2018年2月2日金曜日

第10準備書面要旨

東京訴訟第11回口頭弁論(1月31日)で原告弁護団が提出し、穂積剛弁護士が陳述した第10準備書面の「弁論要旨」を収録します。書式は一部変更しています。
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1 はじめに

本日陳述した原告第10準備書面の要旨は、以下のとおりである。

2 本書面の趣旨

最高裁判例によれば、「事実の摘示」とは「証拠等をもってその存否を決することが可能な他人に関する特定の事項」であり、「意見・論評」とは「証拠等による証明になじまない物事の価値、善悪、優劣についての批評や論議など」とされている。「事実でないことを事実のように作り上げること」を意味する「捏造」が、どちらであるかは明らかであって、文脈上明白に比喩などの趣旨で用いられているのでない限り、「捏造」とは事実の摘示である。もっとも本書面では念を入れて、万が一「捏造」が意見・論評だと解される場合においても、その意見・論評の「前提としている事実」自体に真実性・相当性が看取できず、やはり免責事由に該当しないことを明らかとした。ここではその代表例として、雑誌『正論』2014年10月号の「隠蔽と誤魔化しでしかない慰安婦報道『検証』」(甲5)について検討してみる。

3 原告が創作した「女子挺身隊」

前提としている事実
この著述で被告西岡は、慰安婦とされた金学順に関する原告の新聞記事について、主として2点で「捏造」だと指摘している。そのうち一つについて被告西岡は、次のように書いている。

: 「初めて名乗り出た元慰安婦の女性の経歴について『「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた』と書いたのだ。本人が語っていない経歴を勝手に作って記事に書く、これこそ捏造ではないか。」(80頁)

これは、《㋐本人が語っていない「女子挺身隊」という経歴を原告が勝手に作って書いた》

との「前提事実」をもとに、原告の記事を「捏造」と指摘したものである。

真実性の検討
それではこの「前提事実」について、その真実性を検討する。しかしこれは、極めて簡単な話である。被告西岡はこの『正論』記事で、「植村記者が入手した証言テープ」や「その後の記者会見」で、金学順が「『女子挺身隊の名で戦場に連行され』とは述べていない」、と書いている。
しかし、原告ですら持っていない金学順の「証言テープ」を、被告西岡はどうやって確認したというのか、これは本件訴訟で証拠提出もされていない。金学順が証言テープで「女子挺身隊」と言っていない、と断言できる根拠などどこにもない。
それどころか記者会見を報じる新聞記事では、金学順自身の発言として

「挺身隊慰安婦として苦痛を受けた私が、こうやってちゃんと生きている」
「挺身隊自体を認めない日本政府を相手に告訴したい」(甲20・東亜日報)
「私は挺身隊だった」(甲21・中央日報)
「女子挺身隊問題に日本が国として責任を取ろうとしないので恥ずかしさを忍んで」(甲25・北海道新聞)

などと報道されている。これらを見ればむしろ金学順自身が、「女子挺身隊」と言っていたとしか思われない。すなわち真実性の立証はない。

相当性の検討
しかも被告西岡は、自分の著作である『増補新版よくわかる慰安婦問題』
(甲3)で、「韓国では、当時は『挺身隊』というと、慰安婦のことだと誤解されていた」と書いている。韓国社会全体が慰安婦のことを「挺身隊」だと認識していたのなら、記者会見で金学順が自分のことを「挺身隊だった」と述べたとしても、何もおかしくない。どうして金学順一人だけが、 慰安婦と「挺身隊」との区別を明確に意識していて、記者会見で「挺身隊」とは絶対に言わなかったと断言できるというのか。
被告西岡の主張はこの点だけでも支離滅裂であり、相当性も存在し得ないことを露呈させている。


4 原告が創作した「地区の仕事をしている人」

前提としている事実
原告の2番目の記事には、「『そこへ行けば金もうけができる』。こんな話を、地区の仕事をしている人に言われました。仕事の中身はいいませんでした」との金学順の証言がある。被告西岡はこれについても「捏造」だと指摘する。

: 「植村記者は義父を登場させると実の母にキーセンとして売られたという事実が明らかになるので、正体不明の『地区の仕事をしている人』を出してきて、その人物にだまされたと書いたとしか思えない。これも捏造だ。」(81頁

すなわちこれは、

《㋑キーセンとして売られた事実を隠すために架空の人物に騙されて慰安婦にされたと原告が書いた》

との「前提事実」をもとに、原告の記事を「捏造」と述べたものである。

真実性の検討
この原告の記事は、弁護団と市民団体の聴き取り調査に原告が同行取材して書かれたもので、その後に弁護団が訴状を作成した。被告西岡は、弁護団作成の訴状にこの「地区の仕事をしている人」が書かれていないこと、 当時の新聞記事にもそうした人物の記載がないことを根拠としている。
しかしこのときの調査記録には、

「私が十七歳のとき、町内の里長が来て、『ある所に行けば金儲けができるから』と、しきりに勧められました」(甲14・市民団体の記録)
「原告らの住む町内の区長から、『そこへ行けば金儲けができる』と説得され」(甲15・弁護団の記録)

と明記されてある。つまりここでも事実は、金学順本人が「町内の里長」「町内の区長」と述べていて、原告がこれを「地区の仕事をしている人」と表現したに過ぎない。原告が架空の人物をでっち上げた事実が「真実」であるどころか、実際には金学順が確かにこの人物に言及していた。

相当性の検討
では相当性はどうか。確かにこうした市民団体や弁護団の聴取記録については、この著述を書いた2014年9月の時点で被告西岡は知らなかったかも知れない。しかしその場合でも、「地区の仕事をしている人」が架空の人物であり、これが原告の創作だと断定するためには、少なくとも金学順本人がこうした人物を否定していたなど、確実が根拠が求められるべきである。
ところが被告西岡は、この人物が原告の創作だといえる具体的根拠を、 この訴訟になってなお一つとして示すことができない。のみならず、そのような人物の存在について周辺取材を行った形跡も何ら見られない。それなのに原告の創作だと勝手に決めつけていた。これでは被告西岡に、この
「地区に仕事をしている人」が原告の創作だと信じるについて、相当の理由などあったはずがない。

5 露見してきた事実
以上のように、この『正論』の著述で原告の新聞記事を「捏造」だと決めつけたその「前提としている事実」について、その真実性も相当性も存在していないことが明らかとなった。というよりも、事実はいずれも被告西岡の主張の正反対であった。

すなわちこのことは、被告西岡が実際には確信犯であったことを端的に示している。被告西岡は、「捏造」との自分の指摘が実際には原告に妥当しないことを知っていて、慰安婦問題を報道した原告を攻撃するために、原告を捏造記者扱いしたものとしか思われない。
このように「捏造」に関してこれを意見・論評と仮定して検討してみた結果、明らかとなったのは被告西岡の著しい悪質性であった。御庁におかれては、こうした被告西岡の悪質性についても十分考慮して本件の判断を下されたい。

以上