発言が吉見教授の著作に言及したものと認めることができないとの原判決の事実認定を前提としており,吉見教授が著作の中で捏造したか否かについて判断を示していない。したがって,本決定によっても,吉見教授の「慰安婦」問題に関する研究実績への評価は微塵も揺るがないものである。

5 私たちは、研究者に対するいわれ無き捏造非難に対し断固として抗議するとともに,研究者の学問研究の自由を守り発展させ,「慰安婦」の被害実態が人権問題であるということへの正確な理解が社会で共有されるよう,今後も取り組みを続ける決意を表明する。

2017年7月1日
吉見義明教授名誉毀損訴訟弁護団

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2017年6月7日水曜日

7月の裁判集会日程

植村裁判の口頭弁論と報告集会は、7月に札幌と東京で次の通り開かれます。

■札幌訴訟
7月7日(金)第8回口頭弁論
札幌地裁で午後3時30分開廷(傍聴希望者は午後2時45分までに集合)
報告集会=午後4時30分~5時30分、札幌市教育文化会館
この集会の後に開かれる「7.7平和集会」で植村さんが特別報告をします。

★7.7平和集会
「盧溝橋事件から80年、アジアから今、問われている、あの戦争」
午後6時30分~(開場6時) かでる2・7(820研修室) 資料代500円
講演「戦後史の中の和解」内海愛子さん(恵泉女学園大名誉教授)
報告「いま、なにが問われているのか」植村隆さん

■東京訴訟
7月12日(水)第9回口頭弁論
東京地裁で午後3時開廷(傍聴抽選締め切りは午後2時30分)
報告集会=午後4時~5時30分、参議院議員会館1階講堂
講演「朝鮮半島情勢と植村裁判」菱木一美さん(元共同通信、元広島修道大教授)




2017年5月24日水曜日

植村さんが舞台出演

といっても、植村さんが役者として舞台デビューするというわけではありません。京都を中心に活動している劇団「笑の内閣」の公演で、芝居の幕が下りたところで植村さんが登壇して20分ほどのトークをする、というものです。
「笑の内閣」は5月17日から29日まで京都で「日韓米 春のツレウヨまつり」と題して代表作の「ツレがウヨになりまして」を公演中です。この作品には日本編と韓国編、米国編があって、期間中この3作が順に上演されていますが、植村さんが出演するのは5月28日(日)午前11時開演の日本編です。世界中の自国が好きすぎるナショナリストたちをぶったぎる「ツレウヨ」の日本編。日本の嫌韓ネトウヨたちをこきおろす思想系ラブストーリーだ、ということであります。
アフタートークにはこれまで鈴木邦夫氏(一水会顧問)、有田芳生氏(参院議員)、雨宮処凛氏(作家)、古谷ツネヒラ氏(著述家)、井筒和幸氏(映画監督)、中島岳志氏(政治学者)らが登壇しています。植村さんの出演は28日の1回のみです。
公演は、京都市左京区下鴨塚本町1のアトリエ劇研(電話075-791-1966)で。28日は11時開演、当日券一般3500円(前売り予約あり)。
問い合わせは、090-2075-0759、waraino_naikaku_u@yahoo.co.jp へ。
詳細はこちら

2017年5月10日水曜日

植村隆のソウル通信第12回



バラ選挙 文在寅候補当選、9年ぶり政権交代
3人目の革新系大統領となった文在寅氏(韓国YTNニュースから)
■得票率41.1%
韓国で9日、「薔薇大選(チャンミ・デソン)」と呼ばれた大統領選挙の投票が行われ、「共に民主党」の文在寅(ムン・ジェイン)候補(64)が当選した。9年ぶりに保守から革新への政権交代が実現することになった。韓国の聯合ニュースによると、開票を100%終えた時点での文候補の最終的な得票率は41.08%。中央選挙管理委員会は10日午前8時から全体委員会議を開き、第19代大統領選挙開票結果に従って、文候補を大統領当選者として公式に確定した。金龍徳・選管委委員長が議事棒を叩いた午前8時9分、文在寅大統領の任期がスタートした。10日正午には国会議事堂で就任宣誓の行事が行われる。

これまでの大統領選挙では当選から2カ月間は、大統領当選者として、現職大統領から引継ぎを受ける準備期間があったが、今回はそうした引継ぎもない。しかも、与党となる「共に民主党」の国会(299議席、欠員1)の議席数は120議席と半数にも達しない「与小野大」という厳しい政局。待ったなしで発足する文政権は、様々な重い課題を抱えてスタートすることになる。

YTNによると、文氏は当選確実の報が出た後、「私を支持しなかった国民にも仕える統合大統領になる」と語った。
聯合ニュースによれば、主な5候補の最終得票率は次の通りだ(10日、開票率100%)
①文在寅(ムン・ジェイン、革新系「共に民主党」)64歳=41.08
②洪準杓(ホン・ジュンピョ、保守系「自由韓国党」)62歳=24.03
③安哲秀(アン・チョルス、中道「国民の党」)55歳=21.41
④劉承旼(ユ・スンミン、保守系「正しい政党」)59歳=6.76
⑤沈相奵(シム・サンジョン、革新系「正義党」)58歳=6.17

■人権派弁護士出身、廬武鉉氏の最側近
文候補は、民主化運動に関わった人権派弁護士出身で、盧武鉉(ノ・ムヒョン) 大統領(当時)の最側近だった。盧政権では、大統領秘書室長などを歴任した。2012年12月の大統領選挙では、保守の朴槿恵候補に惜敗し、今回が2度目の大統領選挙挑戦だった。

しかし、文氏は日本人には非常になじみの薄い人物である。ハンギョレ(4月4日付)が、文氏の詳しいプロフィールを紹介していた。そこから、文氏の人物像を伝えたい。
まず、文氏の略歴を年表で紹介したい。
【文在寅氏の略歴(ハンギョレ新聞4月4日付より作成)】
1953年  慶尚南道巨済で出生
1972年  慶熙大学法学部入学
1975年  学生運動で投獄、西大門拘置所に収監
1978年  陸軍兵長満期除隊
1980年  第22期司法試験合格
1982年  釜山で、盧武鉉弁護士と合同法律事務所開所
2002年  盧武鉉大統領候補の釜山選挙対策本部長
2003年~ 07年  大統領民政首席秘書官、同市民社会首席秘書官、同秘書室長を歴任
2009年  故盧武鉉元大統領国民葬儀委員会常任執行委員長
2011年  革新と統合常任共同代表
2012年  総選挙で国会議員当選(釜山沙上)。民主統合党大統領候補
2015年  新政治民主連合党代表に選出
2016年  共に民主党常任顧問

ハンギョレの人物紹介を簡約したい。
《貧しい家に育った。大学時代は維新反対デモの先頭に立った。司法研修院を二番で終了したが、デモの前歴があり、裁判官にはなれなかった。検事やローファーム行きより、「庶民たちが経験している事件の中で無念な濡れ衣を着せられた人を助ける役割をする普通の弁護士」を選択した。彼が政治の道に進んだのは、盧武鉉のせいである。一緒に弁護士事務所を運営していた盧武鉉が大統領選挙に出るため、民主党の候補になったが、その釜山選挙対策本部長を任されたのだ
《盧武鉉政権では、民政首席、大統領秘書室長などを任された。「政治の一線に」という盧武鉉の勧誘にもかかわらず、国会議員選挙には出なかった。しかし、2009年5月23日に盧武鉉の逝去で、政治への道に呼び出された。彼は、2011年末、政権交代という名分のため、野党勢力大統合を通じた民主統合党の結党に参加した。2012年4月11日の総選挙では、釜山の沙上区で議員に当選した後、すぐに大統領選挙に走り出した。しかし、その年の12月の大統領選挙で、朴槿恵候補と対決し、51%対49%で苦杯を喫した

演説する文候補(8日)=写真・姜明錫氏
光化門広場で声援コールを送る市民(8日)
■20年ぶりの大統領選取材
文候補は2回目の挑戦で、金大中、盧武鉉に続く3人目の革新系大統領となった。韓国では、李明博、朴槿恵と9年間、保守政権が続いた。しかし、親友の国政介入事件などで、昨年秋から、政権への退陣要求が高まり、ローソク集会などが相次いで行われ、朴槿恵氏は罷免という形で、退陣に追い込まれた。そのローソク集会の行われたソウル市中心部の光化門広場で、5月8日夜、文候補の最後の遊説が行われた。その風景を見ながら、私は韓国の歴史が大きく進んでいく瞬間を見るようだった。

この日午後、滋賀県に住む元朝日新聞ソウル支局長の波佐場清さんが、ソウルにやってきた。大統領選挙の取材のためである。教え子のカトリック大4年生の姜明錫(カン・ミョンソク)君と3人で、文候補の最後の遊説を取材することにした。
波佐場さんは、ソウル支局員だった時の支局長である。当時の朝日新聞は支局員が私たち二人だけだった。力を合わせて1997年12月の大統領選挙を取材した。この選挙は、金大中氏が4回目の挑戦で当選し、史上初の選挙による政権交代が実現した歴史的な出来事だった。私が当選の本記を書き、波佐場支局長が解説を書いた。金大中大統領は、対北朝鮮では太陽政策をとり、南北首脳会談を実現させた。そして、日韓の間では、小渕恵三首相と日韓首脳会談を行い、日本の大衆文化を開放した。これが現在の日韓文化交流の大きな根っことなった。
波佐場さんはソウル支局長の後、太陽政策を考え出した林東源さんの著書「ピースメーカー」(邦題「林東源回顧録 南北首脳会談への道」、岩波書店)を翻訳した。林さんは金大中政権時代に統一部長官、国家情報院長などを務めた人物だ。さらにその後、金大中大統領の伝記も翻訳した(岩波書店より出版、康宗憲氏と共訳)。それだけに、金大中の太陽政策については、日本で最も詳しい人だと言えよう。

最終演説の日、波佐場さんと光化門広場の群集の中を、歩いた。この日は、韓国大統領選挙を20年ぶりに取材する「黄金コンビ」(自称)の復活である。広場の集会場は身動きが取れないほど、人々が集まっていた。午後7時すぎ、文在寅候補が登場し、会場が大きな歓声に包まれた。文候補の演説のたびに、「文在寅」コールが巻き起こる。米国に対し、韓(朝鮮)半島の平和を一緒につくろうと呼びかけると話した後、文候補はこう語った。
「北韓(北朝鮮)には、核か南北協力か選択しろ。堂々と圧迫し、説得する」。
その強い調子の発言に、会場で歓声が上がった。北朝鮮は核実験やミサイル発射という挑発的な瀬戸際戦術を続けている。北のミサイル発射で、日本では地下鉄が止まったという報道を読んだ。もちろん、あの日、ソウルの地下鉄は止まらなかった。北朝鮮が本当に日本や韓国をミサイル攻撃すると、ふつうの韓国人は思っていないからだ。そうした攻撃は朝鮮半島では全面的な戦争になることが分かっているからだ。北朝鮮が挑発を繰り広げるのは、あくまでも米国との平和協定を締結するための「ラブコール」なのだ。

■太陽政策が復活、南北問題は打開されるか
文候補の対北朝鮮政策はどうなるか。波佐場さんは言う。「太陽政策が復活する」。太陽政策とは、北朝鮮に対して圧力ではなく人道支援、経済協力、文化交流などの宥和政策を用いることで将来的には南北統一を図ろうとする政策のことである。盧武鉉政権下では、包容政策と呼ばれた。二人とも、在任中に南北首脳会談を実現した。そして、南北和解ムードが続いたが、その後の、保守政権の9年間で、再び南北関係が冷却したのだ。それを文氏が、太陽政策の復活で、打開するのではないか、という見方だ。「就任2年ほどで南北首脳会談をするのではないか。盧武鉉大統領の南北首脳会談の時に、文氏は首脳会談推進委員会委員長としてソウルで支えた。北には信頼があると思う」とも言う。私もその考えに全面的に同意する。
釜山の少女像と向き合う文氏
=写真集「文在寅」から
朝鮮半島にはいまも冷戦構造が残っている。韓国は経済発展と共に、かつての共産国家の中国や旧ソ連と国交を樹立している。しかし、北朝鮮はいまだに米国との国交正常化はなされていないのだ。冷戦が終わるどころか、第二次大戦が終わっていないと言える。日本との間で、戦後処理もなされていないのだ。この異形の国家は一人で、異形の国になったのではない。この冷戦構造を終わらせるには、対話しかないと思う。

1時間近く経ち、文候補の演説は終わった。司会者が、愛国歌(国歌)を一緒の第4番まで歌おうと呼びかけた。集会場に集まった幾万の韓国人たちが斉唱をする。暗い夜に力強い歌声が響く。そして、その後、壇上から、「スマホを点灯して、文候補を応援してください」という声がかけられた。聴衆はスマホの明かりをつけ、右に左に揺らす。ローソク集会の再現である。無数の光がゆっくりと揺れる。これもまた、歴史的なシーンになるのだろう。私はスマホのカメラで、このシーンを取り続けた。
■カリスマ性のない「脇役」が初めて「主役」に
一日郵便配達員となった
文氏(同写真集から)
文在寅氏は、実際は「普通の人」である。民主化運動をし、投獄された人々は韓国には無数にいる。文氏が注目を浴びたのは、盧武鉉氏をずっと支え続けたからだ。そういう意味では、韓国の現代史の中では、「脇役」だったとも言える。これまでの大統領は良い意味でも悪い意味でも「主役」であった。今回、初めてカリスマ性のない人物が、大統領になったとも言えるのではないか。

大統領選挙の1カ月前、文在寅氏の伝記が出版された。「青少年のための運命」という題名である。前回の選挙のときに、自伝「運命」を出版したが、それにならった題名のようだ。表紙にはローソクを持った文氏の横顔が描かれている。私は線を引きながら、この本を読んだ。前半は貧しい家から、大学に進み、苦労して司法試験に合格する話だ。後半は盧武鉉氏との出会いから、その死まででのエピソードだ。盧武鉉氏が死んだ後の2009年から後、文氏が何をしたのかは描かれていない。読みながら、大統領選挙の前にこれでいいのかなとも疑問が沸いた。
序文で著者のイ・ジョンウン氏が、こう書いていた。
「盧武鉉前大統領の逝去までが、文在寅の人生の第一幕だとすれば、その後の人生は第二幕だ。第二幕は一冊の本でなく、歴史が明らかにしてくれると信じる」。
つまり、これから文在寅自身が主役として、行動し、歴史に記録されていくということだろう。これから5年間、新しい政治の「主役」の手腕が問われている。

2017年5月5日金曜日

植村隆のソウル通信第11回

バラ選挙 大統領選挙5月9日投票

薔薇の季節の選挙
韓国の次期大統領を決める大統領選挙が最終局面を迎えている。これまでは12月に投票が行われてきたが、今回は朴槿恵(パク・クネ)前大統領の罷免を受け、5月9日(火)に投開票が行われる。この日は臨時の休日になっている。薔薇(チャンミ)の季節に行われるので、「薔薇大選(チャンミ・デソン)」と呼ばれている。

公式に選挙運動が始まったのは4月17日。この日は、朴槿恵容疑者が収賄など18件の罪で、起訴された日でもあった。史上最多の15人が立候補した。私の勤務するカトリック大学の正門わきの壁にも選挙ポスターが貼られている。途中で、2候補が出馬を取りやめ、現在は13人による戦いだ。

選挙運動は遊説とテレビ討論が中心だ。今回は計5回のテレビ討論が行われ、主要候補5人が登場した。私は、韓国の公営放送KBSが主催した第1回のテレビ討論(4月19日)をインターネットで見て、各候補を観察した。その画面の写真を使って各候補を紹介したい。左から、革新系の少数政党「正義党」の沈相奵(シム・サンジョン)、保守派で与党「自由韓国党」の洪準杓(ホン・ジュンピョ)、保守派の「正しい政党」劉承旼(ユ・スンミン)、革新系の最大野党「共に民主党」の文在寅(ムン・ジェイン)、中道の第二野党「国民の党」の安哲秀(アン・チョルス)の各氏である。討論の前の挨拶に、それぞれの候補の政治的な姿勢がよく出ていた。


◆沈相奵候補(58) 「労働が堂々とした国。私を公開支持宣言した作家はこう言いました。今回は当選可能性でなく、韓国の可能性に投票する。私は聖域なき改革で、新しい韓国に責任を持ちます」
◆洪準候補(62) 「庶民大統領候補ホンジュンピョです。今回の選挙はこの地の体制をどう選択するかという選挙です。左派政権を選ぶか、右派政権を選ぶかです。1番(文候補)と3番(安候補)は事実上同じ党です。選挙が終われば合党するからです。安保危機が極に至った今、ホンジュンピョを選べば、自由韓国を守ることになります」
◆劉承候補(59) 「保守の新しい希望ユスンミンです。新たに就任する大統領は経済危機、安保危機を克服し、温かい共同体、正義のある民主共和国を作るため根本的な改革を成し遂げる人間でなければなりません」
◆文在寅候補(64) 「この冬、『これが国か』と嘆きの声を上げ、国らしい国を念願しました。そのローソクの民心を大切にします。政権交代だけが、国らしい国に変えることができます。たくましい候補です。共にしてください」
安哲秀候補(55) 「記号3番、アンチョルスです。1番(文候補)、2番(洪候補)にはたくさん機会がありました。このままでは未来がありません。産業化、民主化を超えて、新しい未来を選択する時です。より良い政権交代を選択する時です」

5候補のうち、最左派は、沈候補である。ソウル大学出身だが、生涯を民主的な労働運動に捧げてきた。次いで、文候補となろう。民主化運動に関わった人権派弁護士出身で、盧武鉉大統領(当時)の最側近だった。盧政権では、大統領秘書室長などを歴任した。医者でIT起業家の安候補は中道傾向が強い。2012年の大統領選挙では安候補も出馬表明をした。しかし、野党系候補の一本化のため、文候補に譲った。その後、文氏と一緒に野党の共同代表を務めたこともある。一方、洪候補と劉候補の保守派の二人は共に、朴槿恵政権を支えた旧セヌリ党出身だ。しかし、劉候補は朴槿恵氏の弾劾訴追案に賛成し、セヌリ党を離党し、保守新党「正しい政党」をつくった。セヌリ党はイメージチェンジのために、党名を「自由韓国党」と改称した。洪候補は検事出身で、前慶尚南道知事である。

■「一強二中二弱」の争い

ギャラップ調査(4月29日付「朝鮮日報」日本語版HP)
世論調査では2度目の大統領選挑戦となる文候補が常に一位を維持している。文候補は2012年の大統領選挙にも出馬した。朴槿恵氏と事実上の一騎打ちで、惜敗した。最新(5月3日発表)の世論調査では、この「一強」の文氏を安・洪氏の「二中」が追い、沈・劉の「二弱」が続く構図になっている。
韓国ギャラップのデータ(1~2日調査)では文氏が前週より2ポイント下げて38%で首位。安氏は4ポイント下げた20%、洪氏は4ポイント上昇し、16%。沈候補は1ポイント上げて、8%となった。劉候補も2ポイント上昇し6%となった。安氏は一時は文候補に迫る勢いを見せていたが、テレビ討論であいまいな態度を見せたことなどもあり、支持率が急落した。
4日付の朝鮮日報は自社が依頼した世論調査の結果として、洪氏が安氏を逆転したとも報じている。

最近になって、保守系の候補一本化の動きも広がっている。4月29日には、保守派の候補の南在俊(ナム・ジェジュン)氏が出馬を取りやめ、洪氏への支持を表明した。南氏は朴槿恵政権時代、情報機関「国家情報院」の院長だった人物である。5月2日には、劉候補の「正しい政党」所属の国会議員13人が、集団離党し、洪候補への支持を表明した。うち一人は翌日、離党を撤回したが、劉候補には大きな衝撃となった。5月2日付の韓国経済新聞によると、朴槿恵容疑者の妹である朴槿令(パク・クニョン)氏が1日、「自由韓国党」党舎内で記者会見をして、洪候補の支持を表明した。こんな内容の話をしたという。
「ばらばらになった朴正熙(パク・チョンヒ)元大統領支持勢力と朴槿恵前大統領支持勢力が一つに力を合わせれば、洪候補の当選は常識となる。無念の濡れ衣を着せられ、殉教した朴槿恵前大統領を助けてくれる唯一の候補は洪候補だけ。産業革命を成功させ、祖国の近代化を完成させた革命家朴正熙の後継者洪候補がこれからは保守革命、庶民革命を引っ張っていく」。時代の変化を読み取らない「化石」のような言葉に驚いた。しかし、こうした考えを支持する人々がかなりの割合で存在するのも、また事実である。

■直接選挙を勝ち取った30年前の民主化運動
 
私の裁判闘争・言論闘争を支援してくれている北岡和義さんと西村秀樹さんの2人のジャーナリストが「大統領選挙の風景を見たい」と韓国にやってきた。4月30日、一緒にソウル市内を歩いた。

ローソク集会が行われてきたソウル中心部の光化門広場では、この日午後から、大学生たちが主催する「バラ革命フェスティバル」が行われていた。若者も大統領選挙に積極的に参加し、その声を政治に実現させようという狙いの集会だ。バラで作ったアーチが飾られていた。学生たちは、「日韓慰安婦合意」の問題点について、会場でアンケートをとっていた。集会パンフレットを見ると、「バラ革命宣言」という要求事項の中に、大学の授業料や交通費の減額などのほか、「韓日日本軍慰安婦問題合意無効」というスローガンも入っていた。主要5候補はいずれも、この合意への反対を表明している。

この日、午後6時から、ソウルの新村(シンチョン)で、文在寅候補の遊説があるという。「一強」の生の声を聴くため、同地へ向かった。新村というのは、延世大学校のある地区のことを言う。いまから30年前、民主化運動が高揚した1987年には、この大学が民主化デモの舞台になった。同年6月9日にデモに参加した同大生の李韓烈(イ・ハンニョル)君が警察の発射した催涙弾で意識不明の重体となった(その後、死亡)。このため、学生や市民たちの怒りがさらに燃え上がり、各地で激しいデモが行われた。6月民主化抗争という。当時の 全斗煥政権は追い詰められ、与党・民主正義党の盧泰愚(ノ・テウ)代表委員が同月29日に「民主化宣言」を発表した。その宣言の最大の柱が、大統領直接選挙の復活だった。朴正熙時代の1972年に大統領選挙は間接選挙になっていた。朴氏は前年の71年の大統領選挙で金大中候補と事実上の一騎打ちとなり、苦戦した。政権維持に危機感を感じた朴大統領は永久独裁体制を確立するため、御用組織が大統領を選ぶシステムに変えたのだ。

私は1987年8月から1年間、この延世大学校韓国語学堂に留学していた。同年12月に16年ぶりに復活した大統領直接選挙を見物した。当時の野党勢力は金大中氏と金泳三氏の候補一本化に失敗。二人とも出馬して、共倒れになった。結局、与党の盧泰愚候補が漁夫の利を得る形で、当選したのだった。

■文候補「一強の演説」

文在寅候補の自伝「運命」によると、1987年、文氏は金泳三の地元である釜山で野党候補一本化に力を注いだ。こう書いてある。
「在野の多数が金大中候補に対する『批判的支持』に傾いている時だった。私は釜山地域で、それと同じ立場をとった」「最後まで一本化ができず、結局、盧泰愚候補が当選してしまって、我々は大きく落胆した」
そして30年後、文候補は大統領の座に一番近いところにいる。

新村の繁華街の中心にある交差点が文候補の遊説場所だった。4月30日午後6時前、すでに1万人以上集まっているようだった。司会者が「文在寅」コールを促すたびに、大きなコールが起きる。しばらしくて、文候補が到着した。壇上に上がり、背広を脱いでワイシャツの袖をまくった。
支援者だろうか、文候補に奇妙な形の花輪を渡した。カタカナの「ト」を丸く囲んだような形である。後で、知ったのだが、これは投票する際に使う、ハンコを形どったものだ。投票用紙に印刷された候補者名15人分のそれぞれ横に空欄があり、自分が投票する人のところに、このハンコを押すのだ。笑顔で花輪を受け取った文候補はそれを高々と頭の上に上げて、聴衆に見せた。歓声が上がり続けた。文候補はマイクを握って、こう問いかけた。

「みなさん、本当に政権交代を望みますか。それなら誰ですか」。聴衆から「文在寅」のコールが続く。さらに文候補はローソク集会で国民が勝利の歴史を作ったことを強調しながら、「しかし、これからが始まりです。大統領が弾劾され、拘束された以外は何も変わっていない。ローソクと共にする政権交代なのか、腐敗既得圏勢力による政権延長か。その対決だ。国民の選択ははっきりしている。誰ですか」と問いかけた。聴衆は「文在寅」と答え返した。文候補は政権を掌握したら、朴槿恵政権時代の不正問題だけでなく、李明博政権時代の不正についても調査することを言明した。また再び、歓声が上がった。
文候補は演説の途中に何かを手にして、聴衆の方に向けた。よく見ると、スマホである。裏側が明るく光っている。スマホのライトを点灯しているのだ。ローソク集会でのローソクの明かりをスマホで再現しているのだった。

演説の中では、対外関係についても触れた。「日本に対し、『慰安婦合意は間違っていた』、中国に対し、『微細粉塵(韓国語でミセモンジ)はあなたたちの責任だ』、米国に対し『韓半島の平和を一緒につくろう』。堂々と言える大統領を望んでいるでしょう。文在寅が先頭に立ちます」。聴衆からは、文在寅コールが巻き起こった。文候補の釜山なまりの演説に、聴衆は興奮していた。
演説の内容で驚いたのは、「携帯電話の料金を下げる」という話までしていたことだった。後で、文候補の公約集を見たら、裏表紙に携帯電話の挿絵つきで、「通信費、さらに安く、さらに便利に」という項目があった。表紙は選挙ポスターそのものの写真。それを裏に回すと、この項目が見える。そこには、こう書いてある。「通信基本料 完全廃止」「端通法を改定して端末機支給金上限税廃止」「高価端末機価格バブル除去」「すべての公共施設に公共Wifi設置義務化」。なるほど、これは若者には受けそうな公約だ。

■文候補から携帯に電話が!

じつは、この原稿を書いている最中の4日午後3時半、突然、私の携帯電話が鳴った。見慣れない番号だった。応答にすると、文在寅候補の声がした。(これ本当です)。投票に行こうと呼びかける本人の声を録音テープで流しているようだった。私の電話は韓国人の家人の名義である。約30秒のメッセージだ。着信記録にある電話番号は「0226-30-0043」。折り返し、電話してみると、「文在寅陣営」を名乗る録音メッセージが流れていた。「一強」は、バラ選挙で携帯電話を存分に活用しているようだ。

2017年4月28日金曜日

慰安婦報道巡る判決

朝日新聞の慰安婦報道をめぐって起こされている集団訴訟の一つ、「朝日グレンデール訴訟」で4月27日、東京地裁は原告(在米日本人を含む2557人)の請求を棄却しました。ほかの二つの訴訟でも地裁、高裁判決で原告の請求は棄却され、朝日の勝訴が続いています。判決要旨と3訴訟の経過は当ブログ記事「朝日新聞への提訴」にあります。
以下の引用は、4月28日付朝日新聞記事の全文です。

原告の請求棄却、朝日新聞社勝訴 
慰安婦報道巡る名誉毀損訴訟 東京地裁
朝日新聞慰安婦報道で誤った事実が世界に広まり名誉が傷つけられ、また米グレンデール市に慰安婦像が設置されて在米日本人が市民生活上の損害を受けたなどとして、同市近郊に住む在米日本人を含む2557人が朝日新聞社に対し損害賠償などを求めた訴訟の判決で、東京地裁は27日、原告の請求を棄却した。佐久間健吉裁判長は、記事は名誉毀損(きそん)にも在米日本人らへの不法行為にもあたらない、と判断した。原告側は控訴する方針。

訴えの対象は「慰安婦にするため女性を無理やり連行した」とする吉田清治氏の証言に関する記事など朝日新聞記事49本と英字版記事5本。佐久間裁判長は判決で「記事の対象は旧日本軍や政府であり原告ら現在の特定個人ではない。問題となっている名誉が原告ら個人に帰属するとの評価は困難」とし、「報道で日本人の名誉が傷つけられた」とする原告の主張を退けた。

また、報道機関の報道について「受け手の『知る権利』に奉仕するもので、受け手はその中から主体的に取捨選択し社会生活に反映する」と位置づけた。

それを踏まえて「記事が、国際社会などにおける慰安婦問題の認識や見解に何ら事実上の影響も与えなかったということはできない」とする一方で、「国際社会も多元的で、慰安婦問題の認識や見解は多様に存在する。いかなる要因がどの程度影響を及ぼしているかの具体的な特定は極めて困難」と指摘。そのうえで、在米の原告が慰安婦像設置の際に受けた嫌がらせなどの損害については「責任が記事掲載の結果にあるとは評価できない」と結論づけた。

朝日新聞慰安婦報道をめぐっては、三つのグループが朝日新聞社に対し集団訴訟を起こした。いずれも東京地裁や高裁の判決で請求が棄却されている。
     ◇
判決は、吉田証言などを取り上げた朝日新聞の報道が海外で影響を与えたかについても言及した。
原告側は裁判で、慰安婦問題について日本政府に法的責任を認めて賠償するよう勧告した国連クマラスワミ報告(96年)や、歴史的責任を認めて謝罪するよう求めた米国の下院決議(07年)が、朝日の慰安婦報道の影響によるものと主張した。
これについて判決は、クマラスワミ報告での慰安婦強制連行に関する記述は吉田証言が唯一の根拠ではなく、元慰安婦からの聞き取り調査もその根拠であることや、クマラスワミ氏自身、「朝日が吉田証言記事を取り消したとしても報告を修正する必要はない」との考えを示している、と認定。米下院決議については、決議案の説明資料に吉田氏の著書が用いられていないことも認定した。

また原告は、「朝日新聞が80年代から慰安婦に関する虚偽報道を行い、92年の報道で、慰安婦と挺身(ていしん)隊の混同や強制連行、慰安婦数20万人といったプロパガンダを内外に拡散させた」などと主張した。この点について判決は、韓国においては「慰安婦の強制連行」が46年から報じられた▽45年ころから60年代前半までは「挺身隊の名のもとに連行されて慰安婦にされた」と報道された▽「20万人」についても70年には報道されていた、と認めた。

2017年4月15日土曜日

札幌訴訟第7回弁論

植村裁判札幌訴訟(被告櫻井よしこ氏、新潮社、ダイヤモンド社、ワック)の第7回口頭弁論が4月14日、札幌地裁805号法廷で開かれた。
午後の陽光を浴びて入廷する植村さんと弁護団
植村弁護団は第10、11準備書面を提出し、その要旨を川上有、上田絵里、大類街子の3弁護士が読み上げた。被告櫻井氏の言説がネット上で拡散し、激しいバッシングを引き起こしたことはこれまでの弁論でも明らかにされているが、この日の弁論では、ふたつの大学(神戸松蔭女子学院、北星学園)に寄せられたメールや電話、ファクスが、ネットで流れた櫻井氏の記事を引用するなど、密接に関係していることを時系列的に指摘し、櫻井氏の言動を次のように批判した。
※第11準備書面要旨は記録サイト「植村裁判資料室」に収録 こちら

▼SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)を利用した情報発信は、連鎖的に感情が増幅されることがしばしばあります。情報の送り手が激怒すれば、受け手がこれに呼応して感情を増幅させていくのです。その結果、芸能人らのブログがしばしば炎上したりします。被告櫻井は、このようなSNSによる情報伝達の威力を十分に知っていました。だからこそ、被告櫻井は、自分の記事をブログに転載しているのです。
▼被告櫻井は、反韓嫌韓感情に触れる情報が、ネット社会でどのように拡散していくかについて十分に認識していました。被告櫻井は、ネット右翼の言動の問題点を十分に認識していました。
これは、被告桜井自身がSAPIOに「ネット右翼のみなさん、現状への怒りはそのままに歴史に学んで真の保守になってください」という記事を書いていることからもわかります。そこでは、ネット右翼がネット上で「朝鮮人は半島に帰れ」など書いていることが指摘されています。そして、これらが誹謗中傷であるとしているのです。被告櫻井は、ネット右翼の言動を十分に熟知しているのです。被告らは、このようなネット社会の現状やネット右翼の言動を十分に知っていました。ですから、自分たちが放出する情報が、どのように社会に拡散し、影響を与えるかということを分かっていたということになります。
▼被告櫻井は、本件各論文を含む植村さんを批判する論文執筆やブログへの転載を続けています。日付だけ述べます。
2014年6月26日、7月3日、8月1日、7日、 16日、 21日、23日、 28日、9月1日、8日、13日、18日、25日、10月11日、14日、16日、17日、20日、23日、25日、12月11日、18日などです。執拗かつ多数といわざるを得ません。その間、同年5月から北星学園大学に対する非難・抗議のメール・電話が多数寄せられています。脅迫状も届いています。非難・抗議メールは多くの月で100通を超え、8月には500通を超えています。非難・抗議電話も8月以降は月100本を超え、200本を超える月もあります。被告櫻井は、このような経過の中で、本件各論文を執筆しているのです。被告櫻井が、このような経過を知らないわけがありません。そうであれば、被告櫻井がこれら各論文を掲載した場合には、北星学園大学や植村さんに、どのような影響を生じるかもまた熟知していたはずなのです。
▼被告櫻井の論文においては、原告の執筆した記事内容そのものへの批判のみならず、ジャーナリストとしての資格、さらには、教育者としての資格もないなどと断言しています。互いに言論で議論を交わすのであれば、その表現内容に対し反論すべきでありますが、被告櫻井は原告の新聞記者としての経歴のみならず、記事を書いた23年後の原告の勤務先というプライベートな事実を暴露し、表現内容とは無関係の教育者としての資格を非難するものであり、その点でも表現内容は悪質であると言わざるを得ません。
▼原告には甚大な被害が生じているにもかかわらず、被告櫻井は、本訴訟第一回口頭弁論期日において、原告に向けて「捏造記事と評したことのどこが間違いでしょうか」などと意見陳述を行い、原告の名誉回復を図る意思が一切ありません。
原告は、被告らにより、「慰安婦記事を捏造した」といういわれなき中傷を流布され、これに触発・刺激された人々から多数の激しいバッシングと迫害を受け、自身が雇用を脅かされて生存の危険に晒されるだけでなく、家族も生命の危険に晒されています。
当該精神的損害を慰謝するには、最低でも請求の趣旨のとおりの慰謝料が支払われ、謝罪広告が掲載されなければ到底足りるものではありません。

開廷午後3時30分、閉廷午後4時5分。今回も傍聴券交付は抽選となった(定員71人に対し83人が行列)。次回期日は7月7日(金)に決まっているが、論点整理のための弁論をさらに行うことになり、次々回は9月8日(金)に設定された。
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報告集会 ~~~ショパンと十字架in札幌~~~

裁判の後、会場を札幌北光教会に移し、午後5時30分から報告集会が開かれた。
弁護団報告(秀嶋ゆかり弁護士)と韓国報告(植村さん)の後、「支える会」共同代表でもあるピアニスト崔善愛さんのトークコンサートがあった。250人ほどの参加者は、ノクターン、バラードなどの名曲の演奏に心打たれながら、ショパンの生涯を自らに重ね合わせて語られるこの国への思いに、静かに耳を傾けた。
【写真】上段=報告集会の発言者(神沼公三郎共同代表、秀嶋ゆかり弁護士、植村さん)と会場風景。中段=崔さんの演奏と語り。下段右=拍手に応える崔さんと植村さん